第43話 最適化できないもの
大陸全土を襲った地脈反転の大災害から数週間後。
ノルガルド王都の大ホールにて、国際工務同盟の緊急総会が開催されていた。
張り詰めた空気の中、同盟の監査長が第一次総括報告を読み上げた。
セレネス王都の南区と東区では、建物倒壊、火災、地下水道破裂により多数の負傷者が出た。火災や倒壊などの二次被害による死者も各国で確認されている。一方、同盟が直接監視する主要魔法網では、反転事故の魔力暴走を直接原因とする死者は確認されなかった。高負荷設備の先行停止、重要施設の独立魔力源への移行、段階避難が、百二十年前のような一斉大量死を防いだのだ。
続いて処分と新標準が告げられた。
マルセル・グランツは、条件付き承認書の再生偽造と欠陥隠蔽を理由に、技術者資格と公職を永久剥奪。刑事裁判は国際工務同盟の監督下で行われ、利益相反のある独占契約と特許行使は凍結された。
低負荷多点格子式は『国際公開標準』として採択され、セレネス旧式規格の国際認証は停止。今後の復旧融資と越境保険は、公開標準への段階適合を条件とする。
国境主幹結合点で暫定使用された『七点螺旋緩衝構造』も、未知位相事故への緊急対応記録として保存された。正式な付属規格へ組み込むかどうかは、複数監査と再現試験を経て検討する。ルネは当夜の修正箇所を、失敗した配線案とともに同盟へ提出していた。
既知の保守は広く共有し、未知障害の初回解析と新規格の承認は、構造眼を含む高度資格者が複数監査で担う。ルネ一人を新たな絶対権威にするのではなく、彼女が作った検証手順を国際制度へ組み込む決着だった。
「発言を、よろしいか」
セレネス王国の代表席から、簡素な実務服のアルベルトが進み出た。
「完成式典で安全証明を過信し、専門家の警告を退けた責任を取り、私は王太子位を退き、王位継承権を返上する。私財の大部分は復旧基金へ拠出し、今後は第三者監督下の現地連絡役として働く」
現国王は復旧移行期の統治を継続し、第二王女を第一継承者とする暫定内閣が行政を担うため、権力の空白は生じないことも同時に公表された。
アルベルトは壇を降り、ルネの前で一度だけ頭を下げた。
「私の愚かさが、君の正しさを傷つけた。すまなかった」
復縁も弁明もなかった。ルネは短く頷き、泥の残る実務靴で復旧現場へ戻っていく彼の背中を見送った。
*
その日の夜。ノルガルド公爵館。
国際会議を終え、ようやく重い肩の荷を下ろしたルネは、レオンの私室のソファで温かい紅茶を飲んでいた。
「ルネ。目を通しておけ」
執務机から歩み寄ってきたレオンが、いつものように一枚の書類をテーブルに滑らせた。
「新しい図面ですか? それとも来期からの予算案……」
ルネが書類を手に取り、そこに書かれた文字を追った瞬間、パチクリと目を瞬かせた。
「これは……」
「私からの、契約の提案だ」
レオンはルネの隣に腰を下ろし、真剣な灰色の瞳で彼女を見つめた。
「結婚を理由に、君へ辞職を求めないこと。研究予算の独立した配分手続きを守り、私財からの支援を、私の意向に従わせる条件にはしないこと。そして何より……君が引く図面への『拒否権』を、夫となる私自身も、公爵権限だけでは奪えないこと。私が守るべき条件を、契約にした」
レオンは、設置法に基づく複数監査と再審の条項を指で押さえた。
「制度の変更は、法に定めた公開審議を通す。君と意見が違っても、私は夫の立場でその手順を飛び越えない」
ルネは、手の中の紙とレオンの顔を交互に見比べた。
条項の末尾には、レオン自身の署名と、公爵権限を制限する違約条項まで入っていた。
ルネは二度読み返し、紙を持つ指に力を込めた。
「……こんな条件を先に突きつけられたら」
ルネの瞳から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。
「もう、完成印を押すしかありませんね」
ルネは笑いながら、涙で滲む視界のまま、契約書に力強くサインを書き込んだ。
レオンは小さく息を吐き出し、安心したようにルネの肩を抱き寄せた。
「君という人間は、私の人生における最大の計算外だ」
レオンはルネの髪に触れながら、自嘲するように、けれど心底愛おしそうに囁いた。
「すべてを効率で測ってきた私が、君に関することだけは合理的な判断を下せなくなる。君との将来は、どうやっても費用対効果では測れない」
「ふふっ。公爵様ともあろうお方が、随分と非効率ですね」
ルネは彼の広い胸に顔を埋め、そっと目を閉じた。
「なら、私たちの未来は『最適化』の対象から外しましょう。無駄が多くても、少しばかり非効率でも……何か問題が起きるたびに、二人で相談して、少しずつ直しながら生きていけばいいんです」
完璧な完成品など、この世には存在しない。
だからこそ、壊れず、止まらず、いつまでも手を入れて共に歩んでいける構造こそが、最も美しいのだ。
ルネは彼の胸に頬を寄せた。テーブルの上では、二人の名が並ぶ契約書のインクが静かに乾いていった。




