第41話 王冠塔を、綺麗に止めてください
国境主幹結合所の地上に急造された仮設の制御テント。
外の喧騒を背に飛び込んだルネは、息をつく間もなく通信卓に駆け寄り、監査鏡板を起動した。
「セレネス王都、王冠塔の魔力動態データをこちらへ回して!」
画面が切り替わり、王都の中心にそびえ立つ王宮の象徴『王冠塔』のリアルタイムデータと簡易図が映し出された。
その数値を見た瞬間、ルネの表情が凍りついた。
「……なんてこと。完全に逆流ポンプになっています」
建国以来の魔法建築である王冠塔の心臓部――巨大な単核式システムは、地脈の逆位相魔力を限界を超えて吸い上げ、風船のように不気味に膨張し続けていた。このままでは塔が耐えきれずに自爆し、王都全体を吹き飛ばす規模の魔力爆発を引き起こす。
「なら、一刻も早く塔ごとぶっ壊して魔力を散らすしかねえ!」
背後からテントに入ってきたゲルトが叫んだが、ルネは強く首を横に振った。
「駄目です! 物理的な破壊や爆破を行えば、内部で圧縮された莫大で致死的な魔力が、行き場を失ってそのまま市街地へ降り注ぎます。まだ避難が終わっていない市民が、魔力の雨で全滅してしまいます!」
必要なのは、力任せの破壊ではない。
限界まで空気が入った風船から、順序を守って圧力を抜くような停止作業だ。急に全量を上空へ放散すれば、塔内部の圧力差で下層が内側へ潰れる。八割を塔頂から逃がし、残る二割を接地された主幹線へ段階的に戻して、国境の多点格子で受け止める必要があった。
その二割が国境結合点へ向かうことは分かっている。分からないのは、反転中の地脈と重なった時の波形だった。
「通信を王宮の中央制御室へ繋いでください。アルベルト殿下へ」
ルネは通信機を握り、厳しい声で呼びかけた。
『エルフォードか。状況はどうなっている』
ノイズ混じりの通信機から、アルベルトの緊迫した声が響く。
「単刀直入に申し上げます、アルベルト殿下。王冠塔の機能を、この場で永久に停止させます。……塔の建造物そのものは残りますが、内部の旧式単核結界は解体され、二度と起動できなくなります。王家の象徴を殺すことへの、廃止許可を」
王冠塔は、セレネス王家の権威そのものだ。それを完全に機能停止させるということは、セレネス王国が誇ってきた魔法列強としての覇権の終わりを意味する。
通信の向こうで、アルベルトは一瞬だけ息を飲んだ。
あの完成式典の日。彼は「王家の面子」と「建設院の安全証明」を何よりも優先し、結果として専門家であるルネの警告を握り潰した。
だが、今の彼に迷いはなかった。
『……王冠の象徴性など、市民の一命に比べれば羽毛より軽い』
アルベルトの力強く、決然とした声が返ってきた。
『王太子として、王冠塔の永久停止を承認する。……やってくれ』
「許可を確認しました。これより、遠隔での術式解体手順に移行します」
接続された監査鏡板を介せば、【構造眼】で王冠塔の大まかな流れを追うことはできる。ただし距離に応じて像は粗くなり、ここから王都の線を【再配列】で直接組み替えることは不可能だ。
だからこそ、ルネは事前に現地の人間が動かせる『仕組み』を仕込んでいた。
「王太子直轄技師班、応答してください。監査鏡板のデータはそちらでも見えていますね?」
『はい、院長! 各層の非常遮断点に人員を配置済みです!』
災害前の遠隔講習を受け、王都に独立蓄積槽で動く非常遮断点を取り付けた若き技師たちが、鏡板越しに力強く応答する。
ルネは画面に次々と表示される各層の魔力負荷の数値を読み取り、頭の中で巨大な立体パズルを解くように、秒単位の遮断順序を組み立てていく。
「第三層、副次ライン切断。続いて第五層、冷却機能を維持したまま主回路をパージ!」
「第二回路の干渉値クリア。魔力逃がしの安全余裕、よし!」
ルネの口から弾き出される指示を、隣の席に座ったセドリックが驚異的な速度で検算し、安全を裏付けていく。かつては王都一の魔法建築家としてルネと争った男が、今は最高の頭脳として彼女の計算を完璧に支えていた。
「ノルガルド国境側の主幹線の切り替えは完了している。二国間の専用通信帯域も完全に固定した」
背後に立つレオンが、盤石の態勢を整えた上で、最終的なゴーサインを出した。
「指示通りに実行しろ。万が一失敗した時の受け入れと、あらゆる政治的責任は私が負う。……一切の迷いなくタクトを振るえ、ルネ」
「はい!」
ルネの指示を受け、王冠塔の内部に散った直轄技師班の若者たちが動く。
『第三層、パージ!』
『第五層、遮断完了!』
彼らはルネから叩き込まれた実機訓練の通りに、パニックになることもなく、互いに復唱確認を取りながら番号順に遮断レバーを落としていく。
ルネの構築した緻密な解体順序と、訓練された人間の手による確実な作業。それが、爆発寸前だった王冠塔の各層の圧力を、少しずつ、だが確実に抜いていく。
「……魔力残量、臨界点を下回りました。次で最後です」
ルネは最後の遮断手順をセドリックに復唱させると、携帯型監査鏡板を掴んだ。
「ここから先の塔内数値はお願いします。最終負荷は国境側へ来ます。アルベルト殿下、最後の鍵は、私が地下結合点へ到達して合図を出すまで待ってください」
『了解した。最終操作を待機する』
セドリックが塔内残量の監視を引き継いだ。ルネは通信を繋いだままテントを飛び出し、地下制御室への直通階段を駆け下りた。
結合装置の前に立ち、携帯型鏡板を架台へ固定する。塔内残量がまだ停止可能な範囲にあることをセドリックと復唱確認してから、ルネは通信機へ叫んだ。
「アルベルト殿下! 中央制御室の『永久停止用主遮断鍵』を回してください! 王家の魔力波形による認証が必要です。最後の操作を、お願いします!」
『分かっている。……今だ!』
アルベルトが全霊の力を込めて、永久停止用主遮断鍵を回し切る。彼はもはや、かつてのように素人判断で技術へ介入しない。自分にしか担えない権限処理に徹し、ルネの停止手順を最後まで支えていた。
ガキンッ、という重い音が、通信機越しに国境まで響いた。
その瞬間。
王冠塔の外壁を覆っていた装飾環の警告光が、上層から順番に、音もなくフッ、フッと静かに消灯していった。
極限まで圧縮されていた致死的な魔力は、ルネが計算し尽くした安全な放散ルートを通り、塔の頂上から夜空へと向かって、幾何学的な光の扇となって美しく散っていく。
爆炎も、轟音もない。ただ静寂だけが訪れる。
威厳ある建物は目立つ損傷もなく悠然と立ったまま。だが、セレネス王国が長年世界に誇ってきた独占規格の「心臓」だけが、この瞬間に完全に死を迎えたのだ。
『……全層の消灯を確認。主基盤の完全停止、成功しました!』
通信機から、技師たちの歓声と、アルベルトの深々とした安堵の息が漏れ聞こえてきた。
ルネもまた、張り詰めていた肩の力を抜こうと息を吐き出した。
だが、その直後だった。
ビーッ、ビーッ!
ルネの目の前にある国境結合所の遠隔盤が、突如として耳を刺すような警告音を鳴らした。
「っ!? これは……!」
ルネの顔が硬直する。
塔頂から逃がした八割は夜空へ散った。だが、主幹線へ計画的に戻した二割が、反転中の地脈から新たな逆位相を誘導し、予測を超えて増幅していた。ほかの越境接続が閉じる中、その複合波は唯一開いた低抵抗経路である『国境主幹結合点』へ集中している。
遠隔盤のモニターが真っ赤に染まり、『接続不足』という致命的なエラー表示が激しく明滅する。
遠隔からの指示や、事前のマニュアルだけでは処理しきれない。
未知の魔力が直接激突する最終事象が、ルネのすぐ目の前まで迫っていた。




