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1 隠しファイル(1)【朝太の場合.txt】

 生まれつきの赤髪はきっと、前の世で悪い事をしたからだろう。

 

 山の中で暮らしていた。土間と、板敷の六畳間と、奥に二畳間。父と母、五人の兄と姉、そして一番下がおれだった。

 空腹のことだけ考えて生きていた。

 全員が腹を満たすことは出来ない。おれは一番年下で体が小さいから、食わす必要はないと言われた。体の大きい兄はどんどん育ち、おれはいつまでも痩せっぽちの枯れ枝のようだった。

 身につけていたものは着物なのか雑巾なのか見分けがつかない。おれは全ての兄弟が順々に使い倒した着物を一番最後に貰うから、一番薄汚れていた。たまには綺麗な着物が欲しいと母にいうと蹴られたりもした。

 父が死んだ。足を滑らせて谷底へ落ちた。

 それさら少ししたある日、母はひとり、山を降りて行った。しばらくして化粧を施し美しく髪を結ったきれいな着物の女が現れた。兄弟たちの手を引いて出て行こうとしたので驚いて見ていると、その女は母だった。

「あるお優しい方がね、かあちゃんを世話してくれるって。あんたたちも連れて来ていいって」

 貧乏から抜け出せると兄や姉は大喜びして荷づくりをし始めた。おれもそれに倣って、荷物などはなかったが、ボロ雑巾の着物の上に気持ちだけ羽織を身につけて草履を履こうとすると、

「お前はここで待つんだよ」

 と言われた。

「どうして? おれも行くよ」

「かあちゃんやにいちゃんはさ、お前の髪のことは見慣れてるから何とも思わないが、あの方が突然お前のそれを見たらきっと驚くね。そしたらやっぱり一緒には暮らせませんってなるかもしれないだろ」

 久しぶりにまともに目を見て話してくれた母のその声にはいつもの棘がなく、そしていつもにはない柔らかさがあった気がした。いけないと分かっていたがつい甘えてしまった。

「かあちゃん!」

 泣いて縋ろうとしたその手をピシャリと叩かれ、

「やめて!」

 と拒まれた。それから、「お前は優しい子だね」と確認をされた。うん、というほかなかった。

「かあちゃんがあの方に見離されてもいいと言うの。そんな非道いこと言わないだろう」

「この髪がいけないんだだったら、剃るよ。毟るよ。迷惑かけないようにする。頼むから置いていくなんて言わないで」

「ああ、もう! うるさいね!」

 ここに居なさいってば!

 母はとうとうおれの胸を押して板間に転がした。兄たちは見向きもせず、いくぶんか胸を張って母のあとについて家の扉をくぐって行った。

 晴れていた。山を降りていくその母の、背を彩る帯の艶やかさ。頭の高いところで結われた髪。太陽がかんざしに跳ね返っておれの目を刺した。


 もともと疎まれていた。憎まれ口を叩かれるほかは家族と口もきかなかった。それでも誰も居ない家は、母の機嫌を伺わずに済む朝は、姉の仕事を手伝わずに済む夕方は、兄の鼾に苛まれない夜は、長く、静かで、広く、寒く、独りだった。

 けれど親切な人がいた。おれの住む村には、どこも似たような様子の百姓の家族がぽつぽつ住んでいた。耕すだけで一日が終わり、皆くらしに余裕などなかったが、哀れに思ったよその人が時々気にかけてくれ、なにくれとなく恵んでくれた。

 寝て起きて食べるだけならば、まえと変わらない日々を過ごせた。痩せた畑から根菜をとり、近くに住む人が鶏をくれ、時々塩や味噌を恵んでくれた。寂しさに暮れる間もなく生きるために食い繋いで、食い繋ぐために生きた。

「かわいそうだよ、こんな小さい子が」

 とよその人は泣いた。この人が泣くのに、どうしてかあちゃんは泣いてくれなかったのだろうと思った。

 世話してくれるその人の優しさに縋りたい気持ちはあったが、向こうにも家族と子供がいる。その中には入ってはいけない。

 それに、おれの母はあのかあちゃんだけだ。いつか迎えに来てくれた時、おれが違う人をかあちゃんにしていたら、ほんとのかあちゃんは嫌な思いをするだろう。だから出来なかった。出来ないけれども、やはり時々笑顔で元気かい、と訊いてくれたり、里に降りて買ってきたという魚の干物をくれたり、薪割りを習ったり、畑の作り方を教えてもらい、そうしたら生きていけると知った。

 

 ある日水たまりに、自分の顔を写した。

 水溜まりのおれの髪の向こうに、透き通る青空が映っている。カエルがその中へ飛び込んだので、わっ、と嬉しくなった。

 憎たらしいこの髪がいけない、こんな風に産んだのは母ちゃんのくせに、どうしておれだけが悪者なんだ。以前はそう思ったけれど、そう考えるのはもうよそうと思った。

 村のみんなは誰も皆似たようなボロ布を身につけていたけれど、家族に置いていかれた子供は一人もいなかった。子供が親と居るのを見ると、なぜおれは一人なのだろうと考えた。

 髪が赤いから置いて行かれたんだ。では髪が赤く生まれたのは何故だろう。前の世でとびきり悪い事をした罰だろう。自然とそう思った。おれはきっと、とんでもない悪人だったんだろう。だから、こんなに今大変な苦労をすることになったんだ。なら仕方が無い。理由が分かると、自分の生まれを呪う必要がなくなって、心が楽になった。

 人を恨まず、憎まず、心を綺麗にして、頑張って生きていこう。

 体は大きくないけど、薪割りもできる。水も運べる。生きていける。

 この髪も母ちゃんも何も悪くない。お天道様は、おれが心を入れ替えて、きちんとした人間になるのをきっと見守って下さっている。村の人に感謝して、挨拶をして、小さい子には優しくして、大人の人には礼儀正しく。そうして一人でも立派にやっていれば、それを見た母ちゃんが「これならもう旦那様も認めてくださるだろう」とおれのことを迎えに来てくれるはずだ。


 一人で暮らすのが当たり前になった。

 体が少し大きくなると、以前は難儀だったことも容易くこなせるようになり、暮らしは楽になったとは決して言えないまでも、身を切るような痛さ辛さの感覚は少しずつ減った。体が頑丈になったのだ。大きくなった。そう思ったのがいけなかった。

 おれはその日、少し村から離れたところに山菜を採りに来ていた。近所のおばさんにあげたかったのだ。強くなった足はどんどんと山の方へおれを運ぶ。山の恵みはおれをどんどん奥へ誘う。しかしその分帰り道が遠かった。春の冷たい雨に降られ、散々体を冷やした。

 寝転んで綿入れを被るが体は冷える一方だ。ガタガタと震えが止まらない。寒い寒い。と泣いていると、おでこに柔らかい手のひらが当てられた。それは夢かも知れないが、そこからじわじわと熱が全身に広がり、手指の先がぽかぽかになると、今度は熱い熱いと苦しんだ。

 起きた時にはもうすっかり体が元気になっていた。

 かあちゃんが来てくれたのかなと思ったけれど、誰もいなかった。

 

 一度は元気になったのに、その日から寝込むことが増えた。時には咳が止まらなくなり、そんな日は畑の世話があまり出来なくて、いくつも野菜をだめにした。起きられるようになってからようやく見にいくと、小さく若い苗が風に倒され、根がむき出しになってほとんど萎れていた。

 おれは世話できなくてごめんねと何度も謝った。ちゃんと、育ててあげたかった。


 食うものがなくとも冬はくる。

 ある日夢の中に、一人の少年が現れた。少年は黒い服の男の人に連れられて、おれの家に入ってきた。

 その二人はおれに「友だちになろう」と言った。その子は、おれとそっくりの赤い髪をしていた。

「お前もかあちゃんに捨てられたのか」

 と聞くと、「かあちゃんはいない」と答えた。

 よく分からなかったが、おれは夢の中でその子と遊んだ。走り回って虫を捕まえた。泥の中で跳ね回った。

 散々遊び散らかして、帰ってから「泊めてやってもいいけど、おれんちもうすぐ食べ物なくなるんだ」と言うと、男の人が「持ってきたから食べなさい」とたくさんの野菜と米をくれた。

「米だ!」

 と跳ね起きると、やはりおれは一人だったので、そのときばかりは泣いた。しかし、土間に野菜と少しの米が置いてあった。おれはそれを、乾燥させた山菜といっしょに、いつも世話してくれるおばさんに届けた。なんだかおれには必要がない気がしたからだ。


 その日以来、夢の中で赤い髪の子に会って、よく遊んだ。男の人も必ず一緒にいた。ある日、桶に組んだ水にフナを入れて、その子と眺めていると、水面にまったく同じ二つ顔が写っていた。

「同じだ」

 と口を動かしたのがおれで、うん、と頷いたのがその子だった。

「知らなかった。おれたちどうして同じ顔なんだろう」

「それは、お前がおれだからだよ」

 とその子は言った。

 よく分からなかったが、やはり起きると土間には食糧が置かれていた。それをまた、おばさんにあげた。


 起きられない日が多くなって、ますます夢をみる時間が増えた。不思議と腹は減らない。

 夢の中でさえ、おれは起きることができない。そんな夢の中で名を聞かれた。

朝太(あさた)

「あさた。あさた……」

「朝に生まれたから朝太なのってかあちゃんに聞いたら、違うって。生まれた時から化け物みたいに赤い髪をしてたからだ、わたしじゃなくて太陽がお前を産んだんだって。そんなことってあるのかな」

 と笑うと、

「違うよ」

 とその子は言った。

「朝太はちゃんと、かあちゃんから生まれたんだよ。朝太はかあちゃんの子だよ」

 と言うので、おれはぼろぼろと泣いてしまった。その子はおれを抱きしめてくれた。

「朝太のなまえ、好きだよ」

 どうして夢の中にしかお前は来てくれないの。どうして、起きてる時には会いに来てくれないの。そう聞くと、だったら本当に行くよ、と言うので、待ってると答えた。


 起きて厠にいき、戻るとその子がいた。男の人もいた。

「朝太、びょうきなんだね」

 と言うので、

「おれは多分もうあんまり生きられないと思う」

 と答えた。もうずっと前から小便は真っ赤だ。治らない。治らなくていい。

 起きていられなくて、せっかく二人が来てくれたのにおれは寝床に入った。

「いつも遊んでくれてありがとう」

 そう言うと、その子は泣いてしまった。

 遊ぶって楽しい。ただ一人で生きるより、誰かと一緒に過ごす方が楽しい。人の世の楽しみを、おれは今、生まれて初めて知った。

「死なないで朝太」

「ごめんね」

 男の人は無言だったが、目が優しくて、俺やその子を憐れんでいるのが何となく分かった。

「朝太、今日は大事な話があるんだ」

 とその黒い着物の人は言う。

「嫌だと思うなら朝太に迷惑はかけない。けどよければ、この子に力を貸してやって欲しい」

「いいよ、何? おれ、もうすぐ死ぬけど、それでも出来るかな」

「お前はもうすぐ死ぬ。それは避けられない。今は辛いだろうがじき楽になる。……死んだら、その体と名前をこいつにくれてやって欲しい」

 おれが死んだらおれの体は魂が抜けてからっぽになる。その後の体をくれと。

「その体の中に、こいつが入る。入れてやって欲しい。こいつも俺も人じゃない。人の体をもたないから、体が欲しい。けど、朝太が嫌だと言うならしない。看取った後でちゃんと弔う」

 どうする? と聞いてくる。

 おれは何のことか分からなかったが、いいよと答えた。

「死ぬ前に、また遊びに来て欲しい」

 そう言うとその子は泣いて、毎日来るよ、と言った。


 それから数日の間、その子は毎日遊びに来てくれた。おれは毎日幸せに遊んだ。

 夢の中ではおれは元気で、もう冬のはずなのに、暖かい春のようだった。死ぬ前に、楽しいことがたくさんあった。ちゃんと真面目に生きててよかった。盗みをしたり殺したりせずに、真っ当に生きたことがおれの誇りだ。 

 うまいものは食べたことがないし、綺麗な着物を着たり清潔な布団で寝たことはない。たった一人この世で一番優しくして欲しかった人に、優しく撫でてもらったことはないけれど、あったかい日差しの中で、許される時間の最期のひとときまで友達が傍にいてくれて、遊んでいられるのが幸せだ。一人で死ぬんじゃなくて本当に良かった。


 朝太、朝太、とその子が呼ぶ。

 死んだら、この体あげるよ。待っててね。

 ひょろっちくて、あまり立派ではないけど。


 お前、おれの体で、なにすんの?

 

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