83 ミン、覚醒する 前編
――チュン、チュン。チュチュン。
小鳥のさえずりに耳を撫でられ、夢の中をゆうゆうと泳いでいた意識が徐々に覚醒する。
人肌かと思うぐらい暖かい寝袋から両腕を突き出し、俺は大きくあくびを――
「って、おおおおおおいいいいいいいいいぃ!!!」
俺はスポンと黒ひげ危機一髪のごとく勢いよく寝袋から飛び出した。
「……おはよう、フーン」
どうりで不自然に暖かかったわけだ。
本当に人肌が俺の寝袋の中に入っていたのである。
「ミン、いつからここに居たんだ?」
「ずっと、一緒……最初から」
影が薄すぎて記憶に残らない女、ミンは眠たそうに瞼をこすりながら、するすると体を蛇のようにくねらせて寝袋の中から這い出て――って、おおおおおおいいいいいいいいいぃ!!!
俺は条件反射的にくるりと反対を向いた。
あれだけ魅力的な女体に、マフラーしか装備していないとか、小心者の俺が直視できるわけがない。
「服、着ろ! 服!」
「やだ……」
「やだじゃないから! 俺が買ってやった服があるだろ? あれを着ろよ!」
「恥ずかしい……」
「いや、マフラーのみの方がよっぽど恥ずかしいから!」
本当にこいつの思考は理解できない。
見えていないとわかっていても、他人の前で裸体を堂々と晒す方が絶対に恥ずかしいだろ……。
「なんなんですか? まだ早いのに、やけに騒がしいですね……」
部屋の反対側で寝ていたベルディーが目を覚ました。
昨日も夜遅くまで、あのよくわからない電子カードをいじっていたのか、彼女はまぶたにドス黒いクマができている。
「そうだ、ベルディー。こいつに服を着るよう説得してくれ。ミンが裸のまま行動するようになったのも、お前がこいつのパラメーターを設定ミスしたせいだろ? 責任取れよ」
「あ? ああ、ミンさんですか。初めましてです」
「だ、誰……?」
ミンは見たことがない天使に気づくと、顔を青くし、マフラーを脱いでその場から姿を消した。
「寒くないんですか、それ?」
ベルディーは誰もいない虚空へ向かって質問を投げかけた。
「ミンのことが見えるのか?」
「見えるも何も、感じ取れますよ。天使には感情を物理的に感じ取れる第六感がありますからね」
そんな第六感があるのに、いつも俺の感情を逆撫でするようなKY発言を連発するのはなぜなんでしょうかね……。
床に落ちていたマフラーがすーっと浮かび上がり、何もない空中でくるっと自らを巻くと、さっき消えたミンがまた姿を現した。
「……驚いた。消えても忘れない」
「まあ、わたしはここではちょっと例外ですからね。それより、さっきの質問ですよ。それ寒くないんですか?」
「……大丈夫。夜は寒い。でも、フーン暖かい」
「いや、毎晩俺と一緒に寝られたら困るから! ちゃんと服を着てくれよ……」
「そうですね。そんな風に浮雲さんにばかり頼るのはよくないと思いますよ。もし浮雲さんがいなくなったら、どうするんですか?」
「……大丈夫、フーン守る」
「いや、そうじゃなくてですね……。常識的に考えて、四六時中ストーカーするわけにもいかないですよね?」
「……どうして?」
「そうですね。例えばもしあなたが浮雲さんに邪魔だから、どっか行けと言われたらどうするんですか?」
「俺がそんなひどいこと……むぐぐぅ」
するわけないだろと言おうとしたら、ベルディーが羽を俺の口に突っ込んだので、最後まで続けることができなかった。
「……大丈夫、フーンはそんなことしない」
「そう思いますか? ですが、浮雲さんもいずれ結婚して、子供ができて、立派な社畜……じゃなくて、社会人として生きていくようなことになるかもしれません。そうなると、ミンさんのことまで世話を焼けるほど、暇ではなくなってしまうかもしれませんよ?」
「……大丈夫、フーンと結婚する」
お、俺と、け、けけけけけけ結婚!?!?!?
い、いや、で、でも俺にはメルリンという心に決めた女性が……。
「コミュ障の極みであるあなたが、結婚なんてできると思っているんですか? ほぼ姿を現してくれない妻なんて、浮雲さんに迷惑をかけてしまうだけですよ」
「……!? 本当?」
顔面蒼白となり、ミンは助けを乞うように俺を涙目で見てくる。
どう答えればいいんだ……。
本音を言っても、お世辞を言っても、悪い結果になるのが目に見えてる。
「ま、まあ、仮定の話だが、確かに苦労はするだろうな」
「それは……困る」
ミンは頭を抱えて、その場にうずくまってしまった。
「だから、そうならないように今から特訓するべきなんですよ! これからは服を着て、しっかりと人と触れ合うことを心がけるべきです」
「……う、うん。了解」
「ミンさんには素質があるんですから、頑張ればいずれとても魅力的な女性となり、浮雲さん程度のゴミ男は掃いて捨てるほど手に入るようになりますよ」
よかった、よかった。
最後のセリフが余計だが、ベルディーがうまい感じにまとめてくれた。
適当なことばかり言う無責任で役立たずなやつだと心の底から思っていたが、こんな特技があったんだな。
1ミリぐらい見直したかもしれない。
――ガチャン。
「おはようございます、フーンさん! 朝ごはんの準備が……」
「「「あっ」」」
扉を開いて俺の部屋に踏み込んできたメルリンが石化したように固まった。
ミンが事態に気づいてすぐにマフラーを外して姿を消したが、時はもうすでに遅し。
「フーンさんのバカァー! 変態、最低、色魔!」
「ちょっ、メルリン!」
俺は泣きながら逃げていくメルリンを追いかけ、階段を下りきったところで彼女の腕を掴んだ。
「さっきのは誤解だ!」
「……誤解ってなんのことですか?」
「いや、だからさっき俺の部屋で……」
ちょっと待てよ。
何か様子がおかしい。
「あれ? 私、どうして泣いているのでしょうか?』
そうか、わかったぞ!
ミンのチャームの低さのおかげでさっきの不祥事は記憶に残らず、綺麗さっぱり忘れられてしまったのだ。
助かった……。




