47 さようならベルディー その4
「そのケパスコは貴方のものですか?」
お嬢様は手に持っている、閉じた花柄のパラソルをクソ犬へと向ける。
「え? いや、知り合いのケパスコです」
なんだ、つまらん。
どうやら彼女が興味を示していたのは、俺ではなくクソ犬の方だったらしい。
「そうなのですか」
お嬢様はケパスコの前に屈み込み、とろけるような視線をクソ犬にじーっと注ぐ。
何をそんなに興味深そうに観察しているのやら。
ただの犬だぞ?
「美しい毛ですね。撫でても宜しいでしょうか?」
「別に構わないですよ。どうなっても完全に自己責任ですけどね」
俺が少しでも触れたら瞬時に噛むからな、あいつ。
あんたが同じように噛まれても自業自得だ。
「本当ですか! ありがとうございます!」
少女は天使のような笑みを浮かべ、やけに嬉しそうに声のトーンを上げた。
やれやれ……こんなクソ犬のどこが良いのだろうか。
お嬢様は右手に嵌めていた白い手袋を外す。
すると華奢で優雅な薄白い指があらわになり、彼女はそれを使ってケパスコの体にそっと触れた。
「キャ、キャウン……」
俺が触ろうとしたら瞬時に拒絶するくせに、ケパスコは情けない声を上げながら、満更でもなさそうに舌をべろんと垂らした。
安定のクソ犬だ。
「まあ、なんて美しい毛並み。まるで、上質なシルクのような見た目と肌触りですわ」
お嬢様はケパスコの目を隠している毛をすくい上げた。
「まあ、なんて凛々しい瞳。まるで、異国から訪れた王子様の目のようですわ」
次に彼女は恍惚とした表情を浮かべながら、ケパスコの尻尾を……妙にいやらしい手付きでにぎにぎしだした。
「まあ、なんて立派な太い尻尾。まるで、殿方の――ピー!――」
まさか海外意識にセリフ規制を施させるレベルのことを言ったのか、こいつ。
一瞬、ピーッて明らかに機械音みたいなのが入ったぞ。
何を言っていたのか、もの凄く気になる。
「どうか、このケパスコを私に譲ってくださいませんか?」
「いや、でも俺のケパスコじゃないんで……」
「お代はいくらでも払います」
お、お代?
ゴミを処分するだけで金がもらえるのか?
なら、セタニアには悪いが――
いやいやいやいや。
危ない、危ない。
クソ犬だとはいえ、やっぱり人の物を売ったらだめでしょ。
しかも単なる物じゃなくて、愛情をたっぷりと注がれてるペットだし。
もう少しで、お嬢様の甘い囁きに乗せられるところだった。
「だから、こいつは俺のケパスコじゃ――」
俺が断ろうとすると、突然、お嬢様はすっと立ち上がった。
そしてパラソルを突き出し、それのやけに尖った先端部分を俺の首に向けた。
「お代はいくらでも払います」
彼女の優しい口振りや微笑みを浮かべた表情は一向に変化していないが、行動が明らかにおかしい。
身の毛がよだつような、ものすごい敵意を感じる。
これって脅迫……だよね?
こちらに拒否権は一切ないって伝えようとしているんだよね?
パラソルの先端が少しずつ俺の首に近づいていき、ついにはちくっと俺の肌をつついた。
お嬢様は特に何も言わず、笑顔のまま俺の様子を窺っている。
マジで怖いんですけど。
「わ、わかりました。どうぞ、ケパスコをもらってください」
「ありがとうございます!」
彼女はケパスコを持ち上げてバッグに入れ、代わりにバッグから貯蔵箱を取り出し、その中から引っ張り出した、冗談にしか思えない大きさの純白の宝石を差し出す。
「こちらは私が持つ宝石のなかでも、最も高価なものですわ。では、ごきげんよう」
俺にでっかいジュエルをぽいっと投げつけると、彼女は鼻歌を口ずさみながら、るんるんとスキップしながらここを去っていった。
まずいぞ。
帰った時にセタニアになんと言えばいいのだろうか。
白いケパスコが白いダイヤになってしまった。
***
~盗賊兄妹の馬車の中にて~
「お、兄さん。見てくだせぇ。あそこにでっかいダイヤを持った、ちんちくりんな坊主がいるっすよ。絶対、簡単に盗めるっすよ」
「そんなわけねーだろ。寝言は寝て言え。もしかして、腹が減りすぎて幻覚でも見始めたのか? まあ、むりもねーけどな。仕事が失敗続きで、俺達ここんところ、三日も何もたべてねーからな」
「いや、だから、兄さん。本当ですって」
馬車の床に転がっていた盗賊兄貴は、いかにも気だるげによっこらせと体を起こし、面倒くさそうに外を眺める。
「んな、バカな!」
「ね? 言ったでしょ、兄さん」
「でも、あの坊主。どっかで見覚えがある気がするんだが……」
「あんな冴えない顔をした人はごまんといるっすよ、兄さん」
「それもそうだな。だが、なんとなく体が止めておけって俺に囁いている気がする」
「兄さん、あれはどう見てもチャンスっすよ。兄さんが行かないのなら、あたいが一人で行くっす」
「わかった、わかった。ちょっと待ってくれ、今から武装するからよ」




