第8話:一ノ瀬直也
前日にホワイトボードに描いたリスク分布を眺めながら、オレは深く息を吐いた。
――やはり、最優先は電力会社だ。送電網改修費の負担が決まらない限り、設計フェーズに一歩も進めない。だが、相手の腰は重い。政府補助金の交付が確定しなければ、社内決裁は絶対に下りない。理解はできる。だが、それではプロジェクト全体が足止めを食らう。
「直也くん、どうするつもり?」
亜紀さんの声が落ちる。鋭いが、どこか期待も混じっている。
オレはしばらく沈黙した後、静かに口を開いた。
「国内が遅れるなら――逆に、海外を先行させる。その可能性を見せる事で、逆説的に国内に対してプレッシャーとする事は出来ないかな?」
「海外?」玲奈が眉をひそめた。「まさか……」
オレはホワイトボードに新しい枠を描き、大きく書き込んだ。
【ザ・ガイザース × EGS × エコAIデータセンター】
「そうだ。ザ・ガイザースのEGSプラント構想。あれを“エコAIデータセンター”と直結させるシナリオにする」
二人の視線が一斉にオレに注がれる。
亜紀さんの目は大きく見開かれ、玲奈はタブレットを取り落としそうになっていた。
「……直也くん、正気?」
「リスクが大きすぎるわ。EGSはまだ実証段階よ」
オレは頷き、あえて冷静に言葉を重ねる。
「わかってる。でも考えてみて欲しい。米国第一主義でバイ・アメリカンが叫ばれている中、日本政府は米国との通商関係を維持する見返りとして、米国に“巨額の投資を約束した”はずだ。ところが、国内政治の反発で尻窄みとなり、目論見どおりに自由に米国に投資させる事が出来ない。
米国の現政権からすれば、雇用も増やせないし、かといって、今更日本に対して追加関税を発動すれば、かえって国内雇用が損なわれるリスクも高い。つまり、米国側も日本側も、不完全燃焼のまま停滞している。お互いに“約束不履行”の重荷を抱えているんだ」
ホワイトボードに矢印を走らせる。
【日米投資の約束 → 日米ともに停滞 → 双方ダメージ】
そしてその横に、新しい文字を書き込む。
【突破口:ザ・ガイザース × エコAIデータセンター】
「もしオレたちが、EGSとAIデータセンターをセットにした“次世代型の象徴プロジェクト”を日米協調案件として打ち出せれば……」
マーカーの先で文字を強調する。
「日本政府は、五井物産が主導する“日本の”プロジェクトに対して投資を行い、米国に対して“約束を果たした”と言えるようになる。そして、米国政府は“国内投資を呼び込んだ”、しかも“エコな仕組みによって”実現したと胸を張れる。そしてオレたちのプロジェクトは、“グローバル展開の最前線”に躍り出る」
会議室に沈黙が落ちる。
亜紀さんが腕を組み、ゆっくりと唇を開いた。
「……なるほど。経産省との非公式協議を加賀谷さんと進めた時と同じ構図ね。但し規模は遥かに大きくなるけれど。……政治の停滞を逆手に取って、自分たちを“突破口”に据える……」
玲奈はタブレットを閉じ、真っ直ぐにオレを見据えた。
「でも、それをやるなら――米国DOE(エネルギー省)やカリフォルニア州政府の支援は絶対条件。さらに日本政府からの資金的裏付けも必須。ハードルは……低くないわ」
オレは頷き、ホワイトボードにさらに一本の矢印を描いた。
【国内停滞 → 米国先行シナリオ → 国内圧力 → 双方を一気に進める】
「国内がなかなか動かないなら、海外をカードにする。米国先行のシナリオを作れば、逆に日本の電力会社や行政組織に大きなプレッシャーがかかる。日米強調プランなのに米国が先行してしまう事態は、日本政府からしても看過できない状況となる。そして、オレたちのAIデータセンターは“エコ”だ。……日本の野党も反対はしにくいだろう」
亜紀さんが思わず笑みを漏らした。
「やっぱり、直也くんはただのPMじゃないわね。政治も市場も、まとめて動かそうとするんだから」
玲奈も渋い顔で頷く。
「正直、無茶だと思うけれど……ステークスホルダーの目線で見れば、インパクトは絶大。もし形になれば、このプロジェクトを見ている投資家の空気も一変させられる」
「そうだろ?」オレは笑った。
「無理だと思われているからこそ、突破口になる。オレたちの強みは、そこだ」
オレの言葉に、会議室の空気が一層熱を帯びていく。
玲奈は腕を組んだまま、タブレットを抱きしめるようにして沈黙し、やがて唇を結んで吐き出した。
「……仮にそれが現実になったら、確かに“日米協調の象徴案件”になるわね。投資家の信頼は一気に跳ね上がる。だけど、同時にリスクの塊。直也……あなた、また危ない橋を渡ろうとしているのよ」
亜紀さんはその横で、にやりと笑っていた。
「危ない橋を渡るのが直也くんでしょ? そのために、私たちがいるんだから」
軽やかに言い切る声に、玲奈が一瞬だけむっとした表情を浮かべたのを、オレは見逃さなかった。
「……まあ、いいわ。私の方はDOEと州政府、それに日本政府からの資金的裏付けシナリオを洗い直す。リスクヘッジがなければ、ステークスホルダーの賛同は得られないから」
玲奈がそう言い切ると、場はひとまず収束した。
――ちょうどその時、壁の時計が正午を告げた。
「さて……」亜紀さんが立ち上がり、わざとらしく髪を払った。
「ここまで頭を使ったんだもの。直也くん、ランチ行きましょ? 昨日約束したもんね」
「えっ」オレは目を瞬かせる。
「いや、でも……」
「いいの。頭をフル回転させた後は、糖分補給が必要よ。私が食べさせてあげる♡」
彼女は有無を言わせぬ口調で、オレの腕を軽く引いた。
「……あ、ああ。じゃあ、少しだけ」
苦笑いを浮かべつつ席を立つオレ。
その瞬間――
「……は?」
背後から低い声が落ちてきた。玲奈だった。タブレットを抱えたまま、鋭い視線でオレと亜紀さんを交互に見据える。
「会議の直後に、二人だけでランチですか。そうですか。――でもそういうのって……室長、モラルハザードになりませんか?」
「モ、モラルハザードって……」オレは思わず頭をかいた。
「いやぁ、羨ましいなぁ、新堂くんとランチなんて」
「……は?」
横から慌てて割り込んできたのは、PMO事務局長役のITセクター課長だ。
「ちょっ、次長! こういう時は生暖かく見守るものですよ」
慌てて小声で突っ込むPMO事務局次長役の資源セクター課長。
「僕も食べさせてもらいたいなぁ〜なんちって」
「次長、それは下手するとハラスメント規定に抵触しますよ!」
二人の珍妙な掛け合いに、会議室の一部から小さな笑いが漏れた。
だが玲奈の視線は氷のように冷たいまま。
「……まあ、いいです」玲奈はタブレットをぱたりと閉じた。
「私はステークスホルダーを説得するための資料を作成しておきますから。直也室長――あとでレビュー、必ずしてくださいね」
その声は冷静を装っていたが、頬がわずかに赤らんでいるのが分かった。
「……わかった」オレは苦笑を返すしかなかった。
亜紀さんはそんな玲奈の横をすり抜けながら、勝ち誇ったように小さく囁いた。
「じゃね〜。……直也室長は、しばらく私が預かりまーす。ふふっ♡」
玲奈の拳がわずかに震え、事務局長と次長は顔を見合わせて同時に肩をすくめた。
――政治、資本市場、そしてチーム内の人間関係。
どのリスクも、決して侮れない。




