第88話:一ノ瀬保奈美
――直也さんが、また出世した。
その知らせを最初に教えてくれたのは、亜紀さんと玲奈さんだった。
二人とも顔を紅潮させて、私の手を取って大興奮で伝えてきたのだ。
「直也くんが統括PMだって! 国際プロジェクトの中心になるんだよ!」
「すごいことよ、保奈美ちゃん。普通なら部長クラスの人しかやらないポジションを、直也が任されたのよ」
二人の声は弾んでいて、喜びがあふれていた。
私も嬉しかった。誇らしい気持ちで胸がいっぱいになった。
でも、その一方で……胸の奥に小さな不安が広がっていった。
(……直也さん、大丈夫かな……?)
これまでだって、いつもギリギリまで自分を削って走り続けていた。
それが、さらに大きな仕事を背負うなんて……無理してしまわないか、それが一番心配だった。
その気持ちを隠しきれずにいると、直也さんが静かに笑ってくれた。
「大丈夫だよ。新しいポジションの方が、やりたいことをもっと良く進められるから」
その言葉を聞いて、私はようやく少し安心した。
――直也さん自身が、そう言ってくれるのだから。
※※※
五井アメリカのオフィスには、直也さん専用の部屋まで設けられた。
アメリカでの仕事がこれからどんどん増えるからだという。
「……そうなんだ……」
その現実を前に、少し胸がしんとした。
直也さんが出張に出る機会が増えるということ。
それは、私にとっては――ちょっと淋しいことだった。
でも、直也さんが「立派になる」ために必要なことなら、それは私がガマンしなくちゃいけないことだ。
私は心の中でそう言い聞かせて、笑顔を作った。
(……私は大丈夫。直也さんを支えるって決めたんだから)
だから専用室にいるときは、なるべく大人しくしていようと思っていた。
静かに待って、邪魔をしないように。
けれど――。
亜紀さんも、玲奈さんも、それを許してくれない。
「ちょっと気分転換に行こう」
「外の空気を吸った方がいいわ」
そう言っては、なんだかんだ理由をつけて私を街まで連れ出してくれる。
しかも最近では、五井アメリカのスタッフの人たちまでが私を気にかけてくれるようになった。
「米国大統領と直接対面した女子高生」
「直也さんの美人で可愛い義妹ちゃん」
――そんなふうに噂されているらしく、オフィスの中でも何かと話題になってしまっているのだ。
「ちょ、ちょっと……やめてください……」
耳まで真っ赤になりながら否定しても、皆がにこにこと笑っている。
嬉しいやら、恥ずかしいやら。
穴があったら入りたい気分なのに、どうしてか笑顔になってしまう自分がいる。
(……でも、やっぱり恥ずかしい……)
両手で顔を覆いながらも、心のどこかで誇らしくて、温かくて。
そんな気持ちを抱えたまま、私はまた直也さんのいる場所へ戻っていった。
――これからも、私はずっと。
直也さんを支え続けるんだ。
※※※
――まさか、こんな日が来るなんて。
支社長さんから告げられた時、耳が真っ白になってしまった。
「ホワイトハウスから、正式に招待が届いたんだよ」
「えっ……?」
思わず聞き返した私に、支社長さんは真剣な表情で頷いた。
「来週月曜日、サンフランシスコでのセレモニー。米国大統領が正式に発表する場に、保奈美ちぁん、君も参列するよう招待されている。――しかも、大統領からの要望で、式典の花束贈呈の役を君にお願いしたいとのことだ。これは大変栄誉ある事だよ」
「わ、私が……!? 大統領に……!?」
心臓が一気に跳ね上がった。
頭の中で警報のベルが鳴り響く。
米国大統領に花束を渡すなんて……そんな大役、私にできるんだろうか。
足元がふらついて、思わず椅子に腰を下ろしてしまった。
(ど、どうしよう……緊張で手が震えちゃうよ……!)
その後すぐに、直也さんにも伝えられた。
「保奈美が……花束役になるのか!」
驚きながらも、直也さんは穏やかな笑顔を浮かべてくれた。
「大丈夫だ。保奈美ならできるよ」
「で、でも……!」
声が裏返ってしまう。
亜紀さんと玲奈さんまで顔を寄せてきて、にこにこと私を励ました。
「大統領に花束を渡すなんて、すごいことよ保奈美ちゃん!」
「私たちだって緊張してるのよ。でも直也と一緒なら大丈夫。……ね?」
二人の瞳は真剣で、そして温かかった。
思わず胸の奥がじんわり熱くなる。
(……そうだよね。直也さんも亜紀さんも玲奈さんも、一緒にいてくれるんだ)
それでも、不安は消えない。
私はただの高校生。
これまで大統領なんて、テレビの中でしか見たことがない。
その人の前に立って、きちんと笑顔で花束を渡すなんて……できるのかな。
でも――。
心の奥で、小さな声が聞こえた。
(直也さんが立派になるために、私にできることなら……やらなくちゃ)
大きなことはできない。
私にできるのは、直也さんの隣に立って、支えることだけ。
その気持ちを込めて花束を渡せば、それでいいんだ。
そう思ったら、少しだけ胸のざわめきが落ち着いてきた。
※※※
夜、ホテルの部屋に戻ってからも、胸は高鳴ったままだった。
カーテンの隙間から見えるサンノゼの夜景が、今日はやけに眩しく見える。
「大統領に花束……」
そう呟くだけで、顔が真っ赤になってしまう。
でも、同時に思う。
――これは私の役目。
大統領に花束を渡す“直也さんの義妹”として、胸を張って務めなきゃ。
深呼吸をして、そっと両手を握りしめた。
緊張はまだ消えないけれど、その奥に小さな誇りが灯っているのを感じた。




