第84話:新堂亜紀
――結局、ホテルに戻ったのは深夜を回ってからだった。
オークランドでの出来事の余韻がまだ胸をざわつかせていたけれど、それでも私たちは、簡単にルームサービスを頼んで軽く食事をとり、ようやくベッドに身を沈めた。
直也くんは疲労の色を隠せない表情をしていたけれど、そんな中でも保奈美ちゃんの頭を軽く撫で、「おやすみ」と一言かけるのを忘れなかった。その姿を見て、私は胸が締め付けられるようだった。――あれほど大きなことを成し遂げても、彼の根っこは変わらない。人を思いやり、目の前にいる相手を包み込む。だからこそ、周囲は彼を支えずにはいられないのだと。
※※※
翌朝。
AACに送り届けようとした時のことだ。
保奈美ちゃんは、小さな体を精いっぱい強張らせて、直也くんの手をぎゅっと握り、首を横に振った。
「……イヤです。私は直也さんのそばを離れません」
頑なな瞳。
泣いているわけでもない、子どもじみた駄々でもない。
その真剣な眼差しに、私も玲奈も言葉を失った。
「保奈美……」
直也くんは一度、息を吐いた。
諭すでもなく、怒るでもなく、ただ困ったように笑みを浮かべる。
「……わかった。じゃあ、この部屋にいればいい。仕事の時は、支社長もOKしてくれた訳だし、一緒にオフィスにいよう」
その言葉に、保奈美ちゃんはほっとしたように頷いた。
――彼女がどれだけ直也くんを必要としているか。それを目の当たりにして、私は胸の奥にじんわりと熱を覚えていた。
※※※
午後。
五井物産の社長がシリコンバレー支社に到着された。
スーツ姿で現れたその姿は、移動の疲れを微塵も感じさせない威厳に満ちていて、オフィスの空気が一瞬で引き締まるのを感じた。
支社長室に呼ばれたのは、直也くん、玲奈、そして私。
廊下を歩く足音さえ、やけに大きく響いて聞こえる。
扉の前で深呼吸をひとつ。ノックをして中に入ると、そこには支社長と並んで座る社長がいた。
「ご苦労だったな」
低く、落ち着いた声。
その一言で、全身が緊張する。
――直也くんが一歩前に出て、深々と頭を下げた。
「社長。本日は……ザ・ガイザース視察と、その後の一連の会談について、詳細をご報告いたします」
既に概要は支社長から伝えられている。
だが、私たちだけで臨んだ現場視察、そして大統領との対話の中で交わされた一つひとつのやり取り――。
それを、直接報告する責任があった。
直也くんの声は落ち着いていた。
「まず、ザ・ガイザースのEGS実証設備ですが……現場のエンジニアから、TLSの高度化が実用化の鍵であるとの認識を確認しました。特に、誘発地震リスクの抑制に関しては、AIによる多次元解析が大きな可能性を持つと」
私は社長の表情を横目に見ながら、小さく頷いた。
この内容は、私と玲奈が現地で資料を読み込み、実際に質問を投げて確認した重要な点だった。
玲奈が一歩進み出て補足する。
「実際、ヨーロッパやDOEユタFORGEでは既にAI TLSの研究が進められています。商用化には至っていませんが、“萌芽はある”ことを現場の技術者も認めていました」
社長は黙って頷き、視線を直也くんへ戻す。
「その上で」直也くんは続けた。
「私は、米国大統領閣下に、大規模AIモデルを活用する“次世代AI TLS”をAIデータセンターに付帯条件として組み込み、EGSを商用化のステージに乗せる提案をいたしました」
一瞬、室内の空気が張り詰める。
それが、あの場で大統領に直接伝えた“二番目のプラン”の核心だからだ。
「大統領閣下からは、“確実性が高い”との評価をいただきました。そして、“SPV設置は日本で構わない”との発言も……」
ここで私は思わず呼吸を止めてしまった。
社長の眉が、わずかに動くのが見えたからだ。
――これは、私たちが想像していた以上に、大きな意味を持つ報告になる。
私は手を胸の前で組み、直也くんの横顔を凝視していた。
彼の言葉が、いま世界を、そして私たちの会社の未来を動かしている。
その事実に震えながらも――確信していた。




