第82話:一ノ瀬直也
――大統領がグラスの底を傾け、豪快に飲み干した。
泡の跡が残ったグラスをテーブルに置くと、その表情が一瞬で引き締まった。
「……私はここに、アメリカ合衆国大統領として宣言する」
重みのある声が、静かな店内に響いた。
オレたち全員が、思わず背筋を伸ばしていた。
「この地熱発電にEGSを用いて、AIデータセンターを開発するというプロジェクト――これに対し、日米両政府で既に合意している投資資金を十全に活用し、米国として最大限の支援を行う。そして速やかに進行させる決断に至ったことを、ここで宣言する」
その言葉が耳に届いた瞬間、胸の奥で何かが震えた。
――歴史が、動いた。
思わず息を呑み、拳を膝の上で固く握る。
(……これが、ずっと目指してきた場所か)
大統領はそこでふっと表情を緩め、ニヤリと笑った。
「まぁ、実際のところ、この宣言は後日、君の国の大臣や、君の会社のトップが来た時の“御大層なセレモニー”で正式に発表することになる。それまでは――内緒にしておいてくれよな」
茶目っ気すら漂う声音。
だが、その裏にあるのは確かな決意だと感じられた。
オレは深く頷き、まっすぐ視線を返した。
「もちろんです。大統領閣下」
短いやり取り。
それでも、この一瞬に込められた意味は計り知れない。
背後で、亜紀も玲奈も、保奈美も、息を殺すようにして見守っていた。
オレの胸の奥には、静かな炎が灯っていた。
――大統領がグラスを置き、少し改まった表情でこちらを見た。
「君に渡しておきたいものがある」
そう言って、懐から掌に収まるほどの金属片を取り出した。
重厚な光を放つ円盤――チャレンジコインだった。
そのまま私の手に、力強く握らせる。
「これは、我々が信頼を示す証だ。そして……」
今度は小さな封筒を取り出し、もう片方の手で渡してきた。
中には一枚のカードが収められている。封の上からでも、その重さを感じた。
「シークレットサービスの連絡コードだ。まぁ、そんなものを使わなくとも、君ならやり遂げるだろう。……だが、もしどうしようもない事態に直面したら、遠慮なく連絡してくれ」
――息が止まるほどの衝撃だった。
国家の最高機密を、こうも自然に私へ託すとは。
胸の奥が熱くなり、私は深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。閣下」
「君は……Naoyaだったな?」
「その通りです。一ノ瀬直也と申します」
「うん。Naoya――これからも頼むぞ」
その視線が隣に移った。
「君は彼の妹さんなのかな?」
保奈美がびくりと肩を震わせ、緊張で強張った声を出した。
「……はい」
私は思わず補足した。
「はい、私の大切な義妹でございます。閣下」
大統領はウンウンと大きく頷き、さらに亜紀と玲奈へと視線を向ける。
「君たちは、これからも彼を支えてくれ」
二人は姿勢を正し、声を揃えた。
「「はい、閣下」」
その返答に、大統領は満足そうに笑みを浮かべ、立ち上がった。
「よし、以上だ」
短い言葉を残し、シークレットサービスに囲まれながら店を後にする。
私たちはその背中に深く頭を下げていた。
呼吸すら忘れるほどの緊張が、ゆっくりと解けていく。
――その時。
臨席していた五井アメリカ支社長が、蒼白な顔で崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。
手が震えている。
「……一ノ瀬くん。凄いことだぞ、これは……」
その言葉が、ようやく事態の重さを私の胸に突き刺した。
握りしめた掌の中――チャレンジコインの冷たさと、封筒のずっしりとした重み。
それは、もう後戻りのできない責任の象徴だった。




