第70話:宮本玲奈
――蒸気の音が耳を打つ。
大地の奥から吹き上がる熱を前に、私たちは施設担当者の説明を聞いていた。
EGS――拡張型地熱システム。その実証設備を前にしても、まだ「商用ベースに乗るにはリスクが大きい」という現実がある。
最大の懸念は、やはり誘発地震だ。
直也が、不意に口を開いた。
「……このTLS、AIを使って高度に精緻化することは可能なんじゃないか?」
思わず息を呑む。
TLS――トラフィックライトシステム。
注入圧や微小地震の規模に応じて、青・黄・赤で運転可否を決める安全装置。
だが現状は単純な閾値制御に過ぎない。
それをAIで置き換える――。
「リスクベースで、多次元の判断をリアルタイムに行えれば……限りなく事故ゼロに近づけるはずだ」
直也の声は低く、しかしはっきりとした響きを持っていた。
その視線が横にいる秀介さんへ向けられる。
「秀介さん、AIの専門家の観点から見て、どう思われますか?」
秀介さんは腕を組み、ほんの一瞬だけ考え込んでから頷いた。
「……リスクベースの多次元判断なら、既に今日の技術でできてもおかしくないですね。
時系列の微小地震データ、注入流量、圧力、地下の応力分布。これらを同時に解析して、発震リスクを“予測”するモデル。機械学習を使えば、単純な閾値よりも遥かに柔軟で、精度の高い判断が可能です」
私は秀介さんの言葉に頷き、補足説明を加えた。
「実際に研究段階では、もう始まっています」
視線がヘンダーソンに向かう。担当責任者の彼は目を細めてこちらを見ていた。
「ヨーロッパでは、バーゼルの事故以降、機械学習を使った予測型TLSの研究が報告されています。群発地震のパターンをAIでクラスタリングして、どのクラスターが“危険”に成長するかをリアルタイムに推定する取り組みです。アイスランドでも同様に、深層学習を使って震源分布の動きを予測する試みが進んでいます」
ヘンダーソンが眉を上げた。
「なるほど……既に実験段階では存在するのか」
「はい。そしてアメリカでも」私は続けた。
「ユタFORGE――DOEのEGS実証プロジェクトでは“Advanced TLS”のテーマの下で、機械学習を用いた多次元解析に着手しています。さらに、石油・ガス分野の水圧破砕では、AIを使って注入条件と地震応答を予測し、動的にTLSを改善する試みも始まっています」
「つまり……」直也が言葉を受けた。
「“AI TLS”はまだ商用化されてはいないが、世界中で萌芽は始まっている」
その声に、空気が一気に熱を帯びる。
美沙さんが興味深そうに身を乗り出した。
「じゃあ、それをここに導入すれば……?」
私は深く頷いた。
「そう。今日の大規模AIモデルを活用すれば、従来型TLSよりも遥かに高精度で、誘発地震のリスクを予測的に管理できる。もしそれをシステムとして付帯条件にできれば――」
秀介さんが言葉を継いだ。
「EGS採用を商用ベースに乗せる道が、一気に開けますね」
沈黙。
蒸気の音が、まるで議論の熱を後押しするように響いていた。
ヘンダーソンが大きく息を吐き、ゆっくりと頷いた。
「……君たちの言う通りだ。AI TLS――確かに夢物語ではなく、最新の技術でなら実現可能だろうな。そして、それを前提条件に組み込むことが出来るなら、EGSのリスクは大幅にコントロールできるだろう」
直也がわずかに微笑む。
「ならば、それを“前提条件”として明記すべきですね。AIデータセンターの設置に際し、次世代AI TLSを導入・構築すること。それを商用化の必須条件とする。そもそもAIデータセンターを活用してもらって、その役割を担わせてもらっても良い」
麻里がじっと直也を見つめていた。
その視線の意味は分からない。
だが少なくとも――いま、この場にいた全員が、同じ未来を見つめていた。
私の胸の奥も、熱でいっぱいだった。
(……これだ。これでEGSは、商用ベースに乗せられる)
――しばしの沈黙の後。
最初に声をあげたのは、作業服姿の若いエンジニアだった。
「もし……それが本当に実現できるなら、我々の一番の恐怖がなくなるんです」
彼の手はまだ震えていた。
「毎回、注水の度に“赤信号”を恐れて、ブレーキを踏みすぎてしまう。結果的に効率は落ちるし、計画は遅れる。でもAI TLSで予測的に管理できるなら……私たちも安心して運転できる」
別のベテラン技術者が頷く。
「今までは“どこまで攻められるか”が勘に頼る部分もあった。閾値を越える前に止めるか、それとももう少し続けるか……。その判断で何度も議論になった。だがAI TLSがあるなら、データに基づいて、より正確に線引きができるはずだ。私たちのストレスは相当減る」
さらに別の担当者が言った。
「住民説明の場でも大きいですよ。『AI TLSで常時リスクを予測し、事故を未然に防ぐ』と説明できれば、住民の信頼を得やすい。バーゼル事故以来、私たちは『安全』をどう説明するかにいつも悩んできた。でも、もしこの仕組みを持ち込めるなら――説得力が全然違う」
ヘンダーソンもその言葉に重く頷いていた。
「そうだな。……“もしそれが実現できるなら”の積み重ねが、ようやく現実を変える一歩になる」
私は静かに息を吐いた。
(……これが欲しかった。この現場の“生の声”こそが、将来の交渉材料になる)
EGSの採用は、まだ政治判断の段階にある。
だが、現場の技術者が「実現すれば大歓迎だ」と言っている。
その声は必ず――データや理屈以上に強い武器になる。
直也の視線が一瞬、私に向けられた。
互いに言葉は交わさなかった。
でもその目が語っていた。
――これが“突破口”だ、と。
蒸気に包まれた視察現場で、私は心の奥底に記録を刻んでいた。
今日、この現場の声を残すことが、未来を押し開く鍵になる。




