第6話:宮本玲奈
『……まったく、何なのよ。』
会議が解散になった途端、私はタブレットを抱えたまま溜め息を吐いた。
亜紀さんの“ランチおねだり”発言。しかも直也が、あっさりと「わかったよ」と返した瞬間。胸の奥に熱い火が灯ったようで、冷静さを失いかけた。
――どうしてそこでOKするのよ、直也。
会議の場であんな冗談めかした誘惑に、軽々と頷かなくてもいいでしょうに。
苛立ちを押し隠しながら歩きながらも、頭の中は切り替わりつつあった。
足元のリスクは山積みだ。温泉組合、電力会社、候補地……どれも一筋縄ではいかない。
でも同時に、私にはもう一つ見えているものがある。イーサンからのオーダー――「グローバル展開の『検討』を進めること」。これは、目を逸らせない。
私はタブレットを開き、保存していた資料に指を滑らせた。そこに並ぶのは、直也から相談を受けていた「ザ・ガイザース」の文字。
ザ・ガイザース。
カリフォルニア州北部、サンフランシスコから北へ車で2時間ほどの山岳地帯に広がる、世界最大級の地熱発電地帯。現在でも30基以上の発電ユニットが稼働していて、北カリフォルニア全体の電力を支えている。
ただ、それは既存の地熱リソースを利用しているに過ぎない。問題は、既に多くのリソースが掘り尽くされ、出力が逓減してきていること。
そこで注目されているのが EGS――Enhanced Geothermal System。
自然の熱水ポケットだけに頼るのではなく、人工的に岩盤に水圧を加え、細かな亀裂を広げ、熱源に水を循環させて蒸気を生み出す。
まるで人工的に“地熱の血管”をつくるような発想だ。
リスクは大きいが、実現すれば既存の地熱発電所の何倍もの出力を安定的に引き出せる可能性がある。
直也は以前、私にだけ打ち明けてくれた。
――「もし日本で八幡平のプロジェクトを成功させたら、次はガイザースでのEGSに挑戦しようと考えているんだ。AIデータセンターと直結させて、持続可能な“世界の拠点”を示すために」
その時の彼の目の輝き。あれは忘れられない。
私は指で資料をめくりながら、頭の中でシナリオを組み立てる。
カリフォルニアは投資家コミュニティの本拠地だ。シリコンバレー周辺に「エコAIデータセンター」を据えることができれば、インパクトは計り知れない。
投資家にとっては“自分の庭先”に象徴的なプロジェクトが建つことになる。ROIを語る以上のストーリーを持ち込める。
ただし、EGSはまだ発展途上の技術だ。初期投資は巨額、リスクも大きい。
でも、そのリスクを整理し、数字に落とし込み、投資家の前で説得力ある形に示す――それは、私だからこそできる役割だ。
情緒や政治を切り分けるのは亜紀さんの得意分野。けれど、グローバル資本市場を相手にする視点は、私だからこそ担える。
「……直也。あなたが“未来”を描くなら、私はそれを“数字と資本”に変えてあげる」
声に出さずに、唇だけが小さく動いた。
タブレットには、イーサンからのメールも表示されている。
《U.S. investors expect to see concrete roadmap. Don’t wait too long.》
(アメリカの投資家は具体的なロードマップを求めている。悠長に構えるな。)
心臓が早鐘を打った。時間は限られている。
八幡平の合意形成が長引くのは織り込み済み。だからこそ、同時並行で“次の一手”を形にしなければ。
私は新しいシートを開き、仮のプロジェクションを走らせた。
【ザ・ガイザース EGS × AIデータセンター試算】
• 初期投資:500億円規模
• 発電能力:数百MW(AIデータセンター直結分は100MW程度確保)
• 想定IRR:9〜10%(ただし技術リスク係数を調整)
• 投資家インパクト:シリコンバレー周辺企業とのシナジー、カーボンニュートラルの象徴
数字を並べているだけで、胸が熱くなる。
――これなら、日本の温泉組合の頑なな抵抗とは全く別次元のストーリーを提示できる。
“世界のイニシアチブを握る”という、直也の夢を形にできる。
私は深呼吸し、視線を閉じたタブレットの画面に落とした。
会議中に「ランチ一緒にして♡」なんて言って、直也をたぶらかそうとする亜紀さん。
でも、私には別の戦い方がある。
私はタブレットを抱えて、まだホワイトボードの前に立っていた直也に声をかけた。
「直也……さっきの議論とは別に、見てほしいものがあるの」
振り返った彼の瞳に、少し驚きが走った。
「……もう形にしたのか」
「ええ」私は画面を差し出す。
「ザ・ガイザースでのEGSプラント構想。これを“エコAIデータセンター”と直結させるシナリオ」
彼の視線が数字を追う。眉がわずかに動く。
「……初期投資は500億規模か。IRRは9〜10%……ただし、実効的にはもっと低いな」
「そう。でもDOE(米国エネルギー省)や州の補助があれば成立する。さらに日本政府を巻き込んで“日米協調プロジェクト”にすれば、投資家も納得する」
私の言葉に、直也はしばらく黙っていた。
ホワイトボードの赤や黄色を眺め、やがて小さく息を吐いた。
「オレは足元の対応を優先せざるを得ない。温泉組合も資源セクターが動き出しているとはいえままならないし、電力会社は最優先で対応しなければならない。やるべく事が山積してしまっている。しかし……」
――それでも。彼は続けた。
「……イーサンのオーダーを考えれば、同時並行で“次の一手”を仕込む必要はある」
胸が高鳴った。
「だから私がやるの。DOEとの接触ルート、州政府補助、日本側の支援スキーム。全部私が整理して、直也にも投資家にも示せる形にする。――直也は日本のプロジェクトを優先して動かして。私は米国での事業展開を整理するから」
その瞬間、彼がほんの少しだけ微笑んだ。
「……わかった。最終的なリスクはオレが取る。玲奈は数字を詰めて、公的支援の絵を描いてくれ」
――その言葉を待っていた。
亜紀さんにはできない。
数字を武器に未来を描くのは、私だけの役割。
「ええ。それこそ、私の仕事だから」
胸の奥に熱が広がった。
ザ・ガイザースの蒸気よりも熱い何かが、私を突き動かしていた。




