第68話:一ノ瀬直也
――まだ夜明けの薄明かりが残るサンノゼの飛行場。
格納庫の脇に並んだヘリの機体は、朝露に濡れ、光を反射して鈍く輝いていた。
オレたち7人は、予定通りに集合していた。
亜紀、玲奈、麻里。
そしてAACから大田夫妻。
最後に――保奈美。
前日までに「朝食は軽く」「キャンディーを持参」と周知しておいた。ヘリは気分を悪くすることがあるからだ。
「直也さんらしい過保護スタイル」と玲奈に呆れられもしたが、無用の事故を防ぐための準備は欠かせない。
※※※
出発準備が整い、回転翼がゆっくりと回り始める。
その直前――。
「一ノ瀬さん!」
五井アメリカのスタッフが駆け寄ってきた。息を切らし、タブレットを差し出す。
「ワシントンDCで深夜に動きがあった模様です。……大統領の予定がキャンセルされています。ただし理由は不明です」
一瞬、周囲の空気が張り詰めた。
麻里の視線がすぐにこちらに走る。
亜紀と玲奈も小さく息を呑んだ。
オレは短くうなずく。
「……何れにせよ、今は視察が最優先です。連絡は常時取れるようにしておきます。このまま出ます」
スタッフが「了解しました」と頭を下げる。
オレはそのまま搭乗を促した。
※※※
ヘリが浮き上がり、ローターの轟音が体を震わせる。
視界が一気に開け、サンノゼの街並みが遠ざかっていく。
「……うぅ」
後ろで小さな声。保奈美が顔をしかめ、少し不安そうに体を寄せてきた。
「なるべく遠くを見るようにすると酔わないよ」
オレは耳元に届くように声を落とし、前方の地平線を指差した。
「は、はい……!」
大きく頷いた保奈美が、そのままオレの腕をひしっと掴む。
亜紀と玲奈の視線が横から突き刺さる。
「……仕方ないわね」
「ほんと、過保護だなぁ」
生暖かい笑みを浮かべているのが分かった。
オレは苦笑しつつ、振りほどくこともできない。
保奈美の指先が小刻みに震えていたからだ。
※※※
ふと前を見ると――麻里の視線と合った。
深い黒の瞳が、揺るぎなくこちらを見ている。
挑むでもなく、避けるでもなく。
……けれど、結局彼女は何も言わなかった。
ただ黙って、目を逸らす。
ローター音に包まれながら、オレは視線を遠くへ戻した。
ザ・ガイザースへ。
視界の端で、保奈美が小さく肩を揺らした。
「……うぅ、まだちょっと変な感じです」
震える声。だが、さっきよりは落ち着いている。
苦笑しながら視線を逸らすと、向かいの席に座る美沙が楽しげに笑っていた。
「ふふ、可愛いわねぇ。直也さん、ほんとにお父さんみたい」
「……過保護なだけだって玲奈に笑われましたよ」
そう返すと、大田秀介が低く笑った。
「でもそれがいいんだろうね。保奈美ちゃんにとっても、それからオレたちにとっても」
美沙が小さく頷く。
「こんな大きなプロジェクトに、まだ高校生の子を連れてきてしまうことに、正直躊躇もあったけれど……見ていると分かるわ。あなたに守られているからこそ、保奈美ちゃんは安心して一緒にいられるのね」
保奈美は頬を赤くして「そ、そんな……」と恥ずかしがっている。
その仕草がまた可愛らしく、場の緊張を和らげてくれる。
だが――麻里は違う。
彼女はずっと黙ったままだ。
また視線が一瞬合った。
彼女の眼差しは、氷のようであり、炎のようでもあった。
解釈できない感情がそこにはあった。
――だが今は、踏み込む時ではない。
オレは無言で前へ視線を戻した。
機体は安定した速度で北上を続ける。
窓の外に広がるのは、カリフォルニア特有の乾いた大地と緑の斑。
遠くに山並みが姿を現し、そこに白い蒸気の帯が見え始めた。
(……あれが、ザ・ガイザース)
世界最大級の地熱発電プラント。
地表から絶えず吹き上がる蒸気、その熱を利用した発電。
米国のエネルギー史において象徴的な存在であり――これから日米の未来を左右する盤上の一角。
ヘリは高度を落とし、近隣のヘリポートに向かって旋回を始める。
ローターの轟音がさらに強まる中、オレは一行に声をかけた。
「――間もなく到着です」
保奈美が不安と期待を入り混ぜた目で前を見据える。
亜紀と玲奈はすでに資料を手にしていた。
大田夫妻は窓の外の蒸気を凝視している。
麻里は――やはり黙ったまま、こちらの横顔を見つめていた。
――轟音が次第に弱まり、機体がゆっくりと高度を下げていく。
窓の外いっぱいに広がるのは、白い蒸気の柱。
地表の至る所から吹き上がり、風に流され、また新たに立ちのぼる。
「ザ・ガイザース……」
無意識に呟いていた。
ヘリがヘリポートに接地した瞬間、機体全体がぐらりと揺れる。
スロットルが絞られ、ローターの回転が落ち着いていく。
ドアが開かれた途端、熱を帯びた風と硫黄の匂いが一気に流れ込んできた。
「うわ……!」
保奈美が思わず顔をしかめて、オレの袖を掴む。
だがすぐに目を輝かせて外を見渡した。
「すごい……本当に地面から湯気が……!」
彼女の声は轟く蒸気にかき消されそうだったが、その驚きと興奮は十分に伝わってきた。
ヘッドセットを外しながら外に出る。
足元は黒く湿ったアスファルト、周囲には警告用の黄色い柵。
その向こうでは、巨大な配管が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、遠くで圧縮蒸気のバルブが解放される轟音が響いていた。
「……これが世界最大の地熱発電所、か」
大田秀介が隣で低く呟いた。
その眼差しには、経営者としての鋭い分析と、ひとりの技術者としての純粋な好奇心が混じっていた。
「信じられないスケールね……」
美沙は思わず両手を胸に当てて見上げていた。
まるで観光名所に立ち会った時のように素直な感嘆――だが、その視線の奥には、ここに未来のエネルギーを見出そうとする確かな意志も宿っていた。
亜紀は熱風で髪を押さえながら「これ、資料で見た以上ね。確かにイーサンが言う通り、見ると知るとは大違いってやつね」と言った。
玲奈はすでにカメラを手に、配管の接続部や圧力計に目を走らせている。
麻里は――無言だった。
ただ、蒸気の彼方をじっと見つめている。
その横顔に浮かぶ感情は、読み取れなかった。驚愕か、諦念か、それとも……。
「直也さん……」
保奈美が袖を引く。
「ここで作った電気が……本当に、AIのために使われるの?」
「そうだ」
オレは短く答える。
「ここで得られる膨大な熱と電力を、エコな形でAIデータセンターに供給できれば、世界をより良く変える事が出来る。――そうオレは信じている」
保奈美は小さく頷き、再び蒸気の向こうを見た。
その瞳の奥に、恐れと憧れが同時に宿っているように見えた。
――轟音、硫黄の匂い、熱風。
五感を震わせるこの現場で、オレたちはようやく盤上の一角に足を踏み入れたのだ。




