第67話:一ノ瀬保奈美
――サンノゼの郊外。
静かな並木道を抜けた先に、美沙さんのお宅はあった。白い壁に大きな窓、広い芝生の庭。絵本に出てきそうなほど素敵なお家だ。
玄関のドアを開けた瞬間、温かい空気がふわっと迎えてくれた。
リビングでは、美沙さんのご両親がソファに腰かけていて、その周りでは小さな子どもたちが元気に遊んでいた。
「いらっしゃい、保奈美さん」
柔らかな笑顔を向けてくださったのは、美沙さんのお父様。元総務省の高官だったと聞いて、すごく偉い方なんだと思って緊張したけれど――。
実際に会ってみると、とても気さくで、優しい雰囲気の方だった。
「いやぁ、うちの孫たちとも遊んでやってくださいね」
美沙さんのお母様にそう言われて、思わず「はいっ」と返事をしてしまった。
娘さんの沙奈ちゃんと、息子さんの来夢くん。二人とも元気で、すぐに私の手を取ってくれた。
「お姉ちゃん、こっち!」
「こっちのおもちゃも見て!」
あっという間に仲良しになって、まるで本当の妹や弟ができたみたい。無邪気な笑顔に、私の方が癒されてしまった。
美沙さんが案内してくれたのは、ゲストルーム。
なんと三つもあって、その一つをしばらく私が使わせていただけるという。
大きなベッドに、柔らかい布団。窓からは夕焼けに染まる庭が見える。
「……なんだか、本当に夢みたい」
胸の奥がじんわりと温かくなって、思わず呟いてしまった。
※※※
夜。
オフィスから帰ってきた大田さんを囲んで、リビングには再び大人たちの声が集まった。
私と子どもたちは少し離れた場所で絵本を広げていたけれど――耳に入ってきたのは、難しそうなお話。
「直也さんの進めている大きな案件……少しでも助力できることが何かないかと考えているんです」
大田さんは直也さんの今取り組んでいるお仕事の大切なパートナーだと聞いている。
美沙さんのお父様の声は穏やかだけれど、どこか真剣な響きを帯びていた。
「出来るとしても、この件は経産省事案だからな。自治体が動ける段階なら、まだ総務省に話を通すくらいはできるが……」
「そうですよね……」
大田さんの答えは短かったけれど、その重みは子どもの私にも伝わってきた。
直也さんが背負っているもの。
日本とアメリカを相手に、大人たちが本気で動いている大仕事。
その大きさを、改めて感じる瞬間だった。
私は沙奈ちゃんに「次はこっちのページだよ」と声をかけながら、心の中で小さくつぶやいた。
(――直也さん。私も、せめて足手まといにならないように、頑張らなきゃ)
夢みたいに温かい時間と、遠くに響く重たい会話。
その両方が同じ夜に存在していることが、なんだか不思議だった。
※※※
――夜。
広いゲストルームのベッドに腰を下ろすと、ふかふかのマットレスが体を優しく受け止めてくれた。
窓の外にはサンノゼの夜景。遠くの街明かりが宝石みたいに瞬いている。
けれど、胸の奥は落ち着かなくて――。
私は枕に顔を埋めたまま、心臓の音ばかりを聞いていた。
(……あの時のこと、やっぱり思い出しちゃう)
花火の下で、勢いに任せて口にした言葉。
「直也さん、大好き!」
そして、頬に触れた一瞬の温もり。
あれは――。
義妹として、大切にしてもらっているお礼の気持ちだった?
それとも、尊敬している憧れの人に伝えたくて溢れた気持ち?
……それとも。
(それとも……私、本当に“そういう意味”で直也さんのことを……?)
考えるだけで、顔が熱くなる。
枕を抱きしめて転がってみても、胸の奥のくすぐったさは消えてくれない。
義妹としての「大好き」なら、堂々としていられる。
憧れとしての「大好き」なら、恥ずかしいけど納得できる。
でも――もしそれ以上だったら?
(ダメだよ……そんなの、絶対ダメ……)
分かってる。
直也さんは私の“お義兄さん”で。
私はまだ高校生で。
直也さんは若くして世界を相手に仕事をしていて――。
全然、釣り合うはずなんてない。
でも。
どうしても動悸が激しくなる。
どうしても目で追ってしまう。
どうしても――「好き」って言葉でしか表せない気持ちが、胸の奥に広がってしまう。
私はぎゅっとシーツを握りしめた。
(……直也さん。本当にありがとう。私を守ってくれて、支えてくれて。だから――)
声にはならないけれど、心の中で繰り返す。
「大好き」という言葉の意味を、自分でも探しながら。
夜景が滲んで、目尻が少しだけ熱くなった。
それでも私は、頬を枕に押しつけて、笑ってしまう。
(……困ったなぁ。やっぱり、直也さんのこと、大好きなんだ……どうしよう)
――義妹としてなのか、それ以上なのか。
答えはまだ出ない。
ううん、本当は、答えはもう決まっている気がする。
でもそれは絶対に人には言えない。
自分の胸の奥にそっとしまっておくしかない。




