第63話:一ノ瀬直也
――機内の灯りが落ちて、エンジンの低い唸りだけが一定のリズムを刻んでいた。
周囲から聞こえてくるのは、眠りについた乗客たちの静かな寝息。
隣では、保奈美がシートベルトを締めたまま、肩にすやすやと寄りかかって眠っている。
無防備な寝顔。頬に残る赤み。花火の余韻が、まだそこに焼き付いているようだった。
――そして、あの瞬間。
「直也さん、大好き!」
潤んだ瞳。頬に触れた、柔らかな感触。
胸が大きく揺さぶられた。
オレは、何もできなかった。ただ驚き、固まることしかできなかった。
(……こんなことでは全然ダメだ)
自分の心が揺らいでいるのを、はっきりと自覚していた。
けれど、それを肯定することは許されない。
オレは「義兄」だ。
保奈美は「義妹」だ。
彼女はまだ高校生で、未来がこれから広がっていく存在だ。
オレの役目は、彼女を守り、育て、支え、そして自分の人生を自分の力で歩めるようにすること。
それ以外は絶対にあってはならない。
(“大好き”――あれはきっと、憧れや尊敬の言葉だ。義兄に向けられた気持ちだ)
そう整理して、自分の中で線を引き直す。
……たとえ、それが必死の自己防衛だとしても。
オレは己自身を叱った。
まだ高校生の少女の無邪気な好意に心を揺らすなど、なんと迂闊な。
己自身の未熟さに負けては絶対にならないのだ。
保奈美の寝顔を横目に、心の中で繰り返し言い聞かせる。
――オレは「義兄」として彼女の未来を守る。
その一点を、何があっても揺るがせてはならない。
※※※
その時、スマホが震えた。
機内モードのメッセージ通知――暗いキャビンに小さく光る画面。差出人は五井アメリカ支社長だった。
《本社の了解も得られた。三日後に大型ヘリをチャーター済。サンノゼからザ・ガイザース視察プラン、セット完了》
目を細めてメッセージを読む。
オレは短くうなずいた。
イーサンや麻里の側でアレンジしようと動く可能性が高かった。
だが今回はそれを受容する事はできない。
米国の政権をも巻き込むスキームの中で、五井が主導権を失うわけにはいかない。
視察は、あくまで五井側がリードして行う。
ザ・ガイザース――世界最大級の地熱発電プラント。
サンフランシスコのさらに北、山岳地帯の辺境に位置する。
だがヘリを使えば、サンノゼからでも時間はかからない。
むしろ「自ら足を運ぶ」ことで、交渉の場でも優位に立てるはずだ。
オレはすぐに返信した。
《了解。DeepFuture AI側には別途こちらから連絡いたします》
そしてイーサンと麻里宛に大型ヘリによる視察アレンジの件だけをメールで伝えた。
打ち終えた指先に、少しだけ力がこもる。
……明日からは、もう今回の休日のような時間はない。
気持ちを切り替えなければならない。
明日はAACを再度訪問する。
そこでザ・ガイザース視察の件を報告しつつ、保奈美をしばらくお預けする。
AACの賓客として保奈美を扱って頂ける以上は五井物産が四の五の言う問題でない。
むしろ大切なステークスホルダーの賓客として保奈美は位置づけられる。
大田さんの好意に甘えることにはなるが、今はこれが最善策だ。
窓の外には、真っ暗な空に瞬く街の光。
そこから続く未来を見据えるように、オレは静かに目を細めた。
――休日は終わったのだ。明日からはビジネスの戦場がオレを待っている。




