第58話:宮本玲奈
――プーさんのハニーポット。
はちみつ色の看板、カラフルな入口。もう見るからに「可愛いですよ!」って主張しているアトラクションだ。
そしてその目の前で。
義妹ちゃん――保奈美ちゃんが、両手を胸の前でぎゅっと握りながら、目を輝かせている。
「わぁぁ……! かわいい〜〜!」
その声があまりにも澄んでいて、こっちがやられる。
私と亜紀さん、同時に視線を合わせて。
(ぐぬぬ……やっぱり天使……!)
――ほんとにこの子、反則だ。
暗いアトラクションならビビって可愛い。明るいアトラクションなら喜んで可愛い。
どっちに転んでも「無双」状態じゃないか。
「ねぇ直也さん、見てください!」
並んで歩きながら、いちいち振り返っては直也に笑顔を向ける。
その度に、直也も「うん」とか「そうだな」とか、あの短い相槌で応える。
……はい、無双。
※※※
列が進んで、ハニーポットに乗り込む。
私は後ろの席。前に座る保奈美ちゃんの背中が、もう期待でピカピカ光っているように見える。
音楽と共にハニーポットが動き出すと、彼女は小さな子どもみたいに身を乗り出した。
「見てください! プーさん!」
「ピグレットです! 可愛い〜!」
いちいち大声。いちいち全力。
――でもその無邪気さが、周囲まで幸せにしてしまう。
私と亜紀さん、また顔を見合わせて。
(ぐぬぬ……やっぱり天使……!)
しかも、追い打ちをかけるのは直也だ。
ライドの途中、ひとこと。
「……可愛かったよ」
ただそれだけ。
でも、それを言われた瞬間の保奈美ちゃんの顔。
耳まで真っ赤にして、胸元のペンダントをそっと触れて――。
(……おいおい。天使ちゃん、照れてさらにパワーアップとか反則でしょ!?)
※※※
ライドが終わり、プラットフォームに戻る頃には、私と亜紀さんはぐったりしていた。
体力じゃなく、精神的に。
だって「天使 vs 人間」なんて、勝負になるわけないんだもの。
「楽しかったね!」と屈託なく笑う義妹ちゃん。
その笑顔を見ながら、私は心の中で叫ぶ。
(……ぐぬぬ。やっぱり、天使無双……!)
――どう考えても、この子には勝てない。
※※※
――雪をいただく岩山が目の前にそびえ立っていた。
「マッターホルン・ボブスレー」。ヨーロッパの雄大な山を模した、ディズニーランドでも屈指のスリル系ライド。
パレード見物を考慮すると、このアトラクションがそろそろ最後だ。
列に並び、ボブスレー型のライドに腰を下ろす。
座席は前から大天使ちゃん、直也、亜紀さん、そして最後尾に私。
視界の先で保奈美ちゃんがわくわくした様子で身を乗り出している。直也はその背を軽く支えるようにして、「落ちるから気をつけろ」と声をかけていた。
……その何気ない仕草が、また保護者みたいで。見ている私の胸にも、じんとくる。
※※※
(直也……)
私はふと、心の奥に視線を落とす。
彼と同期になって以来、ずっと近くで見てきた。
おそらく同期で一番直也のそばにいられたのは私。
その彼はいつも、人には優しいのに、自分には誰よりも厳しくて。
AIデータセンタープロジェクトの立ち上げが成功した時、正直思った。
――これでやっと、少しは肩の荷を下ろすんじゃないか。
もう少し、彼は楽に働くようになるんじゃないかと。
普通に考えて、そうするだけでもう直也は上に行ける。
けれど現実は違った。
直也は、さらに加速してしまった。
今や米国で、日米政権を相手にして大きな賭けに出てしまっている。
でもその、魂を削りながら戦う背中に、気づけば私自身が否応なく惹かれている。
……でも、どうしてそこまで?
なぜ、立ち止まることを知らないのだろう?
それをまだ私は理解出来ていない。
もっと理解したいのに……。
※※※
ライドが、ぎしぎしと坂を上り始めた。
冷たい風が頬を打つ。保奈美の「わぁ!」という声が前から響いてくる。
直也は短く笑って「しっかり掴まれよ」と声をかけていた。
次の瞬間――急降下。
体がふわっと浮き上がり、鋭い風が髪を引き裂くように吹きつける。
雪山を模したコースを駆け抜け、岩肌すれすれを旋回する。
「きゃあああっ!」
前の保奈美の悲鳴と、直也の低い笑い声が混ざり合う。
亜紀さんの「うそっ、速いっ!」という声が耳元に届き、私は必死にシートを握りしめた。
トンネルに差し掛かり、暗闇の中から怪物の唸り声が響く。
雪男――マッターホルンの伝説の怪物。
保奈美が短く叫び声をあげ、それに直也の「大丈夫だ!」という声が重なる。
……あの声を聞いて、思う。
誰よりも人を守ろうとする声。
でも同時に、自分の心や体を顧みない声。
風を切りながら、私は目を閉じて心に問いかけた。
(直也……あなたは、どうしてそこまでするの?)
※※※
最後の急降下を抜け、ライドがブレーキをかけて停止する。
体はぐったりしているのに、胸の奥だけが熱を帯びていた。
保奈美は「楽しかった!」と満面の笑顔。
直也は「怖がりすぎですよ」と亜紀さんに苦笑を向け、亜紀さんはむくれ顔で腕を組む。
私はただ、それを後ろから眺めていた。
笑っている。幸せそうに。
――でも、胸の奥ではまだ渦が巻いていた。
ずっと気になっている事がある。
渡米前に直也が言っていた「サンタローザ」という街の事だ。
何故あんな観光名所でもなんでもない街に彼が寄らなければならないのか。
そこにもしかすると、直也が今の直也である理由があるのかも知れない。
そこに行ける時間が作れるか、今は分からない。
でも必要なら私は全力で直也の為に時間をつくるつもりだ。
雪山の頂を振り返りながら、私は小さく息をついた。




