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第4話:一ノ瀬直也

ホワイトボードにキャップを外したマーカーを当てると、室内の空気が静まった。

JVスキームの資本構成はすでに固まっている。だから今日の会議の目的は、それを繰り返すことではない。全体像を一度フラットに俯瞰し、今どこが進んでいて、どこが滞っているのか、そしてこれからの優先順位を全員で共有することにあった。


「まず、大枠のレイヤーを分ける」

オレはボードに三本の水平線を引いた。

上段には “制度・枠組み”、中段には “実装・合意形成”、下段には “運用・回収” と書き込む。


「制度・枠組み」には、既にクリアしている項目を並べる。

•JV設立(資本構成は確定済)

•特区申請ルート:経産省ルートは承認プロセス進行中、環境省ルートも審査段階へ


ここは“緑”だ、と強調するように緑のマーカーで囲んだ。


次に「実装・合意形成」の列に手を動かす。

•自治体との調整(合意ロードマップ:温泉組合説明会 → 還元策提案 → 観光振興基金)

•電力会社との調整(送電網改修費用・負担割合)

•データセンター候補地の確定(盛岡近隣か首都圏近郊か)


「ここが今の“黄色”と“赤”だ」

オレはそう言いながら、黄色と赤のマーカーで項目を塗り分けた。

温泉組合との合意は赤。電力会社は黄色。データセンター立地も黄色。


最後に「運用・回収」の欄へ、まだ先の未来にあるタスクを列挙した。

•段階的モジュール開発(初期投資の分散)

•運用開始後のROI回収

•投資家へのリターン提示、追加投資誘致

•海外展開(シリコンバレー事業者対象?)


「ここは“青写真”だ。いま議論すべきはこの真ん中の層、実装フェーズの停滞だ」


振り返ると、亜紀さんが腕を組んで頷いていた。玲奈もタブレットを見ながら静かに記録を取っている。背後の若手社員たちの視線が、ボードに吸い寄せられているのがわかった。


「オレたちが見失っちゃいけないのは、これは全部で一つの流れだってことだ。特区が承認されても、自治体が首を縦に振らなければ意味がない。逆に、地元と握れても電力会社の承認が遅れれば全体は止まる。どれか一つの成功で安心するんじゃなく、同時並行で全体最適を追う必要がある」


ホワイトボードの全体図を描き終えた時、複雑に絡んだタスクが一本の流れとして可視化されていた。

オレはマーカーを置き、皆に向き直った。


「ここにいる全員の役割は、バラバラのタスクを“つながった線”に変えることだ。赤や黄色はある。でも、それは動かしていける。止まらない限り、前に進む」


その言葉に、会議室の空気がわずかに引き締まった。

そして数秒間の沈默――。


沈黙を破ったのは、亜紀さんだった。


「……直也くんの言う通りね。特区の承認も、自治体との合意も、電力会社の承認も、全部“どれか一つ欠けても止まる”のが現実。財務面の視点から見ても、どのタスクも同時並行で進めなければキャッシュフローが歪むわ」

腕を組んだまま、冷静に言葉を重ねる。けれどその声音には、オレの描いた全体像を肯定してくれている響きがあった。


次に口を開いたのは玲奈だった。


「投資家の立場からすれば、“赤”の存在は何より嫌われるわ。でも……」

彼女はタブレットを閉じ、真っ直ぐにオレを見た。

「“赤”が見えているプロジェクトは逆に強い。隠さず可視化して、どう潰すかのロードマップを提示できれば、納得する投資家は必ずいる」


その言葉に、背後で息を呑む音が聞こえた。

視線をやると、新卒の若手社員がノートを握りしめていた。彼女は恐る恐る手を挙げ、小さな声で言った。

「あの……やっぱり一ノ瀬さんってすごいですね。全部をつなげて“流れ”で見ている人、初めて見ました……」


会議室に柔らかなざわめきが広がる。オレは一瞬だけ苦笑し、首を振った。

「すごいわけじゃない。全部のタスクを“見えたまま”にしているだけだ。大事なのは、これをどう動かすかをチームで決めることだよ」


若手社員の顔が赤くなり、慌てて視線を落とした。その横で亜紀さんが小さく微笑む。

「でも、そうやってチーム全員が自分の役割を理解できる可視化をする人は貴重よ、直也くん」


玲奈も頷きながら、言葉を添える。

「全体最適を見据えて、しかも実務の手触りを失わない。そういう説明ができるから、みんなついていけるのよ」


オレはボードに視線を戻した。赤、黄色、緑、そして青写真。

ここからが本当のオレの戦いだ。


「じゃあ、まず赤からだな」

オレはホワイトボードの左下、“温泉組合との合意形成”の項目を指した。

「ここが崩れると、八幡平の地熱利用は絵に描いた餅になる。組合は観光との両立を一番気にしてる。還元策だけじゃ足りない。どう伝えるかが勝負だ」


亜紀さんが手を挙げた。

「観光振興基金だけでなく、地域雇用の数値を前に出しましょう。新規雇用が年間いくらの所得増に繋がるのか、数字で示せば反対派も黙らざるを得ないはず」


「そうね」玲奈が続けた。

「それに、投資家向けには“地元合意がどれだけ進んでいるか”が指標になる。説明会の日程や出席者数をタイムラインに乗せて、定量的に示せるようにした方がいい」


オレはホワイトボードに追加で書き込む。

【観光振興基金 → 年間2〜3億円】

【雇用創出効果 → 初期50人(うち地元6割)】

【説明会進捗 → 出席率/賛否比率を定量化】


背後で若手社員が勇気を出して口を開いた。

「あの……組合の方って、やっぱり年配の方が多いですよね。数字だけじゃなくて、生活に寄り添った説明の方が伝わるんじゃないでしょうか。例えば、“孫世代のための地域基金”とか……」


会議室が一瞬静まり、次に亜紀さんが微笑んだ。

「いい視点ね。確かに、地域の未来を“子や孫に残すもの”と訴えた方が響くかもしれないわ」


「よし、それも検討に入れよう」

オレはそう言ってホワイトボードに太字で書き足した。

【メッセージ軸:“未来世代への資産”】


話題は次に黄色の“データセンター候補地”へ移った。

「ここは?」とオレが促すと、玲奈がタブレットを前に出した。

「盛岡周辺に3か所候補が出ています。ROIの観点からは山間部の候補地Cが最も高いけれど、水利権と宗教法人との調整が必要で、合意形成は長期化必至。一方で産業団地を転用できる候補Aなら、ROIは多少落ちるけど、短期で決まる可能性が高い」


亜紀さんが頷いた。

「キャッシュフローの安定を優先するならA。だけど、直也くんの理想を実現する“地熱直結”を狙うならC……悩ましいわね」


オレはチームメンバーに視線を戻して答えた。

「オレの本音を言えば、Cだ。地熱直結の“エコAIデータセンター”は、このプロジェクトの象徴になる。ただし、Aを短期の軸に据え、Cを将来オプションにする二段構えでいく」


玲奈が小さく笑った。

「やっぱりそう来ると思ってました」


オレはマーカーを置き、皆に向き直った。

「赤も黄色もある。でも止まらない限り、前に進める。今日決めたのは“選択肢の軸”だ。数字と現実、両方を動かしていこう」


会議室に小さな拍手が広がった。ほんの数秒のことだったが、停滞していた空気が動き始めたのを肌で感じた。


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