表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/105

第32話:一ノ瀬保奈美

――揺れた。

機内アナウンスが流れ、飛行機が降下を始めたのを知った。


ゆっくりと目を開ける。

眠りは深かった。直也さんに言われた通り、機内ではご飯も少なめにして、すぐに目を閉じたから。自分でも驚くほど、ぐっすり眠っていた。


(ちゃんと守れた……直也さんのアドバイス)


ほんの少し誇らしい気持ちが胸に広がる。

けれど、すぐに緊張が押し寄せた。


――これから、いよいよ直也さんに会えるのだ。


シートベルトの金具を握りしめたまま、慌てて席を立つ。

寝起きの顔では絶対に会えない。そんなの嫌。


「すみません」

小さな声で隣席の人に会釈して、通路を抜ける。

化粧室に飛び込み、冷たい水で顔を洗った。目がぱっちりする。ポーチから取り出したのは、いつもの化粧道具。けれど今日は気持ちが違う。


――“男イチコロメイク”。


真央がそう名づけていた、ナチュラルだけど絶妙に可愛く見えるメイク。派手さはない。けれど、鏡の中の自分が、ほんの少し勇気を持てるようになる。


「……うん、大丈夫」

頬を軽く叩き、深呼吸してから席へ戻った。


機体はふわりと揺れながら高度を下げていく。

窓の外には、どこまでも広がる海と、やがて現れる街の明かり。見慣れない道路の網目、オレンジ色の街灯の輝き。


「……アメリカ」

心の中で呟いた瞬間、胸が高鳴った。


やがて軽い衝撃。

車輪が滑走路に触れ、エンジンが唸る。

拍手が起こるわけでもない。けれど、機体が減速するたびに、胸の奥で「ついに来たんだ」と何度も繰り返した。


――ロサンゼルスに到着した。


ゲートを出て、長い廊下を歩く。

周りは外国人ばかり。表示はすべて英語。

どこに行けばいいのか、一瞬で迷子になりそうになる。


けれど――。


(直也さんが作ってくれた案内を思い出して)


頭の中で復唱する。

「こう進んで……ここを左……」

他の乗客の流れについて行きながら、必死で思い出す。


心細さと期待が入り混じって、足取りが早くなる。


入国審査を終え、荷物を受け取り、最後の自動ドアを抜けた。

その瞬間――。


「あ! 来たよ」


女性の声が聞こえた。


顔を上げる。

人混みの先に――直也さんがいた。


視界が一瞬でぼやけた。

亜紀さんも、玲奈さんもそこにいる。けれど、私には見えなかった。目に映ったのは直也さんだけ。


彼が笑顔で立っている。

その姿を見た瞬間、足が勝手に動いていた。


「直也さんっ!」


気づけば、スーツケースも放り出して駆け寄り、ぎゅっと抱きついていた。


胸に伝わる体温。

夢じゃない。幻でもない。

本当に、彼がここにいる。


「……ちゃんと来られたな。偉いぞ!」

直也さんの声が頭の上から降ってきた。


その瞬間――。


「チッ」


何か聞こえたかな?

よく分からないや。

今はどうでもいい。


私の全身は直也さんの腕の中にあった。

本当はずっとこうしていたいな。


※※※


「さ、行こうか」

直也さんがスーツケースを代わりに持ち、私の歩幅に合わせてくれる。


周囲の喧騒も、空港独特の雑然とした匂いも、もう気にならない。

ただ隣を歩く彼がいるだけで、胸の奥が温かくて仕方がなかった。


直也さんがここにいてくれる。

それだけで、私は幸せになれる。


空港で直也さんと会って、そのままみんなで車に乗って……と思ったら、待っていたのは無人タクシーだった。


「……え、え、これ、人が乗ってないんですか?」

思わず声が裏返った。

「そうよ、最近はもう普通よね」

玲奈さんが当たり前のように答える。

「心配しなくても大丈夫。安全性のテストは何百万回も繰り返されてるから」

直也さんが笑って言う。その笑顔に、少し安心する。


でも――車が勝手に動くなんて。

目の前のハンドルが、誰も握っていないのにくるりと回る。信号に従って止まったり進んだり。

「……すごい……」

窓の外を眺めながら、私はひたすら感嘆の息を漏らしていた。


まずはホテルへ。

直也さんが前日の夜に取ってくれていた部屋に案内され、私のスーツケースを置く。

「軽くシャワー浴びてきたら?」

そう言ってくれたから、素直に甘えた。


熱いお湯が頭から流れ落ちると、緊張で強張っていた身体がふわっとほどけていった。

(あぁ、本当に……ここまで来たんだ)

シャワーを浴びながら、何度も心の中で繰り返した。


それから再びみんなと合流して、朝のLAを走り出す。

最初の目的地はハリウッド。

有名な通りを抜け、映画の看板を横目にしながら、無人タクシーはスムーズに進んでいく。


「義妹ちゃん、ここからが本番よ」

亜紀さんが嬉しそうに言う。

「亜紀さんと玲奈さんも来てくださったんですね」

「そうよ。義妹ちゃんの楽しい休日プランを一緒に考えたの」

玲奈さんがすかさず補足する。

(……わたしのために?)

胸の奥がじんと熱くなった。


そして朝食。

カフェのテラス席で、大きなパンケーキにメープルシロップをたっぷり。

スクランブルエッグにベーコン、オレンジジュース。

外国の朝ごはんは、なんて大胆なんだろう。

でも、不思議とお腹にすっと入っていった。


「この後はまず、ハリウッドのセレブ御用達のカリスマ美容師のお店に行くわよ」

亜紀さんが楽しそうに宣言する。

「……美容室?」

思わず声が裏返った。


やってきたのは、ガラス張りのゴージャスなビルの一角にある美容室。

その名は「エドワード・トリウミ」。

扉を開けた瞬間、ふわっといい香りが漂った。

そして――。


「Oh my god! ようこそ〜! いらっしゃいませ〜!」


目の前に現れたのは、明るい笑顔を振りまく男性。

肩までの髪を派手にまとめ、ピンクのシャツに細身のパンツ。

ちょっとオネエっぽい雰囲気のその人が、流暢な日本語で私たちを迎えてくれた。


「エドワード・トリウミよ〜。日系二世だから日本語ペラペラ。安心してね〜!」

「……え、あの……よろしくお願いします」

あまりの勢いに押されて、思わずぺこりと頭を下げた。


「さぁ、今日はあなたをスーパーゴージャスにしちゃうわよ! 男なんてイチコロよ!」

「い、イチコロ……」

頬が熱くなる。


直也さんの視線を感じて、余計に恥ずかしくなる。


でも、鏡に映る自分を見つめて、少しだけ期待もしていた。

(わたし……本当に変われるのかな?)


亜紀さんと玲奈さんが、後ろから微笑んで見守っている。

彼女たちの視線が、私の背中をそっと押してくれた。


――素敵になれるといいな。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ