第28話:一ノ瀬直也
――ようやく、形になった。
ホワイトボードに残されたスキーム図を見つめながら、オレは深く息を吐いた。
日米それぞれに専用のJVを設け、それをシンガポールのSPVで統合する。
表面上はフラットな50:50、だが実質的にはSHAとClass Sharesで五井物産が主導権を握る――。
まだ荒削りだが、少なくとも「答え」には辿り着いた。
問題はここからだ。
「直也くん、次はどう動くの?」
亜紀さんの声が背後から聞こえる。
「まず、既存のステークスホルダーに説明する資料を急いで作ります」
オレは即答していた。
「日本のPMO事務局、統括取締役、そして社長。必ず理解を得ないといけない」
そうでなければ、このプランは単なる机上の空論に終わる。
社長以下の経営陣がこの再編案に納得し、対外的に支える構えを見せなければ、米国側も本気で動かない。
玲奈がすぐにタブレットを開いて、箇条書きを並べていく。
「ステークホルダー別にメッセージを整理した方がいいですね。PMO事務局には“実務上の停滞を解消できる”点を強調、統括取締役には“ガバナンスの透明性”を、そして社長には“日米双方に対等に見せながら実質を握る”メリットを」
オレは頷いた。
「助かる。そこを一緒に整理してほしい」
そしてもう一つ、頭をよぎる。
加賀谷さんの顔だ。
「あと、加賀谷さんにもすぐ連絡し、理解を頂く必要がある。状況を把握してもらい、SPV案を通す上でのシナリオを擦り合わせる必要がある。経産省に対して再度働きかけする為には絶対に加賀谷さんの後ろ盾が必要だ」
ホワイトボードに新しい枠を描き、名前を書き込んでいく。
【調整先】
・PMO事務局(実務調整)
・統括取締役
・社長(意思決定)
・加賀谷(経産省)
そして、更に二つの名前を付け足した。
・由佳(米国滞在中)
・秀介(米国滞在中)
「由佳さんと秀介さんにも時間をもらおう。現地にいる二人の感触は、このプランを再上程する時に絶対に必要になる」
口にした瞬間、胸の奥に冷たい予感が広がった。
米国政府内での検討が、まだ正式にGOサインを出していない理由――。
それは、麻里が言った理屈なのではないだろうか?
「米国事業に日系60%はリスク」
彼女の言葉が再び頭に響く。
あの冷静な指摘は、ただの意見ではない。米国政府や投資家の一部が抱いている違和感そのものを代弁している可能性がある。
――そうだとすれば、先手を打たなければならない。
このSPVスキームを整理し、日本側の了承を得たうえで、再度米国側に上程する。
「懸念は理解している。そのうえで修正した」――そう提示できれば、流れは変わる。
「……直也くん」
亜紀さんが小さく呼びかけた。
オレは振り返り、二人を見渡す。
亜紀さんは深く頷き、玲奈は冷静な目で次のアジェンダを入力していた。
「ありがとう。二人がいてくれるから、このプランを前に進められる」
オレは声に出して言った。
今は揺らいでいる場合じゃない。麻里が何を言おうと、過去がどうであろうと、オレには今を動かす責任がある。
机に新しいノートを広げ、資料作成に取りかかった。
――ステークホルダーを動かすために。
――このプランを現実にするために。
そして何より、保奈美を守るために、オレは進むしかない。
――まずはPMO事務局への説明だ。
リモート会議で資料を共有すると、事務局長は短く頷いた。
「必要な修正だ。統括取締役、そして社長に上げてくれ。我々は実務面で支援する」
手応えは悪くない。
続いて統括取締役。
事務局からの情報で既に概要は伝わっていた。
オレが要点だけを補足すると、彼は静かに笑んだ。
「……抜け目がないな。社長に持って行け」
――ここまでは前哨戦だ。
いよいよ本丸、社長だ。
社長は腕を組み、こちらを真っ直ぐに見据えていた。
「一ノ瀬くん。君の案は理解した。しかし――なぜ今この修正が必要なのか」
真正面からの問い。
オレは即答した。
「米国政府が現時点で直ちにGOを出さない理由は、日本資本が六割を占めている点への懸念にあると考えます。DeepFuture AIからも同様の指摘を受けています。このままでは案件は進みません。だからこそ、先回りしてSPVスキームを提示する必要があるのです」
社長の視線が鋭くなる。
「米国JVを新設し、SPVで束ねる……。それでは日本の発言力が削がれるのではないか?」
「見かけは対等です。しかし実質は違う。SHAとClass SharesでReserved Mattersを五井物産に紐づけます。解散、新株発行、事業売却――いずれも五井の同意なくしては不可能です」
言葉を置くたびに、胸の奥の緊張が高まった。
「つまり、米国側の懸念を解消しつつ、日本側の実質的主導権を維持する。そしてそのキープレイヤーとして五井物産が主導権を握り続ける。それがこの案です」
長い沈黙。
画面越しに社長が資料をめくる音だけが聞こえる。
やがて、社長は椅子に深くもたれた。
「……なるほど。確かに“対等に見える実質主導”だな。よく練ってある。経産省にも説明しやすい形だな」
そして、一言。
「分かった。進めろ。もはや本件は君に任せる」
その瞬間、全身の力が抜けた。
背後で亜紀さんと玲奈が息をつく気配が伝わってくる。
――最終関門を越えた。
次は加賀谷さん、そして現地にいる由佳さん、秀介さんだ。
まだ山は高い。だが、確かな一歩を踏み出した。
「……必ず形にしてみせます」
オレは深く頭を下げた。




