第26話:新堂亜紀
――胸の奥の動揺が、まだ収まらない。
会議室で神宮寺麻里が姿を現した瞬間から、直也くんの表情が一瞬にして固まったのを、私は見逃さなかった。
あの人は直也くんにとって、ただの対立相手ではない。もっと深く、もっと複雑な感情を呼び覚ます存在なのだと、女の直感で分かった。
けれど、私はあえてそのことに触れなかった。
触れてはいけない。今の直也くんに、余計な問いを投げかけるべきではない。
私は決めている。
――何があっても、私は直也くんの味方でいる。
どんな過去があろうと、どんな相手が現れようと、それだけは揺るがない。
私の役割は一つ。直也くんを守る事だ。
※※※
ホテルのスイートの会議スペース。
夕食を取る余裕もなく、私たちは資料を広げ、ホワイトボードの前に座った直也くんを見つめていた。
直也くんは【国際共同持株会社(SPV)設立案】と書いて、そのメリデメをまずシンプルに整理した。
更に、無言のまま黒いマーカーを走らせていく。
【日本JV → 米国展開】
【米国専用JV → 米国資本60%/日系40%】
【SPVで統合管理】
【発言力希薄化対策→Golden Share?】
太い線と矢印で描かれるスキーム。
見ていて胸が熱くなった。混乱の最中でも、彼は決して立ち止まらない。むしろ一歩引いて、全体を再構築しようとしている。
でも――。
私は財務の専門家として、一つの懸念を口にした。
「直也くん……“Golden Share”という言葉は、使わない方がいいと思います」
ペンを止め、直也くんがこちらを見た。
「どうして?」
「米国側の投資家にとって、“Golden Share”は国家統制や強権的支配を連想させます。欧州のインフラ案件ではよくありますが、シリコンバレーのVCやPEの世界では強い抵抗を招きかねません」
自分でも声が少し震えているのが分かった。けれど、言わなければならないことだった。
麻里が突きつけた主張が正論である以上、こちらの論理も冷徹でなければならない。
すると横から玲奈が静かに補足した。
「でも、“SHA(株主間契約)+特殊株式”ならどうでしょう。Reserved Mattersを契約で定めて、五井物産の同意を必須にする。そして、特殊株式で役員選任権や一定の拒否権を担保すれば……外からは“普通のVC慣行”に見えます」
玲奈の声は落ち着いていた。けれど、言葉の一つ一つが鋭い。
――そう。これが玲奈の強さ。冷徹な分析で、直也くんの描いた図面を補強していく。
直也くんは少し黙り込み、ホワイトボードに大きな円を描いた。
そして太字で書き加えた。
【SPV】
【→ 日本JV(国内主導)】
【→ 米国JV(米国主導)】
下に小さく、私と玲奈の言葉を取り込むように書かれる。
【Golden Shareは避ける】
【SHA(特別決議事項/Reserved Matters)】
【Class B株:五井物産】
彼はマーカーを置き、深く息を吐いた。
「……日米政治的にはフラットに見せる。でも、実質は五井が握る。SHAとClass Sharesを組み合わせて、そこに落とし込む。こうする事で、海外に拠点を置くSPVであっても、引き続き五井が主導権を握っている事になり、日本での政治的説得力は担保できる」
静かな声だった。けれど、はっきりとした決断が宿っていた。
私は胸が熱くなるのを抑えられなかった。
麻里の存在は確かに直也くんを揺さぶった。だけど、彼は倒れない。自分を支える仲間を信じ、最適解を導き出す。
「……直也くん」
思わず呼びかけていた。言葉の続きを飲み込みながらも、視線で伝えた。
――私は、何があっても直也くんの味方だから。
隣で玲奈も小さく頷いていた。
三人の間に言葉以上の確かな結束が流れた。
その瞬間、私は心の奥底から思った。
(やっぱり、私はこの人を信じていいんだ)
麻里が何を言おうと、何を突きつけてこようと――直也くんは前に進む。
そして私は、その背中を支え続ける。
それが、私の決意だ。




