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第15話:一ノ瀬保奈美

 スマホを机に置き、深呼吸をひとつ。

 ――今日もAI英会話アプリ。


 「Excuse me, where is the gate 45?」

 「It’s over there, on your left.」


 ……少しずつ、口の中で英語のリズムが転がるようになってきた。

 直也さんに迷惑をかけないように、最低限の空港や買い物での会話くらいはできるようにならなきゃ。

 アプリの画面に小さな「Good!」のマークが出ると、ほんの少しだけ自信が湧いてくる。


 机の端には、成田発ロサンゼルス行きの航空券。

 ――もちろん、直也さんが先に買っておいてくれた。

 出発は直也さんが先、その一週間後に私。わかっているのに……胸の奥がざわざわして落ち着かない。


※※※


 いよいよ直也さんの出発の日。

 玄関に立つ直也さんのスーツ姿を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。


 「じゃあ、行ってくる」

 いつもの穏やかな声。笑顔なのに――目の前がにじんで見えなくなる。


 「……淋しいな」

 気づいたら、涙が一粒こぼれていた。


 「お、おいおい……」

 直也さんが困ったように笑って、私の肩を軽く叩く。

 「一週間後には来るんだろ? 大丈夫。オレがLAで待ってる」


 わかってる。わかってるけど……。

 涙は言うことを聞いてくれなかった。


 直也さんは、莉子さんの家にも立ち寄った。

 「三週間ほど出張で日本を離れる。一週間後には保奈美も渡米することになったから、その間、何かあったら支えてやって欲しい」


 「うん。大丈夫だよ」

 莉子ちゃんは笑って答えてくれたけれど、瞳の奥が少し寂しそうだった。


 直也さんは莉子ちゃんの両親にも深く頭を下げた。

 「ちゃんとお土産を買って帰ります。保奈美の事をどうぞよろしくお願いします」


 「お土産なんて、気を使わないでいいよ、いいよ。それより、とにかく気をつけて行ってらっしゃい」

 その声に見送られ、直也さんはゆっくりと歩き出した。


 莉子さんの酒屋さんの前で、私は莉子さんと並んで立ち尽くす。

 直也さんの背中が小さくなっていく。

 ――見えなくなるまで、目で追いかけた。


 どうしてだろう。

 たった一週間離れるだけなのに、胸にぽっかり穴が空いたみたい。

 大切なものを置き忘れてしまったような、そんな気持ち。


 頬にまだ涙の跡が残っていたけれど、私は強く唇を噛んだ。

 ――いつまでも泣いてはいられない。


 私も、ちゃんと準備をしなきゃ。

 直也さんが待っているLAに、自分の力で行けるように。


※※※


 ――直也さんが出発してから、まだ一日も経っていないのに。

 部屋の中がやけに広く感じる。

 夕飯も一人で作って、一人で食べて、一人で洗い物をして……。


 「……淋しいな」

 ぽつりとつぶやいてしまった。


 でも、このまま沈んでいても仕方がない。

 私はスマホを手に取り、グループチャットを開いた。

 相手はいつもの仲良し三人――真央、美里、佳代。


 私:

 《直也さん……じゃなくてお義兄さん、出張に行っちゃった……》


 既読が一気に「3」になり、画面が一斉に光った。


 真央:

 《義兄「直也様」ロスwww》


 美里:

 《一週間後には追いかけてLA行くんでしょ? ロマンチックすぎる!》


 佳代:

 《もう完全に“遠距離恋愛カップル”じゃんw》


 「ち、違うから!!」

 思わず声に出して否定したけど、画面にどんどんメッセージが流れていく。


 真央:

 《泣いてるんでしょ? 目腫れてるでしょ?》


 私:

 《ちょ、ちょっとだけ……》


 美里:

 《素直ww てか保奈美、マジで初恋こじらせ乙女感ハンパないよ?》


 佳代:

 《一週間後、空港で再会する時さぁ……絶対ドラマみたいに走ってハグするやつじゃん!》


 「し、しないもん!!!」

 布団に顔をうずめる。頬が熱い。


 真央:

 《じゃあ、お土産リクエストしとこ! 私はハリウッドを背景に、お義兄さんと保奈美の劇的ツーショットラブラブフォト!》


 美里:

 《私は“I♡LAのTシャツ”。義兄さんとお揃いで♡》


 佳代:

 《うちはディズニーの耳カチューシャ! “ペアで”買ってきてね》


 私:

 《ちょっ……! なんで全部“お揃い”前提なの!?》


 真央:

 《だって、新婚旅行みたいなもんでしょ?》


 「……ぅぅ……」

 ベッドの上で転がって、枕に顔を押し付けた。


 だけど、気づいたら笑っていた。

 バカみたいにからかわれて、赤面して、突っ込んで……。

 さっきまでの淋しさが、少しだけ薄れている。


 スマホを胸に抱きしめ、私は小さくつぶやいた。

 「……ありがとう」


 ――一週間。

 直也さんが待つLAへ行くその日まで、きっと大丈夫。


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