第14話:宮本玲奈
――あぁ、やっと気分が良くなってきたところだったのに。
昨日は直也と二人きりで食事して、加賀谷からの急展開も一緒に乗り越えて。
“勝者の余裕”を亜紀さんに見せつけてやれた……はずだった。
――なのに。
由佳さんが「同じ便でシリコンバレー行きます!」なんて言い出すから、全てぶち壊し。
どうしてこう、次から次へとライバルが湧いてくるのかしら。
とはいえ、怒ってばかりもいられない。
現実問題、アメリカ出張のスケジュールを詰めなきゃならないのだ。
私はタブレットを開き、素早く指を走らせた。
――期間は約三週間。
一週目:
・DeepFuture AI のイーサンと会談。
・AAC社の大田秀介代表とも調整し、日本での進捗共有。
・「ザ・ガイザース × EGS × エコAIデータセンター」プランの協力要請。
二~三週目:
・米国側の出方、日本政府の判断を待ちながら並行交渉。
・余裕があればザ・ガイザース現地視察。
冷静に、やるべきことは整理できている。
……しかも三週間も直也を、あの義妹ちゃんから引き離せるのだ。
――これはチャンス。
そう思っていた矢先。
「実は……いい機会だから、最初の週末に義妹をLAに呼ぼうと思うんですよ」
直也が言った瞬間、私は耳を疑った。
「――はぁ?」
声が裏返る。隣で亜紀さんも机を叩きそうな勢いで立ち上がった。
「なに言ってるの、直也くん! 家族旅行なの? 新婚旅行なの? ふざけてる場合じゃないでしょ!」
……そう、私たち二人の怒号が見事にハモった。
直也は落ち着いた表情で、しかし妙に用意周到な口調で続ける。
「いや、全然違う、違います。全部オレの私費ですよ。航空券もホテルも、完全にオレ個人負担です。経費処理には一切絡めない。既に経理部長には相談させて頂き、社内規定的にも問題ない事は一応確認済みです」
「ぐっぬぬ……!」
私と亜紀さんは同時に言葉を詰まらせた。
「そもそも、出張規程においても“業務に支障をきたさない範囲で家族が同行する場合は、会社は関与せず、自己責任であれば妨げない”と明記されています。現地安全管理担当にも既に相談済みで、週末限定であれば問題ないと確認済みですよ」
「ぬ、抜け目ない……!」
亜紀さんが小声で唸る。
直也はさらに畳みかける。
「仕事のある平日は、保奈美にはホテルで大人しくしてもらう。観光なんて危険だからさせません。週末の半日だけ、オレが責任を持って面倒を見る。それなら“義兄として、数週間も未成年の義妹を完全放置する方がむしろリスクが高い”という理屈でご理解いただけませんか?」
「理屈は……そうだけど!」
「説得力があるだけに、むしろ納得がいかない……」
私と亜紀さんが同時に押し黙る。
なんでここまで隙がないの。
「それに――」
直也が少し声を落とした。
「長期出張に行ってしまえば、あの子は一人きりで留守番することになる。義兄として、それはやっぱり気がかりなんですよ。少なくとも最初の週末に合流できれば、オレとしても安心なんです」
……うっ。
その言葉に、私の胸の奥が少しだけざわついた。
“義兄として一人ぼっちの義妹のことが心配だから”。
まっとうすぎる。反論の余地がない。
「……ぐっぬぬ」
亜紀さんが机に突っ伏す。私もタブレットを閉じるしかなかった。
「でも……!」
最後の悪あがきで口を開く。
「週末、ホテルのロビーでキャリーケースを抱えた可愛い義妹ちゃんを迎えに行く直也……その絵面って、完全に“新婚旅行”ですからね!」
「そ、そうそう!」
亜紀さんが顔を上げて同調する。
直也は苦笑いを浮かべながら両手を上げた。
「いやいや……そこはもう、仕事の合間の義兄妹合流ってことで、勘弁してくださいよ!」
私と亜紀さんは顔を見合わせ――そして同時に叫んだ。
「ぐっぬぬぬぬ……!」
※※※
出張準備に追われる中、まず優先すべきは米国側へのアプローチだった。
タブレットを開き、私は短いメッセージを二件送信する。
――一件目、DeepFuture AI のイーサンへ。
《近日中にシリコンバレーへ伺う予定です。日本での進捗と新プランを直接ご説明し、協力のお願いをしたく存じます。詳細日程は追ってご連絡差し上げます》
――二件目、AAC社の大田秀介氏へ。
《近々シリコンバレーに出張予定です。貴社とのこれまでの連携状況を踏まえ、次フェーズの共有と、新しいプランに関するご相談をさせていただきたいと考えています》
送信完了。
どちらも即座に既読がつき、短いながら前向きな返事が返ってきた。まずは第一関門突破だ。
指を止め、深く息を吐く。
……でも本当に大変なのはここから。三週間の出張スケジュールを緻密に組まないと、先方との信頼関係は築けない。
そう考えていた矢先、直也が声をかけてきた。
「玲奈、ちょっといいか」
「なに?」
「ザ・ガイザースの現地視察を第2週以降にできるよう調整するだろ? その後……サンフランシスコに戻る途中で、少しだけ寄りたい場所があるんだ」
「寄りたい場所?」私は眉をひそめる。
「どこ?」
「……サンタローザだ」
サンタローザ。ワインカントリーの入口にある小さな街。観光や出張の定番ルートからは外れている。
「……なんでまた、そんな街に?」
直也はほんの一瞬言葉を選んだあと、淡々と答えた。
「知り合いが住んでるんだ。せっかく近くまで行くなら、少しだけ挨拶しておきたい」
それ以上は語らない。
私はペン先でスケジュール表を叩いた。
ザ・ガイザースからサンフランシスコに戻る途上に確かにある。寄れないことはない。……でも、どうにも引っかかる。
「挨拶、ね」
視線をタブレットに落としながら、小さく呟く。
直也の横顔は相変わらず真剣で、余計な言葉を挟ませない雰囲気をまとっていた。
構わないといえば構わない。けれど――。
胸の奥に、説明のつかないざわつきが残った。