第13話:新堂亜紀
――もう、我慢できない。
玲奈の“勝者の余裕”みたいな顔を見せつけられた昨日から、胸の奥にモヤモヤが渦巻いている。夜寝ても朝になっても収まらない。
でも、そんな感情を抱えていても仕事は待ってくれない。
現実に、ここで最優先すべきはステークスホルダーへの説明だ。国内でまだこの状況を共有していない重要人物――日本GBCの由佳さん。彼女へは至急という事で、昨日の今日で無理をお願いしてアポを取った。直也くんの新プランを直接伝えなければならない。
「この件は、私と直也くんで行きます」
私はきっぱりと言い切った。
横で玲奈がタブレットを閉じる。ほんの少し口角を上げた、あの「どうぞご自由に」みたいな余裕の笑み。……それがまた癪に障る。
“余裕そうに構えていれば、こっちは勝手に苛立つ”ってわかってやってるに違いない。
※※※
虎ノ門ヒルズ。ガラス張りの高層ビルに映る雲が流れていく。
日本GBCのオフィスは、洗練された空気を纏っていた。エントランスで受け付けを済ませると、静かな会議室に案内される。
深いグレーの壁、控えめに置かれた観葉植物、整然と並ぶ革張りの椅子。緊張感が自然と高まる。
すでに待っていた由佳さんは、落ち着いた笑顔で私たちを迎えた。
「ようこそ」
短く、それだけで場の主導権を握る。――やっぱりこの人、只者じゃない。
直也くんがホワイトボードに三本の矢印を書き出す。
【日米投資の約束 → 日米ともに停滞 → 双方ダメージ】
【突破口:ザ・ガイザース × EGS × エコAIデータセンター】
【国内停滞 → 米国先行シナリオ → 国内圧力 → 双方を一気に進める】
由佳さんは、しばらく目を細めて眺め――そして小さく頷いた。
「……一ノ瀬さんらしいですね。構図がすぐに理解できます」
彼女の声は落ち着いていたけれど、その響きには確かな納得が含まれていた。
「日本GBC内部では、本件プロジェクトの決裁権は既に私に一任されています。ですから、本件についての進行は問題ありません」
その言葉に、正直、胸を撫で下ろした。
――よし。最大のハードルは越えた。
しかし、安堵も束の間だった。
「でも――一ノ瀬さん」
由佳さんは椅子から少し身を乗り出し、目を輝かせて言った。
「次はシリコンバレーに出張されるんですよね?」
「ええ。いずれ、そうなります」
直也くんが頷く。
由佳さんの口元に、少女のような笑みが浮かんだ。
「でしたら、もし可能なら同じ便で私も行きたいです。タイミングを合わせましょう!」
――はぁ!?
心臓が一瞬止まりかけた。
何言ってるんですか、この人。
「ちょ、ちょっと待ってください」
私は慌てて口を挟む。
「これは“仕事”ですよ? 観光じゃないんですから!」
「もちろん、仕事ですよ?」
由佳さんは澄ました顔で首をかしげる。
「だって、飛行機の中でも、空港のラウンジでも、もっと直也さんと打ち合わせできますし。なんだったら隣の席を確保しましょうか?」
「……っ!」
私のこめかみがピクンと跳ねる。
「それに、ちょうどシリコンバレーで別件もあります。同じタイミングで渡航できれば効率的ですし、是非ご一緒させてください」
あまりに自然な言い方で、まるで「そうしない理由はないでしょ?」とでも言わんばかり。
まさか……この人まで“玲奈型”なの? 勝ち誇り笑顔タイプ?
「そうか……」
直也くんが腕を組み、しばし考え――そしてあっさり。
「うん。確かにその方がいいな。是非、お願いします」
「――――っ!!」
私の中で何かが爆発した。
玲奈の“余裕顔”に続いて、由佳さんの“同行宣言”。
しかも直也くん、即答でOKしちゃうなんて!
机の下で思わず拳を握りしめる。
「もう……やってられない」
心の中で小さく呟いた声は、誰にも届かない。
でも確かに、私のストレスメーターは真っ赤に点滅していた。
――ほんと、なんで私ばっかり試されるのよ。
※※※
虎ノ門ヒルズからオフィスに戻ってきた瞬間、私はもう疲労で肩が重たくなった。
――いや、疲れの半分は精神的なものだ。あんな堂々と「同じ便で行きます!」なんて言い出すなんて……由佳さん、やっぱり只者じゃない。
デスクに資料を置くなり、私は玲奈の方を見て吐き出した。
「……で、由佳さん。シリコンバレー行き、直也くんと同じ便で行くって。しかも直也くん、OKしたから」
「は?」
玲奈の声が裏返った。珍しく目が丸くなる。
「なんで、そんなの即答でOKしちゃったんですか?」
私は半分投げやりに肩をすくめる。
「だって……直也くんが“お願いします”って言っちゃったんだもん」
玲奈が信じられないという顔で私を睨む。
「……亜紀さん。あなたが一緒に行ってるのって、そういう“余計な火種”を防ぐ役割もあるんじゃないんですか? 何してるんですか!」
「なっ……!」
反論したいのに、言葉が詰まる。確かにそう言われれば、グゥの音も出ない。
そこへ直也くんが慌てて割って入った。
「いやいや、落ち着いてくれ。由佳さんは日本GBCで、AIデータセンターの決裁権を持つ大切なステークスホルダーだし、協調して動いてもらうのは大事なんだ。別に変な意図はないから」
「……」
「……」
私と玲奈の視線が同時に直也くんに突き刺さる。
「……あ、あの?」
直也くんが困ったように笑う。その笑顔が逆に腹立つ。
「ステークスホルダーなのは分かってます。でも……!」
玲奈が吐き捨てるように言った。
「由佳さんが“同じ便に乗りたい”って言った時に、なぜ“考えておきます”くらいで止めなかったんですか?」
「そ、そうそう!」
私は勢いづいて頷く。
「直也くん、そういうとこ優しすぎ! 即答でOKするから、どんどん既成事実が積み上がっていくんだよ!」
「き、既成事実って……」
直也くんが完全に押され気味になっている。
――まあ、困ってる顔も嫌いじゃないけど。
私は腕を組み、わざと不機嫌な顔を崩さなかった。
そう、しばらくこのまま困らせておこう。
直也くんが「困ったな、どうしたもんかな……」って右往左往する姿を見るのも、時には悪くない。