巨星落つ
それから二月後、義定率いる一色家の遠征軍が弓木の城に戻って来て、まだほど無いというというところへ、再び織田信長より次なる下知が下った。
と言うのも、書状の花押こそ、家督を譲られた織田信忠のものには違いなかったが、その内容たるや、信長の天下統一へ向けた作戦が事細かに綴られていたからである。
同時にそれは、一色家にとっても、これから毛利との戦が本格的になるという事を意味するものでもあった。
義定は早速評定を開くや、来る対毛利遠征に備えての準備を始めた。
今回はあの羽柴秀吉の傘下に入るべく、備中は高松城へと向かうらしい。
周知のように、高松城は湿地を利用した平城で、鉄砲や騎馬戦にも強さを発揮した。
城を守るのは清水宗治で、およそ四千余りの兵が立て籠もり、そう易々とは攻め落とせる状況ではないらしい。当然、織田方も一色家の稲富鉄砲隊の力を大いに当てにしている。
桂は今回の遠征のため、兵には八匁弾用の射程の長い鉄砲を持たせることとした。何故なら、通常の距離からでは、城側より繰り出される鉄砲に、とても太刀打ちできそうもないと判断したからである。
まさに一発必中を狙うべく、狙撃用の編成隊を組むことにしたのである。
これには祐直も賛同した。なにせ、長距離での狙撃戦となれば、祐直は言うに及ばず、稲富鉄砲隊にとっても一日の長があるとふんだからである。
「火薬、弾の類は荷車にて運ぶ故、各々の胴乱には早合をできるだけ詰めるのじゃ」
祐直は兵のひとり一人に指示をすると、久々に晴れやかな笑顔を見せた。
なるほど、やはり祐直は根っからの戦好き、と言うよりは狙撃することに快感を覚えるような人間の一人でもあるようだ。
桂も彼の銃を木箱へと収めると、早速自分は早合作りに取りかかる。
程なくして、与六が指揮を執る荷駄隊の準備も整い、今や城の東の曲輪には、長い遠征のために用いられる兵糧、武器などが積まれた荷車が所狭しと並んでいる。
その中で、与六はなおも忙しなく人足に指示をしては、荷車の荷のひとつひとつを点検して回っている。
と、突然、東門の門兵が大声をあげた。
「早馬じゃー、織田の早馬が来るぞー」
みんなが振り返ると、すでに一騎の早馬が東の門を駆け抜けてくるのが見える。確かに、その背には白地に木瓜紋を染め抜いた旗指物が着けられている。
「ご注進、ご注進―」
曲輪の中程まで馬を走らせたところで、馬が前のめりに両膝を付いた。その様子からして、おそらくは夜通し走らせてきたのであろう。
馬は横たわるや、一度もその首をあげることなくその場で息絶えた。
武者は転げるように馬から飛び降りるや、その馬を振り返ることもなく、さらに上段にある本丸曲輪を目指して駆け出している。
さすがに、この様子にことの重大さを感じた者達も、その武者の後を追いかけるようにと本丸曲輪に集まって来た。もちろん、与六もその巨体を揺さぶりながら上がって来る姿が見える。
総館には、すでに一色義定をはじめ主だった重臣達が並んでいる。
武者は義定の前に平伏するや、即座にその口を開いた。
「去る六月四日未明、大殿様、京の本能寺にて身罷られましてございまする」
武者の最後の声は絶叫とも思える。
いつもなら、まず使者に対して仰々しく挨拶を述べる大江越中守も、口を開けたまま身動きひとつすることもできない。
かろうじて義兼が口を開いた。
「大殿とは、織田信長殿にござるか?」
「御意」
使者の声は、今度は流れる涙で鼻に掛かって良く聞き取れない。
「馬鹿なことを申すではないわ!」
矢野藤一郎がいきり立って片膝を付くや、腰の刀に手を掛けた。それを制するように、再び義兼が冷静に言葉を挟む。
「して、織田殿は如何にして身罷られたと申すのか?」
「惟任日向守様、ご謀反にて・・・」
「ひ、日向守様とは、明智光秀殿のことか?」
「はっ!」
「馬鹿な、明智殿に限ってそのようなことが・・・」
義兼は声にもならない声を漏らした。
当然、織田の所領でもある京の本能寺で、それも重臣中の重臣、明智光秀によって討たれたなどと言うことが、にわかに信じられようはずもない。しかし、今その信じられないことが現実に起こったというのである。
いっぽう義定は肩で大きく息をすると、その使者の襟首を掴んだ。
「織田殿と共に京へと入った信忠殿は如何したのじゃ?」
「織田信忠殿は妙覚寺より二条御所に移られ、明智勢の攻撃を再三再四防いだものの、最後は御所にてお腹を召された由にございまする」
使者は大粒の涙を流しながら、その場に泣き崩れた。
義定は掴んだ襟首を持ち上げると、さらにその使者に尋ねる。
「信忠殿に従いし者達の所在は如何がした?」
「分かりませぬ。が、おそらくは共に御所にてお討ち死に致したかと存じまする」
聞くや、義定は投げ飛ばすように掴んだ使者の襟首を振り払う。使者は涙とほこりで煤汚れた顔をこわばらせながら仰向けにと転んだ。
「梶原殿・・・」
義定は、あの梶原景久の屈託の無い顔を思い浮かべた。
何れにしても、時代の巨星織田信長が、すでにこの世にはいないと言うことだけは本当のことのようである。
同時にそれは、一色家がこれから進むべき道の岐路に立たされたと言うことを意味するものでもあった。
義兼は義定を促すや、直ちに評定を開くこととした。
最初の発声は義兼が切り出す。
「皆も聞いての通り、織田信長殿が家臣明智光秀殿の謀反により、一昨日京の本能寺にて身罷られたとのこと。ことの次第は定かではないが、まず一色家としてこれより先、如何にいたすか、まずは皆の考えを申してもらいたい」
これには、矢野藤一郎が真っ先に声をあげた。
「では、申し上げまする。今や一色家は織田と共に歩んでいまする。その織田殿が討たれたというのであれば、まずは京にはせ参じ、逆臣明智を討つが必定かと存じまする」
藤一郎は、いつになくいきり立っている様子に見える。二~三の家臣は首を縦に振るが、それに続く声はあがらない。
当然一色家の勢力だけでは、大群を有する明智勢に太刀打ちできぬと分かっているからである。
次ぎに、松田頼道が問いかけるような口振りで言葉を繋ぐ。
「じゃが、大殿を失った今、はたして誰もが明智殿を討とうと立つであろうか?」
「頼道殿、それはどういうことじゃ」
すぐさま藤一郎が問いただす。
「大きな箍が外れた織田家は、それでも一枚岩となっておられるかということじゃ。重臣の明智殿に味方いたす者が出てきても不思議では無いかと・・・」
「つまりは、頼道殿は宮津の細川殿の動きを気にしているのでござるな」
頼道の言葉に、すかさず日置主殿介が言葉を足す。
当然のことと言えば当然であろう。
宮津の細川は、立場的には明智の組下と言うことにもなる。明智が動いた今、当然細川としても行動を共にするはごく自然の生業と思われたからである。
「だとすれば、一色家も細川殿と行動を共にすると言うことでござるか?」
小西宗雄の言葉に、日置主殿介がきっぱりと言い切る。
「いいや、一色家はけっして細川殿の組下ではござらん」
議論が二転三転する中、稲富祐直がぼぞりと口を開いた。
「いっそ、この機に乗じて宮津の城を攻めては如何か?」
「宮津を・・・」
誰もが一瞬、眼を輝かせた。
「さよう、細川殿がたとへ明智に付くにせよ、このまま織田方として明智と戦うにせよ、織田殿の次ぎに天下を収める者と話をまみえる際、丹後一国の主としての立場が大きくものを言うのではござるまいか」
しかし、この祐直の言葉には、空かさず桂が異を唱える。
「今、一色家の立場を明らかにするは、少々危険かと存じまする」
「何故じゃ?」
義兼が相づちを打つ。
「まずは、信長殿の生死の確認も分からぬのに、織田方の細川殿を攻めたとあっては、一色家にも逆心有りと言うことになりましょう。次ぎに、仮に大殿無き後、いったい誰が次の天下を収められるとお思いでしょうか。明智殿にその才無き場合は、やはり織田家中の中から次なる天下人が現れるやも知れません。その時、織田方の細川殿を攻めたとあっては申し開きができませぬ。仮に細川殿が明智と行動を共にしたとしても、宮津へ攻め込むはその後でも遅くはないかと存じまする」
「では、今は城の守りを固めよと申すのじゃな?」
大江越中守が尋ねる。
「いいえ、けっしてそうではございませぬ。城の守りを固めるは、かえって織田、明智双方にとって反目する形と受け取られるやもしれませぬ」
桂の言い分に、矢野藤一郎が痺れを切らしたように捲し立てる。
「では、我らは如何いたしたら良いというのじゃ?・・・」
桂は三本の指を掲げた。
「ひとつに、此度の真実を見極めるため使者を京へと送りまする。二つ目に、宮津細川殿の動向を探る為、直ぐさま物見の者を宮津城下へと向かわせまする。三つ目に、今回毛利攻めで従うことになっていた羽柴殿のところへ使者をお使わし下さいませ。一色家に二心無いことを示すためでございまする」
「羽柴・・・、もし、明智が天下を収めた場合は如何する気じゃ?」
祐直が語気を荒げる。
「では祐直殿は、織田殿を裏切った明智殿が天下を取れるとお思いでしょうか」
この言葉に、そこに居合わせた一同は、次ぎに返す言葉を失った。
結局、義定と義兼は桂の主張を取り入れることとしたのである。
早速義定は松田頼道、赤井五郎らを京へと出立させた。
また、宮津細川家の動向を探る役目は矢野藤一郎と小西宗雄に、羽柴秀吉への使者には大江越中守がそれぞれあてられた。
他の者も、皆情報収集の為、各々丹後の地へと散らばって行くこととなった。
これですべてが万事滞り無くゆくはずであった。しかし、結果は一色義定や桂が思い描いているようにはいかなったのである。




