丹波路
鼓山に面した村の農家で一夜を過ごした彼らは、次の日、京から丹後へと向かう為の中間点でもある福知山へと向かうこととした。
この山の麓から福知山までは、再び道が二つに分かれている。
一本はこれまで歩いてきたもので、土師川沿いに下り直接福知山まで入るという道筋であり、いま一本は山間の谷間を抜け綾部へと通じる道であった。
六人のうち、やはり最初に口火を切ったのは与六である。
「今日もお初さんに決めてもらうというのはどうじゃ?」
しかし、これには桂も冬馬も、あえて答えようとはしない。
「ここまで織田の物見と出くわさないというのも、どうも不自然な感じがするのう」
冬馬の言葉に桂も続く。
「明智殿が八上城を包囲しているとはいえ、必ずや周りの敵城の動きを探るというのが戦の定石じゃ。それが一向に姿を見せんというのもおかしなことじゃ」
「明智軍はもうおらんのでないか?」
与六の言葉に、これまた二人は聞く耳を貸さなかった。
すると、ここで初が再び自分の思いを言葉にした。
「ここまで来て、織田に行く手を阻まれることは不本意でございます。どうか山間を抜け綾部へと通ずる道をお選び下さいませ。私達のことならば、たとえ裸足になろうとも皆様について参ります」
初の傍らでは、里も大きく首を縦に振り、一途な眼を輝かせている。
「桂、ここはおぬしが決断をしてはくれぬか」
冬馬は先の峠越えで、足にたくさんの血豆をこさえた里の足を気遣ってか、これから先の決断を桂に委ねた。
桂は衣の袖を縦に引き裂くと、それを器用に紐状にしては里の草鞋の緒に巻き付けている。
「これで少しは指の痛みも治まろう」
そう言うと、今度は小石を拾い集め、地面に引いた一本の線上にそれを並べた。
「お初さんの気持ちは有り難いが、わしらはこのまま山陰道を福知山まで目指そうと思う」
「それが今度の作戦じゃな」
早くも与六は地面に引かれた一本の線を食い入るように眺めている。
「これより、わしらは山陰道を二手に分かれて進むのじゃ。先を行く物見の者と後から行く者とじゃ。物見は与六と吉之助に任せたいと思うが如何じゃ?」
与六は働き場所をここに得たりと、その槍をひとつしごいて見せた。吉之助も同様である。
「残りのわしらは街道筋に隠れており、与六達の帰りを待ってから共に先へ進むこととしよう」
「しかし、それでは闇雲に時間ばかりがかかってしまいます」
いつになく初は声を荒げる。
「時間がかかるのは致し方がないが、一度に全員で動くよりはこの方が安全じゃ。それにこれまでと同様、これから先の山陰道にも織田の兵はすでにおらんかもしれんしな」
「いいえ・・・」
言い返そうとして、初は再び言葉を飲み込んだ。
こうして一行は、山陰道を一路西へと進むことにした。
もちろん物見役の二人はすでに先行して街道を渡っている。
残った四人は街道より一町程山の中へと入った雑木林の影で、与六達が戻ってくるのを待つことにした。
ちょうど大きな木が朽ち果てて、根の周りがすり鉢状に凹んでいるのだ。まさに彼らが隠れるには打って付けの場所である。
ふと桂は天を仰いだ。そこから見上げる木の枝々には、山桜の蕾が今にもその花を咲かせようとしているが見える。
「それにしても、お初さんの足はだいぶ丈夫とみえる。お里の足が血豆だらけなのに、草鞋痕ひとつも無い綺麗な足をしておる」
冬馬が眼の前に腰を下ろす二人の足を見比べるように呟いた。
「いやです、日下部様」
初は恥ずかしがるように、足先を裾の内側へと隠した。里は里の方で、血豆だらけの足先を両手で包み隠している。
「里、何も気にすることはない。国元へ戻ったならば、ゆっくりと治せば良いのじゃ」
桂の言葉に、里はさらに膝を丸め足先を手前へと引いた。
与六と吉之助が物見に行ってからかれこれ一時も経ったであろうか、にわかに頭上を黒い雲が覆い始めた。
それ程の雨にはならないようだが、それでも四人は雨露を凌げる場所を見つけようと、その雑木林から街道へと出ることとした。とその時、街道を西から一人の男が勢い良く掛けてくるのが見に飛び込んできた。
吉之助である。
「た・た・大変じゃ・・・」
吉之助は転げるように両手を着いて止まった。
「何だ、また吉之助の『大変だ』が始まったのか」
冬馬は吉之助に竹筒の水を飲ませると、背中をひとつポンと叩いた。
「織田じゃ、織田の兵がいたのじゃ」
「何処にじゃ?」
桂は声を押し殺すように投げかける。
冬馬は里と初を近くの茂みに移すと、四方に広がる木立の中を食い入るようにと睨んでいる。
吉之助は頭を振ると、今来た道の方を指さした。
「違うのじゃ、織田の兵はすでに死んでおったのじゃ」
「落ち着け吉之助、順を追って話すのじゃ」
桂の言葉に、吉之助もようやく我に返ったのか、もう一度竹筒の水をゆっくりその喉へと流し込む。
「山陰道を半里ほど進んだわしと与六は、街道から谷へと続く竹林の中に薄紫色の旗指物を見つけたのじゃ。咄嗟に隠れ様子を伺っておったのじゃが、それらは一向に動く気配もない。そこで、二人で近くまで見に行くと物見の兵が殺されておったという訳じゃ」
「兵の数は何人じゃ?」
桂が尋ねる。
「三人じゃ。旗指物には白抜きで桔梗の紋が描かれておった」
「桔梗は明智光秀殿の家紋じゃ」
冬馬が桂の顔を見ながら答える。
「で、与六は如何したのじゃ?」
桂は当然そこにいるであろう与六の所在を吉之助に確かめた。
しかし吉之助はそれには答えず、急に不安そうな顔色を伺わせた。
「それが不思議なのじゃ。織田の兵は斬られたわけでも無ければ、弓で射ぬかれたわけでも無いのじゃ」
「鉄砲か?」
間髪入れずに冬馬が尋ねる。
「いいや、与六が言うには忍びの技に違いないと」
「忍び?・・・」
二人の脳裏には、以前京の雑木林の中で三方盛房が送り込んだ刺客木内源内らに襲われた時のことが鮮明に浮かび上がってきた。あの時は、危うくすんでの所で突然頭上から現れた忍びの者達によって救われたのだ。
「織田の兵の近くには、忍びの者も討たれていたのですか?」
いつの間にか、彼らの近くにまで来ていた初が吉之助に尋ねる。
「そう言う訳ではないのじゃが」
吉之助の曖昧な言い方に、初は再び荷を背負うと、ひとり街道を先へと歩き始めた。
「お初さん、如何したのじゃ?」
冬馬の問いかけにも、初は一向にその足を止める気配すらない。
冬馬は吉之助の肩を抱きかかえながらも、もう一方の手で鉄砲を掴んだ。
桂は里を呼び寄せると、これまで与六が担いでいた国友筒を肩に担いだ。
「よいか里、これからしばらくはわしのそばから離れるでない」
桂は遠ざかる初の後ろ姿を真っ直ぐにと見据えながら、里の手を引いた。里はにわか雨で濡れた髪を掻き上げると、必死で桂達の後をついて歩き始める。
それからしばらくして、五人は与六が待つ竹林へと到着した。
うっそうと茂った竹林は多少の雨を受け、いっそう緑色がその鮮やかさを増している。時より枝葉からは溜まった雨の雫が幾つもの塊となって落ちてくる。
五人はその中を分け入るようにと進んで行った。
少しすると、一間ほどもある大きな石の上に座っている与六の姿が、誰の眼にも入って来た。
彼の傍らには、すでに動かぬ織田の兵の骸が転がっている。
桂は吉之助に頼むと、里と初をこの場から遠ざけた。
「どうじゃ与六、やはり忍びの者の仕業か?」
与六は答える代わりに、懐から何かを取り出した。棒手裏剣である。
「あの時と同じ代物か?」
「わからん。が、恐らくはそうであろう」
彼の言葉に、桂と冬馬はゴクリと喉を鳴らす。
「それに・・・」
与六はまた別のことにも気付いたらしい。
「な・何じゃ?」
「それに、この物見の者達は一人として刀を抜く間もなく、ほんの一瞬で皆殺されているという点もあの時とまったく一緒じゃ」
冬馬は底知れぬ恐怖とは裏腹に、意外にも冷静な分析をしている与六にも驚いた。
なるほど、横たわる兵の誰もが、その手に何も持たずに果てているのである。
「しかし、何故忍びの者共は、織田の兵を襲ったのであろうかのう。物取りということでもあるまいに」
誰にも答えを見つけられぬまま、三人は竹藪を見上げた。
再び冬馬が街道の方を振り返ろうとしたとき、竹と竹の間を縫うように吉之助が駆け込んで来た。
「た・た・大変じゃ」
「お前の大変じゃは聞き飽きたわ」
冬馬はからかったが、桂はほぼ反射的に吉之助と入れ替わるよう、竹藪を街道へと向けて駆けている。与六もそれに続く。
冬馬は吉之助の襟首を捕まえながら、二人の後を追う。
「吉之助、何があったのじゃ?」
冬馬の言葉に、吉之助は大声で答える。
「お初さんがいなくなったのじゃ」
与六は前を向きながら、なおも吉之助に尋ねる。
「お初さんがいないじゃと。何故じゃ?」
「わしにもわからんが、気付いたらお里さんしかいなかったのじゃ」
街道に出ると、そこには里が一人で立っていた。
「里、お前はここを離れるでないぞ」
桂は里に言いながらも、街道を二町ほど先まで駆けていった。その後を与六が槍を抱えながら追いかける。
いっぽう冬馬と吉之助は彼らとは逆に、街道を二町ほど駆け戻ったが、やはり初の姿を見つけることはできなかった。




