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12/12

第12話 荒地開拓伯令嬢、叙爵される

 討伐された黒聖樹の根元には、白い光が残っていた。


 聖女ネリアが土へ膝をつき、両手で黒い外根を確かめる。


「ここは伐ってください。こちらは残してください」


 教団技師とマルクが土を除き、司祭トマスが聖水を運ぶ。アクシスは刃の先を短く使い、ネリアが示した黒い根だけを断った。


 カリナも座り込み、大鎌の内刃で細い癒着を外していく。


 一枚だけ、銀緑色の葉が出てきた。


 その下に、元の聖苗が持っていた白い根冠がある。黒く染まった外根を外すたび、弱いが確かな鼓動がネリアの掌へ返った。


「生きています」


 ネリアの声が震えた。


 白苔と聖布が運ばれる。掘り上げた根を聖水で洗い、一本ずつ包む。最初に礼拝所へ運び込まれたときより小さくなっていたが、若芽と一枚の葉は残っている。


 第二の聖苗は、再び人の腕で抱えられる大きさへ戻った。


「三度目の日の出は越えておりません」


 トマスが告げる。


「土地との接続も、いま切れました」


 ネリアは聖苗を抱き、セヴェランを見た。


「植定は成立していません。強行植樹、異常成長、緊急伐採、聖苗の掘り上げまで、私の名で記録します」


「世界樹を伐った事実は消えません」


「世界樹は、ここに生きています」


 銀緑色の葉が、朝から吹き続けていた風に揺れた。


「私たちは、この子を食っていた暗根王を、世界樹から伐り離しました」


 セヴェランは、それ以上答えられなかった。


 アクシスは、倒れた黒い幹ではなく、地面に残る古い切株を見た。


 父の斧痕がある。


 ガルドは幹を倒した。開拓団が三十年かけて根網を切った。それでも、最後の根が残った。


 父の戦いが間違っていたわけではない。


 娘たちは、その続きをした。


「父上は幹を伐った」


 アクシスは斧痕へ触れた。


「ですから、わたくしたちが根まで伐りましたの」


      ◆


 第五十九日は、戦いの後始末だけで終わった。


 根焼きの火が消えていないかを見回り、倒れた黒聖樹が斜面を滑らないよう楔と綱で固定する。負傷者を開拓館へ運び、南畑の地割れを土嚢で塞ぐ。第二村では崩した土手へ仮の板を入れ、残った水を生活用の水槽へ回した。


 黒聖樹は、薪にも聖材にもできなかった。


 暗根王の魔力を含んだ汚染物であり、強行植定が何を生んだかを示す証拠でもある。討伐跡を縄と杭で封鎖し、開拓兵と白樹騎士が二人ずつ、夜通し見張ることになった。


 ネリアとゼノは、ほとんど眠らずに記録を書いた。


 ネリアが暗根王討伐跡を候補地として認めなかったこと。第二の聖苗には中央樹院の正式割当がなかったこと。ネリアが拒否した後、セヴェランが予備儀礼を始めたこと。祝福は捕らえられた者の救命と、魔力逆流を抑えるために行われたこと。


 黒聖樹が人と村を襲い、聖苗を救うには緊急伐採が必要だったこと。


 トマス、マルク、白樹騎士、教団技師が立会人として署名した。


 ゼノは、アクシスが聖樹への刃を禁じられた後、自分の領地を取り戻すため伐採すると宣言したことも、そのまま書いた。


「そこまで正直に書きますの?」


「君の発言だ」


「少しくらい庇ってくださってもよろしいのではなくて?」


「庇うために、事実を削る気はない」


 アクシスは笑ったが、それだけで肩が痛んだ。


 夕刻、第二村の粉挽き小屋へ六村から人が集まった。


 王都へ持ち込む記録を誰に託すか。自分たちの土地について、誰が何を話すか。それだけは、明日の返還より先に決めなくてはならなかった。


 アクシスを支持していた者は、接収を求めた者へ任せたくない。接収を求めた者は、キリハルト家の家臣へ任せたくない。


 最後に名を挙げられたのは、エッダだった。


 粉挽き小屋には、六村から麦と人が集まる。エッダは王国兵と世界樹を求めた一方で、家と畑の権利を認めさせる請願にも署名していた。どちらの言いなりでもないから、どちらも完全には拒めなかった。


「私は、王国兵に来てほしいと言ったよ」


 エッダは、粉に白くなった両手を卓へ置いた。


「でも、家と畑を渡すとは言ってない。両方を王都で言える者が要るなら、私が行く」


 六村の恒久的な代表ではない。


 今回の請願を読み、六村で割れている意見まで伝える者として、エッダは選ばれた。


      ◆


 第六十日の朝。


 キリハルト城の広間では、統治権移管記録が長卓の中央へ置かれていた。


 王領接収特使エルマー・ハークは王国側の印を持ち、若い書記は時刻を記録するため羽根筆を用意している。


 アクシスは長卓の向かいへ座った。


 両手には布が巻かれている。土と黒い汁を洗い落としても、裂けた掌は閉じていなかった。


 リディアとローデンが左右へ立つ。ブラムは開拓兵を代表し、扉の前で背筋を伸ばしていた。


「差し止めは、まだでございます」


 ローデンが言った。


「分かっておりますの」


 第二十八日の植定不成。


 第五十八日の再植定。黒聖樹の誕生と伐採。聖苗の救出。


 第五十九日の後始末と、証拠の作成。


 そして、第六十日の統治権返還。


 三十二日を使い切った。


 正午の鐘が鳴った。


 若い書記が、最初の一音から最後の余韻まで待った。


「期限の満了を確認しました」


 統治権移管記録へ時刻を書き入れる。


 エルマーが王国側の印を押した。


「ただいまをもって、魔寄せの森の統治権を王国へ移します」


 広間の誰も動かなかった。


 家や畑が、この瞬間に王国の持ち物へ変わったわけではない。六村の土地保有権は、土地法院で審理が続いている。


 それでも、アクシスが命令する権利は終わった。


 彼女は父の古い官印を卓へ置いた。


「ブラム」


「はっ」


「以後、開拓兵は王国特使の暫定指揮へ従ってくださいまし。村の警備と、黒聖樹の見張りを途切れさせてはなりませんわ」


 命令できるうちに出した、最後の命令だった。


 ブラムが拳を胸へ当てる。


「承知しました、お嬢さま」


「もう、あんたの主ではありませんのよ」


「それを決めるのは、あなたじゃありません」


 特使エルマーが咳払いした。


「私の前で、最初から命令違反の相談をしないでください」


 誰かが小さく笑った。


 アクシスも笑おうとしたが、胸の奥に空いた場所へ息が落ちただけだった。


 数刻後、城門へ馬が駆け込んだ。


 泥に覆われた王国騎手が、王印と法院印のある革筒を抱えていた。


 六村の請願、ガルドの原契約、徴税台帳、境界図について審理が終わるまで、住民の退去、土地処分、共同利用権の変更、聖域化を禁じる暫定命令。


 差し止め原本だった。


「統治権の引き渡しは、すでに完了しています」


 エルマーは、文面を二度読んでから告げた。


「しかし、これ以後の接収手続きは停止します。王国が暫定統治しますが、家も畑も処分できません。最終判断は王会議と土地法院へ持ち越されます」


 間に合わなかった。


 だが、何もかも遅かったわけではない。


      ◆


 その夜、アクシスは父の執務室へ一人で入った。


 卓の上には、官印を置いていた丸い跡だけが残っている。


 十五歳の夜から、三年間。


 父の死を隠した。父の名で命令を出した。父の代わりに森を守った。


 そのために王族の夫を求めた。


 父の官職を継げない自分が、領地へ残るには、それしかないと思っていた。


 いまは、印も、命令権も、政略のための婿もない。


 アクシス・キリハルトという、十八歳の少女が一人いるだけだった。


 窓の外には、父が三十年かけて拓いた道がある。


 あの道を通る者は、明日も橋を直し、畑を耕し、夜になれば外柵を見回る。森は、彼女が何者かを待ってはくれない。


 爵位が戻らなくても、ここにいたい。


 誰にも命令できないなら、村の者と同じように斧を担げばいい。


 父の代わりではなく、自分が選んだ仕事として、あの道の続きを拓きたい。


 答えは、それだけだった。


 アクシスは空になった印箱を閉じた。


      ◆


 翌朝、王都へ向かう一行が城を出た。


 アクシス、リディア、ローデン、ゼノ、ネリア、エッダ。護送されるセヴェランと、証言のため同行するトマス、白樹騎士、教団技師。


 救出された聖苗は、白木の運搬架に載せられた。負傷者と聖苗を揺らさないため、一行は急げなかった。


 十一日をかけ、第七十二日の朝、王都へ着いた。


 アクシスの掌は、もう血を流していない。裂けた皮は薄くつながっていたが、まだ強く握れば痛んだ。


 開拓《フロンティア》は、王会議室の手前で預けた。


 追放を言い渡された部屋へ戻ると、近衛騎士ルシアンが、アクシスの両手と玉座までの距離を見比べた。


「もう暴れませんわよ」


「その言葉は、暴れる者ほど口にする」


 アクシスは、今度こそおとなしく玉座の前へ立った。


 荒地開拓伯の娘としてではない。


 父の死を隠し、失効した官印を用いた、一人の女として。


      ◆


 王国土地法院の法官が、最初の裁定を読み上げた。


 墾森永年私財令は、魔寄せの森の開拓民にも適用される。


 ガルドの原契約には、戦後第七勅令(墾森永年私財令)を妨げないとの条文がある。王国は二十年以上、六村の各戸から収穫税を受け取ってきた。境界杭、開墾図、出生、婚姻、埋葬の記録は、住民が一時的な流民ではなく、継続して土地を保有、利用してきたことを示している。


 荒地開拓伯の官職が終わっても、各戸の家と畑、六村の水路、薪炭林、牧草地、墓地に関する権利は消滅しない。


 王領接収は撤回された。


 エッダが、胸の前で祈った。


 アクシスは振り返らなかった。


 ここで認められたのは、自分の領地ではない。


 そこに暮らしてきた者たちの土地だった。


 続いて、強行植定について審理された。


 ネリアが証言台へ立つ。


 再植定を拒否したこと。セヴェランが予備儀礼を始めたこと。人命を救うために祝福したこと。黒聖樹は魔力を浄化せず、暗根王の成長へ使っていたこと。伐採によって第二の聖苗を救出できたこと。


 中央樹院の老樹医からも記録が届いていた。


 第一の聖苗ユグラリア第七分枝は、根にも幹にも損傷がなく、養生によって回復している。キリハルト側による毒、刃傷、儀式妨害の痕跡はない。


 救出された第二の聖苗は衰弱しているが、生きている。白い根冠と若芽に暗根王の魔力は残っておらず、黒聖樹は聖苗そのものではなく、外から癒着した暗根王の根網だったと樹医は認めた。


 一方で、その聖苗には正式な割当変更がなく、樹医による候補地調査も、住民避難もないまま暗根王討伐跡へ運ばれていた。


「国防上の危険へ対処するためです」


 マティアスが言った。


「閉鎖林の魔力上昇は事実でした。放置して暗根王が復活すれば、被害は六村に留まらなかった」


「危険が事実であったことは認める」


 国王レオネル三世が答えた。


「だが、土地法院の審理を待てない理由として使い、調査も避難もない植定を許した。危険へ備えたのではない。危険を、既成事実を作る期限として使ったのだ」


 王は王会議を見回した。


「そして、その命令へ署名したのは私だ。現地の報告を確かめず、曖昧な命令を出した責任を、内務大臣一人へ押しつけることはできない」


 命令文面には、正式な割当のない聖苗を転用せよとも、拒否した聖女を捕らえて祝福させよとも書かれていなかった。


 マティアスは内務大臣に留まった。


 ただし、請願受理後に調査を省いた緊急命令を求めた責任は認定された。黒聖樹によって被害を受けた畑、水路、家畜への補償と、王国兵配置の費用は内務省の予算から出される。


 マティアスは黙って一礼した。


 玉座の前を下がるアクシスと、すれ違う。


「辺境の管理者にも、王国の法と義務へ組み込まれてもらいます」


「ええ。わたくしも王国の方々を、魔寄せの森の都合へ組み込むつもりですの」


 マティアスは答えなかった。


 だが、これで終わったとは思えなかった。


 セヴェランは聖域監督司祭を解かれ、教団裁判へ送られることになった。


 無断転用された聖苗と、ネリアの記録が残る。彼が何を信じていたかではなく、何をしたかを裁くために。


「私は、世界樹を根づかせようとしたのです」


 連れ出される前、セヴェランが言った。


「そのためなら、あの土地へ根を張る者が誰であってもよかったのでしょう」


 ネリアが答えた。


「人でも、暗根王でも」


 セヴェランは黙った。


 第二の聖苗は、そのまま中央樹院で養生される。回復と安全が確認され、新しい手順が整うまで、ほかの土地へ植え直すことも禁じられた。


 ネリアは、聖女の地位を失わなかった。


 代わりに、自分から中央教団へ暫定手順を提出した。


 聖苗を植える者は、土と魔力だけでなく、その土地に住む者、家、畑、水路、共同林、墓地を調べる。植定後に生じる制限と避難計画を住民へ説明し、異議も記録へ残す。


 一度の事件で、教団すべての決まりが変わったわけではない。


 まずは、ネリアが次に担当する植定から試す。


「根づく土地を探すだけでは、足りません」


 ネリアは王会議へ告げた。


「根を下ろしてよい土地か、そこで暮らしている方々に確かめます」


 その言葉は、植定前生活調査の最初の一文として裁定記録へ残された。


      ◆


「続いて、アクシス・キリハルト」


 王の声に、アクシスが前へ出る。


「ガルド・キリハルトの死亡を三年隠し、失効した官印を用いた事実は消えない。土地を守ったことと、王国へ虚偽の報告をしたことは別である」


「承知しておりますの」


 第六十日に封じた古い官印が、布に包まれて運ばれた。


 三年前の夜、アクシスが父の右手から外した印だった。


「荒地開拓伯は、ガルド・キリハルト一代に与えられた官職である。この印の失効と、魔寄せの森の統治権が王国へ返還されたことを、あらためて確認する」


 胸の奥で、何かが終わった。


 父の死を届けなかった三年間が、十一日をかけて、ようやく王都へ着いた。



「三年間の帳簿は王国の監査を受ける。詐称と無断統治について命じた王都追放と統治権返還は、これをもって執行済みとする。隠匿によって得た私財がなく、六村の維持に必要な行為であったことから、追加の刑は科さない」


 許されたのではない。


 何を守ったかと、何を偽ったかを、別々に数えられたのだ。


「六村から、別の請願がある」


 エッダが前へ出た。


 借り物の上衣は肩が少し合っていない。それでも声は、粉挽き小屋で話したときと変わらなかった。


「私は、六村全部の代表じゃありません。第二村の者で、今回の請願を読むよう選ばれただけです」


 最初に、そこを明らかにした。


 土地権が認められた後も、閉鎖林、街道、水路、共同防衛を一つにまとめる管理者が必要である。


 六村は、その役目をアクシス・キリハルトへ求める。


 接収に賛成していた者の名も、請願書にはあった。


「王国兵は必要です。お嬢さま一人に守れるとも思っていません。でも、家と畑は私たちのものです」


 エッダはアクシスを見た。


「それを分かったうえで、王国兵とも私たちとも話せる者なら、もう一度、管理を頼みたい」


 レオネル三世は、新しい印を出させた。


「アクシス・キリハルト。開拓民の権利、三年間の統治実績、黒聖樹を伐採した戦功、そして住民の推挙により、魔性地と閉鎖林を管理し、六村と街道を守る世襲爵位・魔森辺境伯に封じることとする」


「まさか断るまいな」


 父の官印は、もうない。


 アクシスは片膝をつき、自分の名が刻まれた印を受け取った。


「謹んで、お受けいたしますわ」


「また、魔寄せの森へ王家監察官を置く」


 嫌な予感がしたのか、壁際のゼノが眉を寄せた。


「ゼノ・ブルーウィロウを、魔森辺境伯付の王家監察官兼指導剣士へ任ずる」


「お待ちください」


 ゼノが一歩出た。


「僕がこのお嬢様に何を教えろと?」


「対人の間合いも、斧を振れない場所での戦い方も、まだ教えられますわよ」


 アクシスが答えると、ゼノは口を閉じた。


 王が尋ねる。


「ほかにはないのか」


「……謹んで拝領いたします」


「結構。互いによく指導せよ」


 王会議に、小さな笑いが広がった。


 アクシスだけが、ゼノの耳が赤くなったのを見逃さなかった。


      ◆


 王都を発つ朝、アクシスは中央樹院の門前へ立った。


 白木の運搬架は、すでに樹院の奥へ入っている。救出された聖苗は、老樹医たちの手で養生される。


 ネリアは白い外套の胸元を握った。


「次に植えるときは、土と根だけで決めません」


「ええ」


「そこに住む方と、畑と、水路と、お墓まで見ます。根が届く場所を、最後まで」


「今度は、植える前に伺ってくださいまし」


「必ず」


 ネリアは、少しだけ笑った。


 アクシスたちは、再び十一日をかけて魔寄せの森へ戻った。


      ◆


 第二村の水車が、再び回っていた。


 石臼の低い音が、粉挽き小屋の床を震わせている。


 その二階で、最初の六村会議が開かれた。


 六村から一人ずつ。開拓兵を代表して兵士長ブラム。新たに赴任した王国兵の隊長。王家監察官となったゼノ。そして、新しい官印を置いたアクシス。


 決めることは、山ほどあった。


 王国兵の俸給と装備は、王国が負担する。兵舎と食料は魔森辺境伯領が用意するが、徴発ではなく、正規の代金を払う。


 平時の指揮系統は分ける。王国兵は王国側の隊長、開拓兵はブラムに従う。


 ただし、鐘が三度鳴る魔物災害のときだけは、魔森辺境伯が現地の総指揮を執る。


 夜警は王国兵と開拓兵の混成巡回とし、村の若者だけへ負担を集中させない。外柵と街道の修繕費は、王国と辺境伯領で分ける。


 そこまで決めたところで、王国兵の隊長が言った。


「当面の兵糧は、第二村の粉挽き小屋から供出していただきたい」


「兵に来てほしいとは言ったよ」


 エッダが、すぐに返した。


「うちの麦を、ただで食わせろとは言ってない」


 隊長の眉が動く。


 以前なら、領主への反対と見なしたかもしれない。


 だが、家も畑もエッダたちのものだと、王国の法が認めたばかりだった。


「供出ではありませんわ」


 アクシスは新しい官印を取った。


「辺境伯領が、必要な分を正規に買い上げます。価格は昨年の王都相場を基準に、輸送費を足してくださいまし。ローデン、受領証を」


「こちらに」


 用意していた紙が、すぐに差し出された。


 新しい官印が最初に押されたのは、戦功記録でも、爵位継承の祝いでもない。


 兵士が食べる麦を、村から買うための契約だった。


 次に、倒れた黒聖樹の扱いが議題になった。


 討伐跡は引き続き封鎖する。白樹騎士と開拓兵が共同で見張り、中央樹院から樹医が到着するまで切り分けない。判定後、白い部分が残っていれば保存し、黒い幹と根は根焼きする。


 最後に、第二村の水路、南畑へ配る種麦、負傷者の治療費、新しい橋の順で決めた。


 人は腹を空かせる。水路は詰まり、橋は傷み、冬は王会議の都合を待たない。


 父が亡くなった翌朝と、そう変わらない。


 ただし今度は、アクシス一人が決めるのではなかった。


      ◆


 会議が終わるころには、夕日が水車の飛沫を赤く染めていた。


 ゼノは帳簿と受領証を革袋へ収める。


「監察官として、何か問題はありまして?」


「いまのところはない」


「指導剣士としては?」


「ある。対人の間合いも、斧を振れない場所での戦い方も、まだ教えられる」


「ほかには?」


 ゼノは少し迷った。


「黒い根の中で、斧を振り続ける君は……美しかった」


 すぐに付け加える。


「戦士として、だ」


 アクシスは目を細めた。


「わたくし、まだ何も申し上げておりませんのに」


 ゼノは答えず、革袋の口を必要以上に固く縛った。


 粉挽き小屋から出てきたエッダが、水車の回る方角を見る。


「ここは、私たちの土地です」


「ええ」


 アクシスは、今度は言い直さなかった。


「ですから、わたくし一人では守れませんの」


 総監のマルクが新しい図面を抱えて、坂を上がってきた。


「お嬢さま……じゃなかったレディ・アクシスさま。黒聖樹が倒れたところを迂回して、北の巡回路を引き直します。橋も一本要ります」


「休ませる気がありませんのね」


「森は待ちませんので」


 アクシスは双頭大戦斧・開拓《フロンティア》を肩へ担いだ。


 父が三十年かけて通した道の先には、まだ閉鎖林が残っている。


 その向こうへ、今度は自分の名で道を通す。


「さあ、次の森を拓きますの」



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