悪魔の子
「待て!俺も行く!うわっ、ばかこの馬っやめろ落とすな!死、死ぬっ」
とっさにシリウスのしっぽをつかんだ瞬間振り落とされてトーマは宙に浮いた。
ーこれまでかっ?
覚悟を決めた瞬間、目の前が光につつみこまれて、気がつくと彼は戦場に、ヒズのはった結界のなかにいた。
「本当におまえはあきれた小僧じゃな。天馬が人の子など乗せるものかい。蹴り殺されなかっただけありがたいと思え」
「サンキュー婆さん助かったぜ」
呆れた顔でいうヒズにトーマは礼をいうと駆け出そうとする。
その腰紐をヒズは慌ててつかんだ。
「待て。どこに行く気じゃ」
「どこってみんなを助けに・・・」
「お前なんぞ行っても役にはたたぬ。犬死にじゃ。それにこの結界をでることはできぬ。おまえが一歩でもここをでれば王女も我らも炎に消える」
「なんだって?じゃあここで黙って見てるしかないってのか?」
トーマは歯軋りする。
彼のすぐ目の前で老婆が炎に巻かれながらも助けを求めて手をさしのべてくる。
いつも道端に横たわり死んだように眠ることで平和になるときまで生き続けようと努力していた老婆。
それがこんなところでこんなふうに死んでいいのか?
「やめなさいっ!」
となりで悲鳴のような声がする。
王女が必死になって一頭のオークになにかを叫んでいた。
赤毛の少年が襲われている。
右足から大量の血を流しながらもひきつった顔で、それでも必死にオークを睨みつけるのはー、
「ソータ!」
トーマの悲鳴とオークが斧を振り上げたのは同時だった。
ーキィーン!
金属音に思わず閉じていた目を開いたトーマの眼前には炎の中に天馬を従え立つ金髪の少年の姿。
「アルトシオッ!」
ー許さないっ!絶対に許さないっ!
目の前で次々に殺されていく人々。
武器も身を守る鎧さえももたない難民たちを、やっとこの世に生をうけた赤子までも次々に炎に巻かれ死んでいく。
かろうじて生き残る虫の息のものたちさえオークは容赦なく斧を振りおろしていく。
こんなことっ、
「許さない!」
いまはっきりと少年の心には憎しみだけが宿る。
生まれて初めて知ったこんな感情。
ひだまりのようにあたたかだった優しい緑の瞳は憎しみに染められる。
「許さないっ!」
渾身の力をこめてオークの斧をはじき返した。
オークは突然現れた金髪の少年の素性をすぐに悟る。
「太陽の髪に大地の瞳・・・。そうかお前がアルトシオだな」
独特の砂をひきずるような怪音。
にらみつけた少年の剣はあっさりと斧によりふたつにおれる。
「そっちの坊主と仲良くあの世にいきな」
振り上げられる斧。圧倒的な力の差。ただの人間にすぎないアルトシオと怪物の・・・。
(ダメだ!僕はこんなにも無力だ)
何も守れない。
こんなにも自分の力はちっぽけで、
何の力もなくて、
剣さえ手に入れられない。
だけどー、
ーせめてソータだけでも!
もはや恐怖に声すらでない少年の身体を我が身でかばった、その時、
ーヒヒィーンっ!
天馬が彼の上に覆いかぶさる。
「だめだっシリュー!」
ー殺されてしまうっ!
天馬をおしのけようとしたアルトシオが目にしたのは、
炎にくるまれたオークの姿とそれを冷ややかに見つめる漆黒の瞳と背後にある炎と同じ色をした髪のー、
自分とそっくりな少年の姿だった。
「・・・ヴァリシオン」
そう呟いた時、アルトシオは理解した。
いまこの惨劇を起こした張本人が目の前にいることを。
ー許さない!
怒りに頭の中が真っ白になっていく。
折れて役に立たない剣をつかんだ。その姿をヴァリシオンは失笑した。
「聖剣を持たぬおまえが、フィリシアを伴わぬお前が、俺に勝てると思っているのか?」
「そんなことわからないだろっ!」
ーパンッ。
風に役に立たない剣が弾かれ手のひらからとめどなく血があふれだす。
その痛みにアルトシオはがっくりと膝をついた。
こんなにも僕は弱い。
こんなにも力の前に人は屈するしかないのか?
「つまらぬ。そんなお前と戦うために俺は千五百年まったわけじゃない」
「どこに行くっ?」
背を、戦いにおいて決してむけてはいけない背をむけるヴァリシオンをただアルトシオは見送るしかない。
少年には挑む資格すらない。
アルトシオの目の前でヴァリシオンは悠然とサラマンダに乗り込むと言った。
「今度会うときはお前が死ぬときだ」
静かな言葉に反論する言葉がでない。
(僕はなんでこんなに無力なんだろう)
がっくりと膝をつきうなだれる少年の前に、弱々しく差し出される赤くひぶくれた手があった。この手を自分は助けられない。
「・・・アルトシオ・・・」
こんなふうに助けを求められても・・・。
それでも目をあげて声の主を見上げた少年の目に入ったのは散り散りになったほこりっぽい栗色の髪。
赤く焼けただれた顔はけれどトーマに良く似た面立ちを残している。
そうー、
「リタ・・・?」
つぶやきにリタは弱々しく頷いた。
「アルトシオー」
かすれきった声が弱々しく少年名を呼ぶ。
その声に誘われたかのようにふらふらとアルトシオはリタの前にしゃがみこんだ。
さしのばされた手はすべての指がくっついて変なふうに曲がっている。
「ああ・・・かわいそうにねアルトシオ・・・」
最後の気力をふりしぼり発せられる声。
単語ひとつひとつがリタの生命を奪っていく。
「喋らないでリタ」
幼子のように泣きじゃくる息子と同じーけれど深い意味を持つ金の髪がしゃくりあげる幼い肩とおなじように揺れている。
「ごめん、ごめんなさい」
ー僕がいなければ。
声にならない声が聞こえてくるようだ。
ああ、そうだ。
この子はなにも知らずにひとり異世界で育ったのだ。
誰にもなにも教われずに・・・ただ自分をせめる少年は知らない。
ファシル・アルド・バードの民が生まれる前から彼の誕生を喜んでいたことを。
みんながアルトシオの誕生を祝福したことを・・・。
「ごめんなさいごめんなさい」
何度も何度も繰り返す。
もう暗くなっていく視界。けれど脳裏にはっきりと残っている少年のひだまりのようなあたたかな笑顔。
その笑顔を守るためにリタは最後の力をふりしぼった。
「泣くんじゃないよアルトシオ。私の光の王子様。あんたが生まれる時、うちの旦那はトーマと同じように喜んだ。ファシル・アルド・バードの民すべてがあんたの誕生を待ち望んだ。あんたは光の神々の祝福をう・・・けて・・・この・・・・世・・・に生を・・・う・・・け・・・た・・・・・」
ーああ。もっとつたえたいのに言葉がでない。
少年の声が遠くなってくる。
ごめんなさい!ごめんなさい何十回、何百回叫んでもリタもみんなも助からない。
そう泣き叫ぶ少年の魂の声。ああ、そんなに悲しまないで。
あんたは光の王子だ。
ほらあんたの握ってくれるこの手はこんなにも優しくあったかいじゃないか。
この手にゆだねられればきっと光の国にゆけるだろうよ。
ーもう痛みすら感じなくなった。
意識が遠くなる。
(ああでも最後にあんたの馬鹿っ面を見たかったよ)
「・・・トー・・・マ・・・」
最愛の息子の名がリタの最後の言葉だった。
するりと握っていた手がアルトシオの手からはなれる。
「母ちゃん!」
結界を飛び出したトーマがアルトシオの手からリタの身体を奪いさっても少年は呆然と自分の腕の中を見つめる。
ーリタが死んだ。
あの美味しい、あったかい飲み物をくれた、きっぱりと光の王子だと断言してくれた、リタがー死んだ。
ーコンッ。
呆然と座り込む少年の足元で石がはねる。
少したってもう一度、ーもう一度。
何度目かの石が彼の頬をかすめたときようやく少年は石を投げつけられていることを理解した。
のろのろと顔をあげると自分にむかって石を投げつける真っ黒い塊を抱いた少女の姿があった。
腕の中の真っ黒に焦げた塊が彼女の子供なのだとぼんやりと思い当たった時、
少女が叫び渾身の力をふりしぼって石を投げる。
「悪魔の子っ!」




