闇王子と水の子の姫
「服を着ろ」
十五年前、『光の大陸』を恐怖に落とし入れた闇王子ヴァリシオンは少女が想像していたよりもずっと幼い風貌をしていた。
まだあどけなささえ残っている。
けれどその漆黒の瞳は真冬の風を思い出させるほど冷たく澄んでいた。
一糸まとわぬふくよかな少女の裸体を横目に見ただけでそっぽをむく。
そのしぐさもなんだか子供っぽい。
「早くしろ。風邪でもひいたらどうする気だ?捕虜にやる薬など俺はもたぬぞ」
ぶっきらぼうに言い捨てた少年が、以前自殺を謀った自分を三日三晩看病してくれたことを少女は知っている。
そしてまた自殺を防げなかったとして侍女を公開刑にしたことも知っていた。
そうすれば二度と少女が自殺も逃亡もできないことを知っているからこそ、ヴァリシオンは表情ひとつかえずに命乞いする侍女を少女の目の前で一瞬にして焼き払った。
炎と風に愛されし王子ヴァリシオンはけれど少女には指ひとつ触れようとはしなかった。
「なにをしている。はやくしろ。それともルナ・ムーンでは服をきることまで他人にやってもらうのか?」
横をむいたままの少年に少女は何度目かの問を口にした。
「そんなに私には魅力がありませんか?」
対する少年のこたえはいつも決まっていた。
「俺はフィリシア以外の女はいらぬ」
そうヴァリシオンが求めるのは、少女ーミルディーア・アクア・ルナ・ムーンのただひとりの妹にして、月の乙女フィリシアの生まれ変わりでもあるフィオラシアただひとり。
あの日ミルディーアは無理やりファシル・アルド・バードに剣を見いだす旅に同行した。
隠密行動のために僅かな兵士と二人の兄と父に守られる妹に自分がしてやれること
ー危険の身代わりになるためにミルディーアは染料で髪を銀色に染めた。
そして見事にヴァリシオンは騙された。
それほどミルディーアとフィオラシアは似ているのだ。
母は違うものの二人は時を同時に生まれた。
双子とは違うのに双子のように自分たちはよくにている。
それはミルディーアが水の加護をうける水の乙女だからかもしれない。
そんな自分を通してヴァリシオンはフィオラシアーフィリシアの面影を追い求めているのだとおもう。
服をきたミルディーアの方に向き直り王子は言った。
「ひざ枕をしてくれ」
それが唯一少年が少女にのぞむことだ。
ミルディーアが天蓋ベットに腰掛けるとヴァリシオンはその膝の上に頭をのせると目を閉じた。
(俺はいったい何をしているのだろう)
ミルディーアの膝の上で目を閉じたままヴァリシオンは思う。
最愛の少女と良く似た、けれど別人の少女を前にその身柄だけを拘束してなぜか満足している自分がいる。
ー不思議な女だ。
自分の髪をまるで母親のように梳く優しい手には恐れも嫌悪も感じとれない。
ただ疲れた者を癒す水の女神に愛されし聖女の手。
それも無理のないことかもしれない。
光の神々の中でも水の女神アクア・フィールは慈愛に満ち数十年に一度の割合で人間にその愛を授ける。
水は癒しの力の象徴だ。だからだろうか?こんなにも優しく敵である自分に指ふれるのは・・・。
「子守歌を歌ってくれないか?」
ヴァリシオンは聖女の手をとり訴える。
彼を知る家臣たちが聞いたら卒倒するようなセリフもこの少女なら小さく唇の端に浮かぶからかうような笑みに耐えるだけですむ。
その笑みもまた少年を心地よくさせた。
小さく優しく澄んだ甘い声が古詩をつづりはじめる。
愛し子よ。
あなたがそこにいるだけで、
光の神々は我らに幸をあたえるわ。
愛し子よ。
あなたがかなしく泣くそれだけで、
水の女神は我らに雨をあたえるわ。
愛し子よ。
あなたがひだまりのように笑うとき、
太陽は我らに光をあたえるわ。
愛し子よ。
あなたがくしゃみをするだけで、
風の神は我らに心地よさをくれるわ。
愛し子よ。
あなたが怒るそれだけで、
火の神は我らに炎をあたえるわ。
愛し子よ。
あなたが足で歩くたび、
大地は我らに恵みをあたえるわ。
愛し子よ。
あなたがここにいるだけで、
光の神々は我らに幸を下さった。
ふるいふるい古詩の歌。
赤子の成長と健康を願う歌。
はるかはるか遠くにきいた歌・・・・。
ずっとこうしていたいけれどー、
「ミルディーア」
ヴァリシオンは身をおこして少女を見つめた。
海色の瞳が彼の急な行動に戸惑うように見つめかえす。
「俺は今日またルナ・ムーンを攻める」
その言葉に少女の瞳が哀しげにふせられたが続くヴァリシオンの言葉にふたたび目をあげた。
「アルトシオがもどった」
「王子様が?」
驚く海色の瞳の奥にさしこむひとつの光。
それはまぎれもなく希望。
アイツと俺の名前の違い・・・。
わかりきったことなのに心が悲鳴をあげる。
馬鹿げていた。
「・・・そうだ。俺は戦わなければならない。そして奴もだ」
「戦争はなんの罪もないたくさんの人の命を奪います」
ミルディーアが哀しげに目をふせる。
けれど決してそれはヴァリシオンを非難している言葉ではなかった。
少女は理解しているのだ。
それが戦争なのだと。
ー戦いのさきに何があるのか。
それは誰にもわからない。
けれど・・・。
「俺はこの世界を統一する」
支配の上に成り立つひとつの帝国。
それで二度と戦争が起きないのならそれもまたひとつの『聖霊界』だ。
その信念をもとに少年は飛竜に乗る。
「俺は俺の道を生く!」
誰にも指図されず、
誰にも頼らず、
たったひとりでも戦おう。それが、
ー闇王子ヴァリシオンだ。
飛び去る竜の背中をミルディーアの海色の瞳が哀しげに見送っていた。
いつまでも・・・。
ーいつまでも。




