ヴァリシオンと至福の森の老妖精
そこは死の大地だった。
果てしなく広がる永久凍土。
十五年前に滅んだ古き光の王国ファシル・アルド・バード。
その黒き大地に一頭の巨大な飛竜が舞い降りる。
炎を吐く聖なる飛竜ーサラマンダ。天馬シリウスと対をなすもの・・・。
その背からとびおりると赤毛の少年は大地を踏みしめた。
ーシャリ。
ふみしめる大地にこたえはなく、風が冷たく彼の白い頬をなでてゆく。
膝をおり凍土に指を触れてみる。すると彼の指が触れたところからまるで炎にさらされたかのように氷がとけだし焦げた大地が顔をみせた。
風が森から種子を運んでくる。
けれど、こたえる声はなかった。
「ーふっ」
軽くため息をついて少年は立ち上がる。
べつに期待などしてはいない。
なぜなら彼はこの大地に嫌われるだけのことをした自覚があった。
まるで燃えさかる炎のように赤い髪が背後の至福の森から吹いてきた風になびく。
凍てつく大地と同じように冷たく澄んだ漆黒の瞳がその森の姿をとらえる。
遥か昔、気が遠くなるような長い年月を彼とともに過ごしてきた森。
少年はサラマンダに乗りその森を目指す。
この大地を自身の手で焼き払ってから十五年。
彼はふたたび森を訪れる資格を手に入れた。
人間たちが至福の森と呼ぶように、そこには精霊たちの恵みあふれている。
木々はたおやかに枝をしならせ緑をめぐらし実をつけて、花々は陽気に歌を歌って少年を出迎える。
ーヨウコソ、フルキヒカリノオウジ。
ーヨウコソ。ワレラノコ。
少年はなにも言わずに足早にその前を歩き去る。
陽気な出迎えも少年にとっては邪魔なだけだ。
彼らの存在は幼い頃を思い出させる。
自分にとって、そしてアイツにとってこの世のすべてが光り輝いていた頃をー。
森のはずれに小さな一見の家がある。
そこには少年と同じく過ちを犯し森の奥に入れぬ人物が住んでいる。
ーカーン。
ーコーン。
静かな森に斧の音だけが響く。
小屋の前で小柄な妖精が自分より大きな斧を振りかざし木を切っている。
その光景に少年は呆れた。
「何をやっているネルフィス。この森の木々を傷つけることはご法度だぞ」
少年の声にも妖精は斧をふるう手をとめない。
ーカーン。
ーコーン。
澄んだ音だけが異常に響く。
少年は舌打ちをした。これでは少年のだいっきらいな説教好きの妖精たちがやってきてしまう。
少年が用事があるのはこのたったひとり、目の前にいる馬鹿だけなのに。
「ネルフィス!聞こえないのかっ!」
腹の底からだした大声にやっと音がやみ妖精が少年の方をむいた。
腰まである長い白髪がまずふさふさの眉毛につながり、それがまたもや腰まである白い髭につながっていた。
まるで白い綿菓子のような妖精の名はネルフィス。
遥か遠き時代に罪を犯し以来ここでひっそりと暮らしている。
妖精は少年を見て露骨に嫌な顔になると言った。
「なんじゃい、ヴァリシオンか。いつみても年をとらんなお前は」
その言葉に赤毛の少年ー『光の大陸』を震撼させる闇王子ヴァリシオンは苦笑した。
「あんたは老けたなネルフィス。もうどこが顔だかわからない」
「フン。お前がおかしいんじゃ。人間のくせして時をとめよってからに」
そういうとまた斧を振り上げる。
その俺をヴァリシオンは掴んだ。
身長差があるので簡単に妖精が宙に浮く。
妖精は驚くほど軽かった。
そういう種族なのだ。
「久しぶりなのに随分と冷たいじゃないか。俺が何をしたというのだ?」
「何じゃとー?」
ぶら下がる身体に思いっきり反動をつけてネルフィスはヴァリシオンのすねを蹴り上げようとした。
しかし、ヴァリシオンがかわすとゆでタコのように顔を赤くしてまくしたててきた。
「自分が十五年前に何をしたのか覚えてないとはゆわせんぞ!ようやく千と五百と二日と五時間三分十一秒ぶりに生まれたアルトシオを襲うなど、お前には血も涙もないのかっ?そしてまたやっと存在すべき世界にもどった奴を襲うーそうじゃな?」
じろりとにらみあげると赤毛の少年は首をすくめた。
「そのどこが悪い。ネルフィス。おまえの頼みをきいて十五年間待ってやった。もうこれ以上は待てない」
「お前らしくないと言っておるのじゃ。ファシル・アルド・バードを滅ぼすということはもう二度とラディオンの血を継ぐ者があらわれんかもしれないのだぞ?お前はそれでもいいのか?」
ネルフィスは斧を大地に投げ出してヴァリシオンに訴える。
人間界に伝わる伝説は間違いだ。
闇王子ヴァリシオンが目覚めるから聖王の子が生まれるわけじゃない。
むしろ聖王の子が生まれる時代にヴァリシオンが目覚めるのだ。
つまりは聖王の子が生まれないということはヴァリシオンもまた眠り続けなければならない。それなのにー。
「ーネルフィス。俺は六度、気が遠くなるほど長い時を経てあいつと戦うためだけに生きてきた」
静かな言葉に妖精は深く頷く。
「それがお前たちの宿命だ」
「わかっている。だがもう疲れた」
呟くようにもれた言葉にネルフィスは凍てつく冬の風を思い出させる黒き瞳を見上げる。
自信そのもののようなヴァリシオンがこんな台詞をはくのは初めてだった。
その妖精の驚きを隠さない視線に少年は自嘲した。
「ー六度も同じ女にふられればいい加減に俺の目も覚める」
ーずっとたったひとりだけを求めてる。
切なくなるほど長い間、ずっとヴァリシオンは待ち続けている。
その横顔にネルフィスは心が痛んだ。
この世がまだ『聖霊界』というひとつの世界だった時代、ネルフィスと彼の妻ヒズの悪戯によって生まれてしまったふたつの魂。
もとはひとつの光の魂だったのにー。
たったひとりの少女の愛が運命をわけた。
ー月の乙女ーフィリシア。
彼女がラディオンを選んだからといって責める筋合いはネルフィスにはない。
けれどながいながい時を経た現在、どうしても考えてしまう。
もしもフィリシアがヴァリシオンを選んでいたならと。
(さすれば『聖霊界』はいまだ存在したかもしれぬ)
ラディオンとはそういう王子だった。
不器用で気が弱いともとれるほど優しい心の持ち主、大地と太陽に愛されし王子ーラディオン。
人をひっぱっていくような力強さはないもののその人柄で人をまとめる力を持つ王子。
対して行動力と判断力そしてなによりも自信に満ちあふれ人々を強引なまでに導く力をもつ炎と風に愛されし王子ーヴァリシオン。
王は悩みひとりの少女に次代の国王を選ばせた。それが月と水の女神に愛されし乙女ーフィリシアだった。
誰もが賢く聡明で愛情にあふれた美しい少女はヴァリシオンを選ぶと思っていた。
そうなることが一番良い選択だったといまでもネルフィスは思う。
けれど月の乙女が選んだのは気が弱く、けれど誰よりも心優しき王子ラディオンだった。
生まれて初めての挫折。
しかも心の底から惚れた少女が選んだのは、自分よりもなにもかも劣る双子の兄という現実にヴァリシオンが納得するはずもなく、成るべくして世界はふたに分裂した。
ラディオンを聖王と慕う国々が集まり生まれた大陸。太陽と大地の恵みを十分に与えられ、
まるで春のこぼれ日のようにあたたかく光りに満ちた大陸はいつしか『光の大陸』と呼ばれ、
炎と風に愛されしヴァリシオンはその大陸の遥か彼方に彼を信じついてきた様々な人々を統一し国を建国した。
それが『彼の地』だ。もとは同じ光の神々に祝福されたひとつの魂。
呼び名も同じ光の王子だったのにー。
ヴァリシオンが永き眠りから目覚めると世界の存亡をかけた大戦がはじまる。
長い闇が世界に訪れる。
そしていつしか人々は少年をこう呼ぶようになった。
ー闇王子。
(ラディオンもヴァリシオンも求めるものは同じはず・・・)
彼らがともに目指すもの。争いもなくみなが平和に暮らすことができる彼らの祖国『聖霊界』。
目指すものが同じであるからこそ争いが避けられないのか・・・。
古よりながいながい時を経て果てしなく続く戦いをたったひとりで戦いぬいてきた王子。
ある時は勝利し、ある時はその手で愛する少女を殺め、ある時は深い傷を負い眠り続けた。
ヴァリシオンが本当に心から欲するもの。
それは月の乙女フィリシアの愛。ただそれだけなのに・・・。
(時の流れにもフィリシアの想いは変わらぬか)
ネルフィスはそっとため息をついた。
いつの時代に生まれいでしとも、どんな状況でも、巡り合い愛し合う運命のふたり。ラディオンとフィリシア。
その絆は時を経る度に深くより強固なものになりヴァリシオンを打ちのめす。
そしていまネルフィスの目の前には長い片思いに疲れきった少年の幼い顔があった。
不憫だと思う。
この果てしなく長い時の中でたった一度でもヴァリシオンに愛情をくれた者がいたのか・・・。
けれどネルフィスにはどうすることもできない。
彼はただこの戦いが行き着く先を見届けなければならない。
それが彼の宿命だった。
立ち去る赤毛の幼い後ろ姿に妖精は祈る。
ー願わくば愛すべき光の子らが戦わぬように。
ーもうこれ以上誰も傷つかないように。
ネルフィスはただ祈り続ける。古より
ずっと・・・。




