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感謝祭三日目には公園などの大きな広場に露店が並ぶ。神教以外の商人たちが簡易の露店を作り、珍しい品々を売る。
的当てやくじ引きなどの遊び、大道芸人や楽器の演奏者などもやって来る。
ルクスの住人は家族で公園にやってきて、後夜祭を楽しむのだ。
噴水公園にやって来た私と姪は、一昨日とは違う景色に胸を躍らせた。
昨夜の宴会は夜遅くまで続き、会って間もない人たちなのになぜか気が合って、他愛のない会話が尽きなかった。そして一人、また一人と眠ってしまって、気づけば朝。日が昇ってすぐにキアと護衛官二人は静かに家を出て、メサンも姪が目覚める前に家に帰った。
そして姪と二人で昨日の後片付けをして、少し早いが待ち合わせ場所にやって来たのだった。
「テレサさん、この前と全然違いますね」
「ええ。今年も沢山の店が出ているのね」
屋根付きの露店には色とりどりの異国の服を身にまとった商人たちが客引きをしている。
木製の置物や子ども用のおもちゃ、刺繍の凝った洋服や色の鮮やかな織物。絵柄の入った食器に、銀製の燭台、毛皮の襟巻や革製の財布なども売られている。
どれもこれも欲しくなってしまうほど、美しく作られているが、金欠の私にとっては眺めるだけだ。あんなに硝子細工に目を奪われている姪に、何一つ買ってやれないのが情けない。
「何も買ってあげられなくてごめんね」
「何言ってるんですか。私はテレサさんの本当の姪ではないんですよ。気を遣わないでください」
「そうだったわね」
いつの間には彼女の事を本当の姪の様に想っていた自分に少し驚いた。
「そうだったわ。貴女は夫が誘拐してきた女の子だったのよね」
忘れてはいけなかった。彼女は夫の罪のせいでここに居るという事を。
「テレサさん、私はやっぱり運がいいんです」
「やっぱり、ってどういうこと?」
「私が持っていたランタンはランテルナが配る祝福の灯で、持つ者に幸運を授けるらしいんです。だから私は運が良かった」
「誘拐されて運がいいなんて言う人はいないわ」
「でも、こうしてテレサさんに優しくしてもらえました。誘拐された先がテレサさんで私は良かったなと思いました」
屈託無く笑う目の前の女の子は、初めて出会った日の怖い顔の女の子とは思えない程、穏やかで可愛らしかった。
「あのね、私、あの人に離婚を切り出したの」
「……そうですか」
「あの人が帰ってきたら正式に離婚届けを出そうと思ってる」
あんなに離婚を薦めていた姪の表情は明るいものではなく、どこか困っているような、罪悪感を抱いているような表情だ。
「私のせいですか。私があの人の妻をやめてくれって言ったからですか?」
「そうじゃないわ」
「なら、私を誘拐したからですか?」
「そうじゃなくて、私自身がそうしようと決めたの。誰のせいでもないわ」
姪は「そうなんですね」と小さく呟いて、私の腕に手をまわした。
「私がバシーノさんに紹介しますね」
「もう、その話はいいの。私は気ままに一人で生きていくって決めたから」
幸か不幸か私は職を持っているし、家もある。夫と決別したところで、困るようなこともないだろう。こうして考えてみると、どうして私は苦労をかけられている夫と長い間一緒に居たのだろうか。
通り過ぎる人たちの目には本当の伯母と姪、又は親子のように見えただろう。それぐらい私たちはとても近い距離でにこにこと笑い合いながら露店を見て回った。
太陽の光が弱まって、辺りが薄暗くなってくると、一気に気温が下がり始めて、冬の訪れを感じさせる。この感謝祭が終われば、暦の上では冬だ。吹き抜ける風が冷たくて、私は襟を立て、姪は袖を伸ばした。
「そろそろ、バシーノさんも来る頃かしら」
「どの辺りに立っていれば、見つけてくれるでしょうか」
「やっぱり、噴水の近くかしら」
二人で噴水の元へ向かおうとしたその時だった、陽が沈みかけているはずなのに、眩しい光が視界に入って来た。それは高い塔のてっぺんから光っているようだった。
「あれは何?」
広場に集まった人たちもその異変に気付いて、光っている方を指さしている。それはかつて青将星アシリ様がこの国を守ったとされる城壁の一部だった。
「テレサさん、あの塔に何があるんですか?」
「何もないわよ。あそこは立ち入り禁止だもの」
もともと城壁の一部を切り離して移築したもので、ただの戦勝記念の巨大置物にすぎない。一応、塔のように内部に階段があって屋上まで行けるらしいが、老朽化もしていて危ないので内部への立ち入りは禁止されている。
「あれはどう見ても火じゃないな」
誰かの言葉に、私たちはハッとしてお互い目を合わせた。どうやら考えていることが一緒らしい。
「テレサさん。行きましょう!」
「ええ、もちろん」
そうだ、こんなに遠くまで輝く光など私は彼女の持っていたランタン以外知らない。
ランテルナが姿を消したと言われてるなかで、この国にランタンが二つも存在するとは思えない。きっと、いや、絶対に姪のランタンだ。そしてその持ち主は……。
緋色の丈長の外套に身を包み、同じく緋色の頭巾を目深に被って、顔を隠している。男か女かも分からないその人物は、塔の上に立っていて、やはり手にはランタンが握られている。
突然の緋色の人物の登場に、塔の周辺には人が集まってきていた。
治安部隊が到着し、塔の周りを囲って、野次馬たちを下がらせ、一定の距離を開けさせる。
「そこの者、今すぐに下りてきなさい。そこは危険の為、立ち入り禁止だ」
治安部隊は大声で呼び掛けるが、民衆の騒めきに掻き消されているせいか、わざとなのか、緋色の人物は無反応だ。
陽が落ちていくにつれて、ランタンの光に強さが増しているように感じる。
「テレサさん、あの人でしょうか」
「どうかしら。よく分からない」
外套は足元まですっぽり覆い隠すほど大きく、ランタンが眩しいあまり、持ち主の顔を判断するのは難しかった。
治安部隊の数人が塔の内部へ入ろうとするのだが、石扉が固く締められておりビクともしない。
「お集りの皆様、神への感謝はもうお済ですか」
それは空から降ってくるような声だった。塔のてっぺんにいる人物が言葉を発しているようだが、不思議なくらいにはっきり聞こえる。まるで近くで聴いているかのようで、あんなに高い場所から話しているとはとうてい思えない。
「数百年前、この塔が城壁だったころ、この場所である人物が戦っていた。その者は大群で押し寄せるケルウスの軍勢と対峙し、そして勝利した」
広場に人々が次々増えていく。雑音が増えていくのにもかかわらず、緋色の人物の声は明瞭で、言葉を聞き逃すということは無さそうだった。
「今、誰かが青将星アシリ様の事だと言ったが、私の知る歴史ではそうではない」
何を言っているんだという民衆の疑問の声になど耳を傾けずに話は続けられる。
「魔法をかけられた馬軍は高速で走り、空を駆けた。弓矢は速度を保ちながら必中し、振り下ろされる刃には炎や毒が取り巻かれてある。ケルウスの魔法を取り込んだ戦闘技術はどの国にも勝る」
歴史には確かにケルウスの軍勢は強力な力を有しており、一気にグッタ以外の国を手中に収めたと記されている。
「対してグッタの僧兵はどうだろうか。信仰の下統率は取れていただろう。アシリも優秀であったであろう。しかし東で一番の大国の圧倒的な力に対抗できていただろうか。答えは否」
緋色の人物の大声に姪が私の袖をぎゅっと掴む。
「この城壁はあっという間に包囲され入り込まれた。白兵戦が始まると、グッタの兵は次々に倒されていった。アシリがここまでかと城壁を手放そうとした時、英雄は現れたのだ」
そんな話は嘘だという民衆の声が次々に緋色の人物へと投げ込まれていく。しかしランタンを持つ者は意に介さない。
「そう、まさにこの場所だ。彼は胸の奥に渦巻く大いなる力を抱えながら内部の階段を登り、この場に辿り着いた。そしてその力を発揮した」
さっきから何の話をしているのだろうか。作り話?それとも、芝居の一場面だというのか。それとも本当に真の歴史だというのだろうか。
「彼の使った力はあまりに強大で、その場にいたあらゆる者の力を奪い取り、そして城壁より北側に全ての生き物を放り出した。鼠や虫に至るまで何もかもだ。宙に浮いていた馬は地に落ち骨を折り動けなくなった。力を増幅させていた兵士は途端に弱くなって倒れた。寿命を延ばしていた者、大怪我を負っていた者は命を失った。英雄のせいで戦場に立っていられたのは青将星アシリと英雄だけだった」
そんな歴史は知らない。私の知っている歴史にはそんな英雄は登場しない。
「英雄は名を伏せられ、功績もアシリに奪われた。恐ろしい力を持っていたあまり、忌避されたのだ。英雄に救われたにもかかわらず、グッタの民は英雄を追い出し、その後息の根を止めようとさえした」
冬の初めを報せるように、冷えた突風が吹きつけて、緋色の外套を靡かせる。頭巾が背中の方に飛んでいき、現れた顔には鼻と口を隠すように黒い布が巻かれていた。
「テレサさん……」
「やっぱり、そうだったのね」
顔の下半分を隠しても私にははっきり分かる。妻だから。
「何故、この国の民は英雄を受け入れずに殺そうとしたのか。信仰を同じにしないよそ者は命の恩人でも悪なのか、排除するのか。この国を好きに動かす者たちは民に不都合な歴史を教えない。そのように道を外れる者たちにランテルナは祝福を与えない。見えているだろう、これは祝福の灯である。ランテルナは存在し、こうして別の国民には祝福を与えているのだ。ならばどうしてグッタの民には与えられなくなったのか。今一度考えるべきだ」
誰かが叫んだ「神様がいればランテルナなどいらない」と。
「はたしてそうだろうか……」
緋色の人物が話す横顔に向かって誰かが矢を放った。おそらく治安部隊の仕業だろうが、その放たれた矢は緋色の外套を射抜く前に空中で静止した。そして力なく転がるように落ちていく。
この光景に民衆は驚き、悲鳴を上げている人もいた。日が暮れて薄暗いが、ランタンの灯でその一部始終がはっきり見えているのだ。
「そう、まさにこれだ。こうして不都合な者を排除するのがこの国なのだ。そしてランテルナに見捨てられた者に未来は無い。私はランテルナが不要としたものを排除しなければならない」
そう言って、緋色の人物は何か大きな塊と一緒に塔から足場のない前方へと出た。裾が長いので足が動いているのかは見えないが歩み出たように思える。
あの隣に見える塊は何だろうか。透明な箱のような……。
「浮いているぞ!」
指を刺した男はそう叫びながら腰を抜かしていた。
「これはある女性が眠っていた硝子の棺だ。しかしこの中に横たわっていた人物はもうこの国には居ない。国は何故隠すのだろうか」
もしかしてあの塊は、リーベ様が眠っていた硝子箱ではないだろうか。
前へ移動したとき、緋色の外套の後ろに人影が見えた。それは後姿で、一瞬だったが、どこかで見たような背中だった。
「あれはリーベ様が眠っておられた硝子箱ではない、断じて違う」
「虚言者の話を鵜呑みにするな。惑わせようとしているのだ」
「国民に不安を煽る輩を野放しにするな、始末しろ!」
民衆がリーベ様の名前を次々に言うので、治安部隊が否定するように大声を張り上げている。
緋色の外套が靴の裏側から吹き上げる風で揺れている。宙に浮いたまま少し歩いて、そしてこう言った。
「もういい」
足を踏み外すようにガクンと片足が下へ引っ張られ、体勢を崩し地面に吸い込まれるように墜落した。
男の小さな悲鳴と共に緋色は落ちていき、ランタンを抱えるような体制のまま、鈍い音を立てて地面に激突したのだった。
そしてそれと同時に硝子箱も勢いよく落下して、地面に叩きつけれらた。しかし硝子箱は割れることも弾けることもなく、そのままの形で地面に転がった。
民衆は大きな悲鳴を上げた後、息を止めるような静寂を作った。
私はその場にへたへたと座り込んだ。そしてこの静寂の中、初めに動いたのは姪だった。
民衆を掻き分けて緋色の人物に駆け寄ろうとしてるのだと分かった。私は声も出なくて、その後姿を眺めているしかできない。
「行くな!ソラ」
「ダメだ!ソラヤ」
男性と少年の声が同時に聞こえて、姪を止めようと男性が飛び出して、彼女の腕を捕まえる。
姪が動いたのをきっかけに民衆が動き始めた。気味悪くなって逃げる者や、近づいて顔を確認しようとする者、その場に座り込んで混乱する者、様々だ。
「ソラ、行ってはいけない。知り合いだと思われる」
姪の腕を掴んだ男性が姪を説得しているが、私の角度からでは誰なのかが分からない。
「でも、あの人はテレサさんの」
「それ以上言うな。治安部隊が聞いている」
右に左に何かを確認する横顔を見て、その男性がバシーノさんだとようやく分かった。
「バシーノさん、ランタンはロアと僕に任せて」
そう言って、背の低い少年が緋色の下へ駆けていくのが見えた。手足が細く走り方もどこかぎこちない、病弱そうな少年だ。
近付こうとする民衆を払いのける治安部隊の足元を潜り抜けて、少年は緋色の下へとたどり着いた。私も何とか足を動かして、少年が見えるようにぎりぎりまで近づいた。
「そこの、近寄るな!」
偉そうな治安部隊の男は少年の腕を掴んで追い払おうとする。
「ねえ、歌ってもいいですか」
「なんだと!こいつと知り合いなのか」
「その人の事は知りません。僕はルシオラです。歌いたくて仕方ないんですよ。歌ってもいいですか?」
「ダメだ。ルシオラの公共場での歌唱は認められていない」
「この場を収めるにはルシオラが歌って、魂を切り離してしまう方がいいと思います。確実にここで亡くなったと知らせた方がいいのでは?」
治安部隊の男は騒いで民衆を見渡し、苦い顔で小さく頷いた。
「今回に限り許可する」
「それでは遠慮なく」
少年は緋色の横に座って、澄んだ美しい声で歌い始めた。私はルシオラの歌を初めて聴いた。
「バシーノさん。あの人は助からないんですか」
姪はそう言いながら私の近くに寄ってきて、私の腕に手をまわす。
「あの高さから落ちれば誰も助からない」
バシーノさんは静かに呟いて、辺りを見渡していた。さっきから誰かを探しているようなそぶりを見せている。
「テレサさん……」
「ねえ、私、今、どんな顔してる?」
「え?」
「自分でもよく分からないの。悲しいのか、恐ろしいのか、苦しいのか、寂しいのか。ねえ、どんな顔してるか教えて」
姪は私の顔を覗き込んで、眉尻を下げた。そして口を堅く結んで、瞳を潤ませる。そして質問に回答は無かった。
少年が歌い始め、あまりにも上手すぎる歌唱に誰もがルシオラの歌だと予想したらしい。
「死んだのか」「やっぱり助からないわよね」といった言葉がぼろぼろ発せられていく。騒ぎがゆっくりと落ち着いていき、騒がしい音も小さくなって、ますます少年の歌声が響き渡っていく。
「ソラ、キュフが魂を切ったら、二人でこの国を出るんだ。最初に駆け寄ろうとしたソラと、魂を切ったキュフを治安部隊は放っておかないだろう」
「でも、テレサさんはどうなるんですか」
「大丈夫だ。俺が何とかする」
「でも……」
姪が何かを言いかけた時、民衆がどよめいた。緋色の人物の体から黄金に輝く雫状の光が出てきたからだ。
「意外に早かった。ソラ、人と人の間を縫ってキュフに近づき、北に向かって走るんだ。いいな」
バシーノさんが指を刺した方角はルクスを出ることが出来る最短の道がある方角だ。
「道ならキュフが知っている。大丈夫だから」
姪は私の方を見て心配そうな表情を浮かべている。誘拐されてきた子が誘拐犯の妻に同情などしなくていい。
「貴女の行くべき道へ行きなさい」
そう言って背中をぽんと押してやると、彼女はポケットから小さな紙を取り出して、私の手に握らせた。
「テレサさん、どうかご無事で。またいつか会いましょう。バシーノさんもお世話になりました」
私とバシーノさんが小さく頷くと、姪は頭巾をかぶり人混みの中へと消えて行った。これが彼女との別れだった。
ルシオラの少年は治安部隊の男から刃物を借りて金の雫から伸びる細い無数の糸を切り離してみせた。離れた瞬間、ふわっと浮いたそれに目掛けて黒い影が飛んでくるのが見えた。
「鳥だ!」
誰かが言った通り、それは大きな赤い鳥だった。鳥は緋色の人物の体から出てきた金色の雫目掛け飛んできて、そして餌を食うように一飲みして飛び去って行ってしまった。
その光景に目を奪われている間に、少年は光輝いているランタンを拾って、黒い布でくるんで走り逃げていく。ランタンが無くなり暗闇になった中、治安部隊が鳥と少年どちらを追いかけていいのか右往左往している隙に、バシーノさんが私に「行こう」と声を掛けたのだった。