少女達の戦い(8)
「すいません。急に人を連れてきてしまって」
夕方の営業が終了した時刻を見計らって、放課後明莉は山岸を連れて《黒猫》を訪れた。
「いえ、僕達としても仲間が増えるのは喜ばしいことです。明莉君のお墨付きであれば問題ありませんよ」
常に姿勢を正したマスターが、明莉が連れてきた少年へと向き直り、慇懃に礼をする。
「ようこそ山岸さん。僕は店主代理の坂本宗平です。歓迎しますよ」
「……ども……」
明莉に紹介されて店のテーブル席へと座らされた山岸は、学区外にある喫茶店の雰囲気にやや気後れしながら、マスターの挨拶に顎を引いて会釈を返した。
「ふぅむ……梢ちゃんの幼馴染みか~」
「うぉ!?」
横から現れた園花千香がテーブルに手をつき、ずいっと前屈みになって山岸の顔を覗き込む。唐突に妙齢の女性にじっと見つめられて、山岸は変な声をあげて赤くした顔を仰け反らせていた。
「純そうな子ね。いいんじゃない?」
「千香さん、年頃の男の子をからかっちゃ可哀想っすよ」
そんな少年を同情的な目で一瞥して、城森が千香を窘める。続けて名乗るその二人の大人とも、山岸は挨拶を交わした。
「あいつ、こんなとこでバイトしてたのか……」
「いいところでしょ?」
呆気にとられたように呟く山岸に、隣の席に座る明莉は我が事のように言うと小さく笑った。
「すみません。遅れました」
そこに、閉店の札が掛けられているはずの店の扉が開かれ、来客のベルが店内に鳴り響いた。謝罪とともに現れた背広姿の沓掛が、その場にいる全員を見渡して改めて頭を下げる。
初対面の山岸にも身分を明かした彼は、懐疑的な顔をする少年に苦笑を向けつつ、適当な席へとついた。
「これで全員ね」
千香がカウンター上で座っている黒猫に目を向けて、自身も席の一つに腰掛けた。
「それでは始めましょうか。明莉君、学校での梢君の様子は変わりありませんか?」
「はい……。先生に相談しても、動いてくれそうにありません」
マスターが口火を切り、話し合いが始まる。議題は梢に関する一連の流れを、どう断ち切るべきなのかというものだ。
この一週間、明莉が学校で沈黙を貫いていた理由のひとつでもある。大人達は各自が動ける範囲で、梢のためにできることを模索していたのだった。
「私の方も学校側には掛け合ってみてはいるのですが……成果は芳しくありませんね」
明莉に追従するように沓掛も口を開いた。
「やはり、梢ちゃん自身がイジメを認めようとしていないところが大きい。あくまでも今回の事は生徒間の対立で起きている問題だから、学校側で対処すると。口を挟むなと暗に言われているようなものです」
「なんだよそれ。それをどうにかするのがオッサンの仕事じゃないのかよ!」
沓掛の説明に山岸が憤りをぶつける。それが理不尽なものだと承知の上で、沓掛は少年の怒りを受け止めて神妙に頷いた。
「申し訳ありません。学校という場の性質上、私が手を出しにくいのは事実です。しかし、学校内の様子を証言してくださる第三者がいれば、それだけで心強い」
「子供の言うことが証拠になるのか?」
「もちろん。残念な話ですが、門原さん一人だけの証言では限界があります。何せ……当事者でもありますからね。客観性という意味でも、山岸さんのような方の存在は貴重ですよ。当然、あなたにもリスクのあることです。無理強いはできませんが……」
「そんなもん構わねえよ。木野内が助かるならなんでも言うさ」
「そうですか……ありがとうございます。それでは、あとで個人的に話を聞かせてください」
「……いいけど」
沓掛の腰の低さに毒気を抜かれたように、山岸は不器用に口を動かしながら首肯した。
「それで沓掛君。山岸君の証言が加われば学校側を動かせられそうですか?」
「現状の手応えからして、はぐらかされる可能性の方が高いとは思いますが……諦めるわけにはいきません」
マスターの質問に、沓掛は口もとを引き締めて答える。その回答も予想の通りだったのだろう。特に異論を唱えるでもなく、マスターは次の話へと移った。
「わかりました。こちらも別方向からのアプローチは継続します。城森君、園花君、そちらはどうなっていますか?」
「別方向……?」
「えっとね……皆瀬さん達が、梢の過去について何で知っていたのかって話。そういうのって、個人情報だから……」
疑問を顔に浮かべる山岸に明莉が説明する。数年前の隣町の事件だ。噂もあるし調べれば当たりをつけることは可能かもしれないが、そこに皆瀬が至った経緯は調べてみる価値はあった。
「それじゃ、まずは僕の方から……。明莉ちゃんから聞いた皆瀬さんの特徴をもとに、街で聞き込みをした結果……繁華街によく出入りしているっぽいっすね。悪い噂が多いっす」
優しい面立ちを陰らせた城森は、一度気を込めるように息を吸い、重たげに口を開けて先を続けた。
「具体的に言うと、売春です。少人数のグループを組んでいて、彼女が仕切ってるらしいっす」
場が気まずい沈黙で満ちる。特に沓掛は遣るせなさそうな顔となり、城森に訊ねた。
「聞き込みと言いましたが、情報源は……?」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず……て言っても、もちろん手は出してないですからね。適当にご飯食べさせてあげて、話を聞かせてもらっただけっすよ」
平静を保って言う城森ではあったが、その表情は晴れない。彼の話には、まだ続きがあった。
「桶布とは違う子でしたけどね。最近、お得意様を見つけたって言う子がいたんすよ。それがどうやら、桶布の教師らしくてね」
「情けない……世も末ね。なんでバレないと思うのかしら」
子供を食いものにしようとする存在に、千香は嫌悪を隠さなかった。
「それを聞いて解ったわ、城森君。私が手に入れた情報とも一致するはずよ」
「と言いますと……?」
「そいつ、たぶん私の店に来た奴よ」
目で先を促す城森に、千香は渋面をつくりながら言った。
「店……?」
「ああ、ごめんね説明足らずで」
またぞろ話について行けていない山岸に、千香が吐息しながら片腕を広げて見せた。
「昔取った杵柄でね……お姉さん、ここ数日ちょっとした伝手で夜のお店で働かせてもらってるのよ。あ、エッチなお店じゃないからね。お酒を提供してお客様のお話を聞くだけのお仕事だから」
つまり城森も千香も、夜の街でそれぞれできる範囲で情報収集に勤しんでいたということだ。
その網に引っかかったと思われる教師の存在を、千香は語った。
「最初は言いたくなさそうだったけど、お話に乗せてあげれば桶布の教師だってすぐわかったわ。子供は大人を舐めてるとか、平気で脅してくるとか、延々とそんな愚痴ばっか吐いてたわね。相当ストレス溜まってたみたいよ」
「ちなみに、名前は?」
「浮田って言ったわね。写真もあるわよ」
千香はカウンター席から立つとテーブル席の方へと歩み寄り、ウェイトレスの制服の懐からスマホを出した。
そのスマホの画面には、髪を盛り、煌びやかなドレスを纏って別人のように変身を遂げた千香と、グラスを煽る大柄な男のツーショットが映し出されていた。
「まさか盗撮っすか?」
「お店の人に頼んで撮ってもらったのよ。細かいことは言いっこなし」
店内はやや暗めの雰囲気のため、男の顔が判りやすいショットをあと何枚か千香は画面をスライドさせて皆に見せた。
「間違いねえ。浮田の野郎だ」
自分とは関わりのない別世界の写真に戸惑いこそしていたが、山岸は男の顔をしっかりと見ていった。明莉も同意して頷く。
「勇司君の方は、そのお得意様の名前と顔はわからないの?」
「流石にそこまでは話してくれませんでしたよ」
「……そういうことですか。いや、信じがたいですが……しかし可能性としては……」
城森と千香の話を聞いた沓掛は、ぶつぶつと一人考えをまとめるべく懊悩しているようだった。
「お二人はその浮田氏が梢ちゃんについて知っている事を、皆瀬さんに話したと疑っているのですね」
梢の抱える家庭の事情はデリケートな問題である。学校側に理解を求めるためにも知らせておかねばならないこともあっただろう。
それを一般生徒に流していいはずがない。ましてやイジメの攻撃材料にするためになど、あってはならないことだ。
「沓掛君。あくまで状況的に、そういう推論も立てられるというだけです。確定ではありません」
冷静さを損なわない声でマスターは言った。沓掛もそれは十分承知していたが、一度心を蝕み始めた黒い予感はなかなか消えるものではない。
そして確証のないことに対して、大人達がとれる行動はあまりに少ないのだった。
「……なあ、色々とヤバそうだってのは解ったけどよ……これからどうするんだ?」
不穏さの横たわる空気を察したのか、山岸が懸念を口にする。話し合いを進めるのはいいが、その先で出される結論が梢にとって救いでなければ意味がないと言わんばかりだった。
「いまの話だと、結局何も変わらないってことだよな。浮田の野郎をつるし上げることもできないし、俺が木野内の現状を訴えても無視される可能性の方が高い……そういうことだろ?」
「山岸さん、私達も諦めてはいません。いつか必ず――」
「いつかっていつだよ? なあ? あいつを無理矢理にでもふん縛って、学校に行かせないようにできないのかよ? 頭を冷やさせるんだよ。そうすりゃあいつだって……!」
「そんなことはできません。彼女の意思を無視して行えば、それこそ……虐待と言われても仕方ありません」
「じゃあ、どうすれば良いいんだよ!」
一向に解決策が見いだせず、山岸は吠えた。
「あいつの意思を尊重!? それであいつが壊れても同じことが言えるのかよ! 俺は正論が聞きたくて来たんじゃねえ! 木野内を助けてやれる方法を知りたくて来たんだ!!」
やり場のない少年の怒りが爆発する。その怒りに正しい答えを出せる者はいなかった。それができればとっくにやっている。
「……ダメだよ。逃げたら」
そのとき、テーブルに叩きつけられた少年の拳を明莉の両手が包んだ。
彼の気持ちは痛いほど解る。それを押してなお、ここは堪えねばならないと細い指先を震わせていた。
「考えることから逃げちゃダメだよ。ここでバラバラになるのだけは、絶対にダメ。みんな、気持ちは同じだから、いっしょに考えよう? きっと、うまくいくから……大丈夫だから……できないって思ったときからが勝負なんだよ」
「…………すんません。ぽっと出が偉そうに怒鳴って……でも、これ以上あんなあいつを見たくないんです」
肩をすぼめてしまい、大きいはずの山岸の身体が小さく見える。居たたまれない思いを抱えたまま、明莉は口を開いた。
「マスター……どうして梢は助けを求めてくれないんですか? 何か、訳があるんですよね? わたし、梢のこと知りたいです。興味本位なんかじゃなくて……梢を助けるために必要なら、ちゃんと受け止めたいんです」
「門原さん……しかしそれは」
「いや……沓掛君、もう話してもいいでしょう。このままでは明莉君の気持ちの整理もつかない。最悪は僕が独断で話したことにすればいい。梢君への謝罪も僕がします」
沓掛は躊躇いを見せたが、マスターが彼を説得する。いましがた情報漏洩について話していたところだが、これは必要なことだと沓掛も思ったのだろう。諦めたように息を吐き、致し方ないと承知した。
「わかりました……許可します。いまの梢ちゃんに一番近いのは門原さんだ……。いまは、私も君に賭けるよ。山岸くんも、どうか他言無用で頼みます」
「……うっす」
不意にガタガタと窓を揺する風の音が聴こえる。
皆が待つどこか冷厳とした静けさに包まれるなか、マスターは木野内梢が犯したその罪を語り始めた。




