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幸せの黒猫喫茶へようこそ  作者: 尾多 悠
四章 少女達の戦い
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少女達の戦い(9)

 ――まず、これだけは先に言わせてください。梢君は人を殺めてはいません。彼女の父親は生きています。


 そのような語りから、マスターの話は始まった。


 木野内家は父親と母親、娘の核家族。

 現在、梢が身を置いている母方の祖父母とは別の家で、幼少の頃は親子三人で暮らしていたそうだ。


 父、木野内(さとし)

 母、木野内咲枝(さえ)。旧姓は緑山(みどりやま)


 梢を身ごもったことを切っ掛けに、彼女の両親は結婚した。

 しかし残念なことに、娘に対する情愛はなかった。

 両親ともに産むことは望まなかったが、祖父母が堕ろすことに猛反対をしたそうだ。


 親は子を愛するもの。それが常識であり、せっかく授かった命を親自らが絶つなどとんでもない。


 そうした祖父母の説得もあっての結婚でもあり、母親は梢を産んだ。

 だが、母は我が子を抱いても、そこに愛は芽生えなかった。

 父は最初から育児をする気などなく、成長するにつれ目元が自分に似てくる娘の顔に気味の悪さを覚えていた。


 物心ついたころから、梢は他ならぬ両親からそんな言葉を投げかけられていたそうだ。


 それでも産んだ義務感からか、愛はなくとも母は梢を育ててくれた。

 最悪なのは、父親の方であった。


 もともと望まぬ子を置いてやっているのだ。ならば、せめて役に立て。

 親がいなければ子は生きていけない。だから子は産んでくれた親に感謝しなければならず、親に尽くすべきだ。

 それが父親の理屈だった。


 父のその理屈は、母にも同じように振るわれていた。

 養ってやっているのだから何をされても文句は言うな。俺がいなければお前達は野垂れ死ぬだけだぞと。

 まるで筋の通らぬ理屈だが、母は父に従順だった。依存していたのだ。

 それゆえに、父は自分の意見を反して母が産んだ梢を、誰より疎んじていたのかもしれない。


 幼い梢のあらゆる行動に難癖をつけては手をあげる。家が汚れると昼間は外に放り出されていた。


 ある日交番に迷子の梢がやってきて、彼女の様子を不審に思った警官が家に送り届けたことから、虐待の兆しがあると疑いをもった。

 面倒事を嫌ってか、その後しばらくして木野内親子は隣町に引っ越した――



「そういえば、そんなことがあった気がする」

「え、急にどうしたの?」


 城森が運転する車内の後部座席。隣り合った山岸が突然に口を開いたので、明莉は訊ねた。

 日も沈み月が空に昇っている。話し合いも長引き遅くなったため、いまは各自を家に送り届けている途中だった。


「坂本さんの話を聞いてから、ずっと喉のとこまで出かかってた。やっと思い出せたぜ」


 車窓を過ぎる街灯に、山岸の横顔が途切れ途切れに浮き出ている。彼はゆっくりと大事に掬い取るように、その思い出を話した。


「いつもみたいに公園に遊びに行ったら、木野内が仔猫を抱えてたんだ。何だそれって訊いたら、迷子で、可哀想だから家につれていったけど、捨ててこいって言われたって」


 しかたなく公園まで来たものの、梢は仔猫を手放したくない様子だった。にゃあにゃあと鳴き続ける仔猫もうるさく、なにやら面倒くさそうな気配に当時の山岸少年は彼女にこう言った。



 ――迷子なら交番にでも行けばいいんじゃねえの?



「童謡でそんな歌があったわね~」 


 助手席でも話を聞いていた千香が、そこでふと横槍を入れてきた。


「あの歌詞って、最後に仔猫ちゃんはどうなったんだっけ」

「あれは確か、ただただ犬のおまわりさんが困っただけで終わりっすよ」

「そうなんだ? なんだか夢がないわね……ごめんね、話の腰を折っちゃって」

「あぁ、いえ……俺の話はこれで終わりなんで。そこから交番の場所がわからないっていう木野内を引っ張っていって、それだけです。その日が、ガキの頃にあいつを見た最後でした」


 梢が交番に行き、その日を境に彼女は姿を見せなくなった。マスターの話とも符合する。

 山岸は以降、家に着くまで口を閉ざした。明莉も下手にその話を掘り下げようとはしなかった。



 隣町に引っ越してからの木野内家の内情は、時を追うごとに酷くなっていった。

 成長してできることも多くなり、梢が家事のほとんどをするようになっていた。

 手の掛からなくなった娘を母親も放置することが増え、父親の暴力も加減がなくなる。


 この頃にはもう、梢は自分が愛されていないことも、両親がいわゆる普通ではないことも理解していたそうだ。

 ただ、だからどうなるわけでもない。どれほど劣悪な環境であっても自分の居場所はここにしかないのだから、捨てられないようにするしかない。

 守りたくもない居場所を守るために、梢は唯々諾々と両親に従っていた。


 両親に認められるために家事も完璧にこなそうとしたし、学校の成績も上位をキープした。

 それでも些細なことで言いがかりをつけられて度々暴力を振るわたが、言われたことを淡々とこなそうとした。


 希望とはとても呼べないが、梢にはまだ夢があった。


 中学とは言わない、せめて高校を卒業すれば家を出ることだった。

 親元を離れる。それだけを密かな目標として、梢は窮境から抜け出す道を探ろうとしていた。


 しかし、その梢の考えを見透かしたように、ある日父親から告げられたのだ。


 高校に進学などさせない。中学を卒業すれば働いて金を稼げ。

 教育という親としての義務は終わるのだから、そこからは親に恩を返して役立てと。


 いままでの梢の努力を無に帰すかのような言葉だ。いや、始めから父親はそういう男だったと、梢はこのとき心底理解したのだと言う。


 父親は梢を一個人として認めていない。もとは自分の細胞から生まれたモノ。ただの所有物に過ぎないと思っている。

 だから逆らうことも認めないし、自由になることだって許さない。

 捨てないでやることをありがたく思い、所有者おやに尽くせと拳を振りかざし続けるのだ。


 母親も同じだ。父に依存した母は、結局のところ父に捨てられないよう、彼を繋ぎ止めるために梢を産んだのだ。


 あなたはどこにも行ってはだめ。ずっとお父さんとお母さんのそばにいるの。


 粘ついた暗い泥の中を進んでいた。

 倒れぬよう踏ん張っていたはずの身体が、その一言で倒れそうになった。


 梢は初めて、自分は死ぬのだと思ったそうだ。

 背筋を撫でる絶望が、囚われては二度と抜け出せない沼へと手足を引っ張ろうとしていた。


 梢がまともに記憶しているのはそこまでらしい。


 気付けば梢は倒れ、目の前には首筋から大量の血を流しながら憤怒の形相で自分を見下ろす父親がいて、半狂乱になった母親の叫び声がサイレンのように響き渡っていた。

 そして己の手には、血濡れた包丁が握られていた。


 かねてから木野内家に異変を感じていた近隣の住民からも、いよいよもって通報があったのだろう。

 救急隊によって搬送された父親は一命をとりとめ、梢は父親を刺した現行犯として身柄を拘束された。


 父親は刺されたことを許そうとはしなかったが、自身の虐待が明るみになることも恐れた。

 また、一度吹っ切れてしまった梢も両親の虐待を声高に訴えようとしたが、この手で親を刺したという事実は重いものだった。


 双方の様々な状況を鑑みて、最終的に梢も父親も罪に問われることはなかった。

 梢は児童相談所の預かりとなり、落ち着いたのちに祖父母のもとへ。

 母親は精神に支障をきたして入院中。父親はいまだ隣町でひっそりと暮らしている。


 祖父母の申し立てにより、梢の両親の親権は現在停止状態にある。

 そして親権停止期間は二年を超えず、それももうすぐ終わるのだそうだ。

 祖父母は継続の申し立てはするが、父親は取り下げを要求してくるだろうと予測されていた。


 そのときのために不利になるような行動を、梢はするわけにはいかない。

 両親の不在による影響が、悪影響ではないと証明しなければいけないのである。


 死を体験したあの生活に戻らぬために、いまを耐え抜くことこそが彼女の戦いなのだった。

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