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1.

 殺してしまった。


「はぁ、はぁ」


 帔帛(ストール)で首を絞めて。


「あ、あぁ……」


 馬乗りの状態から立ち上がると、


 うつ伏せに転がる女はもう、ピクリとも動かない。











 少し時間を遡る。



「今夜はまた、えらく蒸すわね」

「昼間にた(・)ん(・)と(・)降りましたからね」


 気温が下がりきらない夏の夜も、楼閣の3階なら風が涼しい。

 庭に放たれたコオロギの音がまた、幾分か心地を軽くする。


「それで、なぁに『話』って」


 それでも御簾(みす)は下げられ、隠された室内。


 江(ジァン)貴妃が切り出す。


 茵(しとね)(座布団のようなもの)に腰を下ろし、右側の脇息(きょうそく)にもたれながら。


「えぇ。ご報告したいことがありまして」


 その正面に盆を持って現れた女性は飛(フェイ)貴妃という。


「もったいぶるわね」


 江貴妃は気怠(けだる)げに、どうでもよさそうにつぶやく。


 が、その一方で、


(自分でお酒を用意するなんて。そもそも侍女がひとりもいない。

 人払いされているわ)


 周囲を目敏く観察している。






 今日の飛貴妃はいろいろおかしかった。


 普段は散歩好きで、日に一度は庭で見掛けるものだが。

 今日は終日姿を見なかった。



 そして2時間ほどまえ。

 皇帝陛下が大鳳殿(たいほうでん)にて、暑気払いの宴席を設けた。

 当然後宮の美姫たちにもお声が掛かり、こぞって出席したのだが。


 ここにも飛貴妃の姿はなかった。


 彼女は今、最も陛下の寵愛を受ける側室である。

 滅多なことで欠席は許されない。


『体調不良であろうか』


 などと、みな噂していたのだが。



 日付も変わりそうなころ。

 ようやく宴が解散し、引き上げる江貴妃の元へ


「飛貴妃さまよりです」


 女官がそっと近付き、握らせたのだ。


『このあと、私の部屋までお越しいただけますか』


 と書かれた手紙を。






 江貴妃としては、愉快な話ではない。


「私が後宮に入ってから、江貴妃さまには大変お世話になりました」


 飛貴妃の言うとおり。

 彼女は後宮において、江貴妃の後輩である。年齢も5つ下。


 入内したばかりで、右も左も分からぬお嬢さんだった飛雀(フェイチュエ)。

 姉貴分として彼女の面倒を見てやったのが江貴妃である。


 おかげで飛雀は過酷な後宮社会を生き抜き、


 ついには陛下の寵を受け、貴妃と呼ばれるほど立派になった。



 江貴妃すら差し置いて。



「私、江貴妃さまを姉のように思っていますの。

 だから、どうしてもお伝えしたいことがありまして」

「ふぅん」


 それだけに丁寧な態度ではあるが。

 飛貴妃は『貴妃』としては同格であるものの、


 先輩であり、恩ある江貴妃を部屋に呼び付けたのだ。

 自らが伺うのではなく。


 失礼と言えば失礼である。

 まだ当人同士がよければ不問で済む範囲であろうと、


 女としての価値が全ての後宮において、


『皇帝に愛される』


 というかたちで、差を付けられた相手ともなれば。



 だが不愉快であると同時に驚いてもいる。


 これらの感情は江貴妃が静かに、一方的に抱いている嫉妬なのだ。

 正当な怒りと言えるほど、日頃から飛貴妃に軽んじられているわけではない。


 むしろ下にも置かない、深い敬愛をもって接してくれている。



 それが今回の呼び付け。しかも侍女のひとりも入れない異様な応対。

 だから敏感に、緊張して周囲を観察しているのだ。


「まずはどうぞ、お召しくださいまし」

「ありがとう」


 ゆえに、飛貴妃手ずからの酌を受けたところで気付く。


「あら。杯(さかずき)、あなたの分は?」


 そもそも彼女の座の前には卓すらない。


「飲まないの?」

「いえ、私は」


 指摘されて飛貴妃は、何やら照れたような顔をする。

 実は一瞬


『毒入りの酒を飲まされるのではないか』


 そう警戒した江貴妃だが、


(私のよく知っている雀(チュエ)の顔だわ)


 5年来の信頼がそこにある。


 と同時に。



 その5年来の相手を


『毒殺してくるのか』


 と疑った自分。



 江貴妃は愕然とした。



 妹のように思っていた関係が、冷めている。


 ちょうど陛下の寵愛も冷め始めしころに出会い、


『この子がいるなら独りではない』


 と可愛がってきた相手を。


 他ならぬ寵愛で抜かれたことにより、そんな目で見てしまうようになった。



「やっぱり今日は、体調がすぐれないのかしら?」


 江貴妃は袖をグッと握り、邪念を振り払うように笑う。


「そのことなのですけどね?」


 対して飛貴妃は静かに笑った。



「実は、懐妊いたしましたの」



「……え」

「お話したいこと、というのもそれでして」


 江貴妃は今度こそ頭が真っ白になる。

 何せ、


「その、相手は」

「はい。陛下でございますわ」

「あ、そ……」



『たとえ今は寵愛で負けていても、先に皇帝の御子(みこ)さえ身籠れば』



 ずっと心のどこかで、そう信じていたのだから。


「おめでとう」

「ありがとうございます! 江貴妃さまならそうおっしゃってくださると!」

「は、はは。当然じゃない」


 江貴妃は足元が崩れ落ちる錯覚を覚える。

 視界の端が黄ばんでくる。


(知ってる、この感覚)


 激しい精神ダメージを受けたとき特有の感覚。

 忘れたくとも忘れられない記憶が蘇る。



 皇帝の寵愛を受けていたころの、子を授かることがなかった日々。


 ある日後宮医に診察を受けたところ、



『可能性はゼロではないが、妊娠しにくい体質である』



 と告げられたこと。


 それが人の噂となり、だんだん皇帝が通ってこなくなったこと。



「ううっ」

「江貴妃さま!?」

「いえ、ちょっと感極まってしまって」


 江貴妃は口元を抑える。

 するとそこから出ていかない感情が、頭の中をグルグル回る。



(そうだわ。最初からなかったんだわ。


『子を授かれば巻き返せる』


 なんて。

 そもそも寵愛がないと抱いてももらえないのに)



 目を背けていた事実が突き付けられる。


(どうして? どうしてこんなことに? 私が何をしたというの?


 私が子どもさえ産めれば、こんな思いはしなかったのに。

 この子を羨むことも、憎むこともなかったのに。

 生まれてくる子を祝福すらできたというのに。


 私が子どもを産めないから……)


 もう俯いたまま、飛貴妃の方が見られない。

 見たくない。

 見られたくない。


 袖をキツく握り、白くなっている拳を睨んで堪えていると、


 相手へ向けた彼女の脳天に、無邪気な声が降り掛かる。


「そんなに喜んでいただけで、私は幸せ者です!

 だから江貴妃さまに、いち早くお話したかったの。

 まだ陛下にしかお伝えしていませんのよ?」


 そのために侍女まで人払いされているのだろう。

 が、特別な心配りすら、今は届かない。


 どころか、



「今の私があるのは、江貴妃さまのおかげですもの」



「は?」


 ねじれ伝わってしまう。


「それって」


 ねじれすぎて、何かが切れる音を江貴妃は聞いた。


 彼女はゆっくり立ち上がると、慎みもなく卓を跨ぐ。


「江貴妃さま?」


 座ったまま困惑して見上げてくる飛貴妃の後ろに立つと、



「『私が孕めない女だったおかげ』



 って言いたいの?」


「えっ!? まさかそんな!」

「うるさい!」


 カッとなった江貴妃は、飛貴妃の肩に掛かった帔帛(ストール)へ手を伸ばし、











 冒頭に戻る。


「はぁ、はぁ」


 気付けば、さっきまでも(・)が(・)い(・)て(・)いた飛貴妃は人形のように動かない。


「や、や、


 やってしまっ、た」











お読みくださり、誠にありがとうございます。

少しでも続きが気になったりドキドキしていただけたら、

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よろしくお願いいたします。

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