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 新星歴二〇〇〇年。一〇月一二日。

 群青の夜に、幸をもたらす流星が走った。

 女神の御徴(みしるし)だ。

 工房で星導を記録していたレインジールは、天文鏡から視線を外し、静かに息を吐いた。

 佳蓮が塔を去ってから、もう三年になる。

 いつもと変わらないはずの星空が、あの夜からどうにも色()せて見える。星屑(ほしくず)(ちりば)めた闇の(とばり)は、今や(うつ)ろな闇のようだった。

 窓硝子に映りこむ己の顔は、味気ない夜空よりも更に酷かった。

 色の薄い真っ直ぐな髪、石膏細工のように白い輪郭、細く通った鼻筋……没個性の面差し。こんな顔を見せ続けられれば、どんな女も眉を(ひそ)めるだろう。

 ――だが、佳蓮は違った。

 彗星の(かがや)きを(まと)う女神は、そんな素振りを一度も見せなかった。奇蹟のように美しい、優しい(ひと)だった。

 この髪に躊躇(ためら)いなく触れ、日向に咲いたような笑みをくれた。

 美しさを(たた)えるたび、困ったような顔をされたけれど、どんな星よりも(きら)めいて、月光のような人だった。

 降るような満点の星空を仰いで、想う。彼女も同じ空を見ているのだろうか……

「総監」

 鼓膜を叩く無機質な声に、我に返った。振り返れば、星図が描かれた透写(とうしゃ)()を手に、リグレットが影のように立っていた。

「浮かない顔ですね」

「大きなお世話です。そんなもの、明日で良いでしょう」

 文句を垂れると、リグレットは小さく笑った。

「傍を通ったもので。星導の成果は?」

「いつも通りです」

 息を吐くと、リグレットは面白がるような顔をした。

「若き天才も、そうしているとただの恋する男ですね」

「悪いですか」

「いえ。素晴らしいことだと思いますよ」

「心にもないことを。不平があるという顔をしていますよ」

 リグレットは肩をすくめた。

「総監をここまで骨抜きにするとは恐ろしい。あの方は、神秘であり魔性ですね」

 不敬を(とが)めて彼を(にら)んだが、否定はしなかった。

 彼女の為に身を投げだす者の名を挙げれば、夜が明けてしまう。そこら中に熱烈な信奉者がいて、シリウス皇太子ですら心を奪われているのだ。佳蓮がその気になれば、この国を影から(あやつ)れるだろう。

「流星の女神ですから……」

 左手に刻まれた流星(こん)を撫でながら、レインジールは呟いた。かつて片翼だったそれは、今では完全な双翼(そうよく)を成している。

星杯(せいはい)は、まだ満ちないのですか?」

 成長しきった流星(こん)を見て、リグレットが(たず)ねた。

「私は……間にあわないでしょう」

「ハスミ様に知らせないのですか」

「苦しめるだけです」

 彼女の幸せだけを願って、どうにか、ぎりぎりのところで手放せたのだ。

「総監は、それでいいのですか?」

「彼女が笑ってくれるなら、それでいいんです」

「ご自身がどうなっても?」

「愚問です。私は星杯(せいはい)契約者ですよ」

 この手で幸せにできず、残りの生を一人で過ごすことになろうとも。胸が張り裂けそうなほど苦しくても、それでも――佳蓮の方が、(はる)かに大切だった。

「盲目ですね。恋愛と悲劇は紙一重、と昔から言いますが」

「恋をすれば、貴方にも判ります」

「おや、私には判らないと?」

 冷静な眼差しの奥に、秘めた想いが覗いた。

「リグレット……」

 淡々とした男の垣間見せた表情に、仄かな嫉妬を覚えてしまう。

「ふ。彼女に惹かれない男が、この世にいるでしょうか。それでも手放した。大したものです」

 からかう声に崇拝の響きが混じる。顔を背けると、楽しげな笑声(しょうせい)が追いかけてきた。

「ご心配なく。明かすつもりはありません」

「当然です。佳蓮に迫るような真似をしたら、この身が朽ちても八つ裂きにしてやりますよ」

「怖いですねぇ。実現できそうなところが……」

 不機嫌に口を(つぐ)むレインジールを見て、リグレットはふっと表情を和らげた。

「これでも、心配しているんですよ」

「余計なお世話です」

「後継も決めていないのに、貴方がいなくなったらどうするのです?」

 にっこりと笑うレインジールを、リグレットは心底嫌そうな目で見た。

「まさか……私を当てにしないでくださいよ。オルガノ様のように、隠居するのが長年の夢なんですからね」

「夢を持つのは自由です」

 鷹揚(おうよう)に肯定すると、リグレットは益々嫌そうな顔をした。

 ささやかな仕返しに満足しながら、彼の語る夢も悪くないなと想像した。佳蓮がいなければ、自分もいずれ師のように、辺境の地で隠遁(いんとん)的な生活を送っていたかもしれない。

「会いにいかなくて、いいのですか?」

「オルガノ様が傍にいてくださるなら、心配ありません」

「それで、彼女は幸せなのでしょうか」

「佳蓮はもう十分、自分を責め、傷ついています。これ以上は……」

「ハスミ様は星杯(せいはい)契約の末路を知らないのでしょう。後から人伝(ひとづて)に知れば、傷つくと思いますよ」

最後(・・)まで明かすつもりはありません。オルガノ様にも言いましたが、リグレットも、余計な真似をしないでくださいよ」

「……承知しました。ですが、総監がいなくなれば、ハスミ様は哀しむでしょう」

「……それだけが心残りです。オルガノ様には話してあります。リグレットも、佳蓮を支えてあげてください」

「はぁ……総監も(むく)われませんね」

 レインジールは微苦笑した。

 一〇歳から仕える女神に、意識されることを求め、理解されることを求め、愛を求めてしまうのは、もはや宿命だ。けれど、そんな己の浅ましい渇望(かつぼう)などより、佳蓮の安寧(あんねい)こそが尊いという事実は、宇宙の運行にも等しい不変の真理だった。

「一生に一度の恋をしました。それで……もう充分、(むく)われていますよ」

 リグレットは一瞬、言葉のかけらを唇に浮かべたが、結局それを形にすることはなく、静かに部屋を出ていった。

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