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28

 目が醒めると、見知らぬ寝台に横たわっていた。

 ぱちぱちと()ぜる薪の音が、木造の室内にやわらかく反響している。

 天井からは、束ねた月桂樹の枝が吊るされ、仄かな青い香りを室内に(ただよ)わせていた。寝台の傍らには(はなびら)をあしらった香護の小花束(タッジー・マッジー)

 見知らぬ部屋なのに、不思議と落ち着く。壁や窓に草花が飾られ、どこかレインジールの執務室を思わせた。

「気がついたかい?」

 はっとして扉を見ると、真鍮(しんちゅう)の盆を両手に持った女性が、(しきい)に立っていた。

 白髪は短く整えられ、背筋はすっと伸びている。顔には深い皺が刻まれているが、その肌にはなお艶があり、どこか気品が(ただよ)っていた。

「あの……すみません。寝台をお借りして、着替えも……」

「いいんだよ、屋根裏は使ってないから。それより、目が醒めて良かった。ここへ運んだ時はずぶ濡れで、氷みたいに冷えていたんだよ」

 そう説明しながら彼女は、寝台の傍机に、硝子ポットの乗った盆を置いた。

「ご迷惑をおかけしました」

「謝ることはないさ。天の(おぼ)()しだよ。私はオルガノ。目は不自由だけど、薬草を育てながら()(まま)に暮らしてる。うちの子(・・・・)が、雨のなか(みさき)で倒れているお嬢さんを見つけて、ここへ連れてきたんだ」

 オルガノは、殆ど白に近い銀色の(ひとみ)で佳蓮を見た。硝子のように澄んだその眼差しは、何もかも見()かしてしまいそうな、不思議な光を宿している。

 思い出した。あの晩、酒場(バア)でダンスに興じていた女性だ。とても楽しそうで、軽快なステップを披露して……目が不自由だとは考えもしなかった。

「これをお飲みなさい。温まるよ」

「ありがとうございます」

 オルガノは、摘みたてのハーブティーに、()(はく)色の蜂蜜を溶かしてカップに注いでくれた。

 ひと口含むと、すっと胸の奥まで()みた。

「……美味しい」

 すっきりした香りに、仄かな甘み。レインジールの淹れてくれる紅茶の味を思いだした。

 名乗ろうとした、その時だった。

 卓上の新聞が目に入り、思わず息を詰まらせた。紙面いっぱいに、大きく自分の姿が載っている。

「……私、クレハ(・・・)と言います」

 咄嗟に偽名を告げると、オルガノはにっこりと笑った。

「いい名前だね、クレハ。よく休むといい。ほら、これもお食べ」

 差しだされたのは、優しい味付けのハーブ粥だった。頭を下げると、その仕草すら見えているかのように、オルガノは銀色の(ひとみ)を細めた。

「どこから来たんだい?」

 一瞬、言葉に詰まった。酒場(バア)の宿を借りていると言えば、正体が知られてしまう。店の常連なら、既に知られていてもおかしくはないが、もしそうなら、名前を(たず)ねないはずだ。目も不自由だと言うし……白を切れるだろうか?

「……アンガスという田舎町です。ご存知でしょうか?」

「知っているよ。遠いところから、よく来てくれたねぇ」

 まるで昔からの知己に挨拶するように、オルガノは暖かくほほえんだ。

 それは佳蓮も同じで、初めて会った気がしないことを不思議に思いながら、小さく会釈を返した。

「すっかり、お世話になってしまって……」

「クレハが来てくれたことを、天に感謝しないとね。めぐり逢わせてくださって、ありがとうございます」

 オルガノは、皺の刻まれた手を胸の前で組み、静かに(うな)()れた。

 その素朴な仕草は、不思議なほど痩せた心に()み入り、視界が潤んだ。

「ここにいなさい」

 すべてを知っている賢者のような(こわ)()だった。

 佳蓮は、()(えつ)(こら)えて両手で顔を覆った。ありがとうございます、囁きながら何度も頷く。丸まった背を、暖かな手がゆっくりと撫でてくれた。


 日常において、オルガノは微塵も盲目を気取らせなかった。

 矍鑠(かくしゃく)としており、家事や庭仕事も驚くほど手際が良い。外へ出ることを恐れず、めかしこんで茶飲み友達と街に繰りだしたりもする。広大な庭の管理に星導機構体(オートマタ)を使役しているが、土を愛で、枝を()り、庭に生命を吹きこむのはオルガノ自身だ。

 彼女はまた、驚くほど薬草に詳しかった。

 二〇〇坪を越える庭には、数百種のハーブが植えられていて、そのすべてを把握していた。

 ハーブ園には、昔からある野茨(のいばら)の茂みや(つる)薔薇が絡みあい、自由に壁を這いのぼっている。ありのままの庭は素朴ながら美しく、時計塔の整然とした空中庭園とは、また違った魅力があった。

「オルガノさんが丹精こめて世話をしているから、輝いているんですね」

 庭を眺めながら佳蓮が言うと、ははっとオルガノは笑った。

「私はちょっとした手伝いをしているだけさ。隣合った宿根草が馴染みあいながら、勝手に成長していくのさ。人も草花も、自由にやった方が生きるんだよ」

「……そうなんですね」

「クレハが来てから、庭が明るくなったよ。どんな魔法をかけたんだい?」

 冗談めかして笑うオルガノに、佳蓮も思わず笑みを返す。

 自給自足の生活は、単調でありながら、驚きと発見に満ちていた。

 酒場(バア)の宿を借りていた時は仕事がなかったし、その前の星修(せいしゅう)院生活でも、課されたお勤めといえば短い時間に歌い、祈るくらいだった。しかし、ここでは生活の全てに仕事があり、オルガノはまた佳蓮に仕事をさせることに遠慮がなかった。

 自分の口に入るものを育て、摘み、調理する。土を耕し、家畜の世話をする。衣服を洗う。床を掃き清める。

 家事の一つひとつが、生きていると実感させてくれる。

 日常に価値を見出す尊さを、オルガノは教えてくれた。

 苦難も年齢も超越し、潑剌(はつらつ)として気力があり、気品に満ちた女性。親切でお茶目で博識なオルガノを、佳蓮はすぐに好きになった。彼女の傍で庭仕事をしていると、心は安らぎ、新たな知識を得るごとに気分は高揚した。

 多くの園芸家が悩まされるように、オルガノも腰痛持ちで、しゃがんで作業をするのは辛いとよく愚痴をこぼした。

 夜の団欒(だんらん)に、佳蓮が腰を(さす)ってやると、気持ち良さそうに表情を(ほころ)ばせた。

「クレハの掌は暖かくて気持ちがいいねぇ」

 そういって笑うオルガノは、お礼にとハーブ茶を淹れてくれたり、香りのよい入浴剤を作ってくれる。

 大きな鍋をぐつぐつさせている様子は黒魔術にしか見えなかったが、本人(いは)く薬草学の一環だそうだ。

 彼女とは毎日色々なことを話した。他愛もない話題ばかりだが、絶えず(かす)かに心の琴線(きんせん)に触れた。ここでは率直な自然な生き方を楽しみ、幸福感に(ひた)ることができた。


 そうして日は流れ、空気はだいぶ冷えてきた。

 毎日のように庭仕事をしていたが、ある朝、庭が凍っていて驚いた。

「ここは北の高地だから、冬が近付くと地面が凍っちまうのさ」

「庭の手入れは?」

「しばらくお休みだよ」

 それでは、庭が荒れてしまわないだろうか?

「私は目が見えないから、季節ごとに咲く苗の植えこみやら、手間のかかる育成は苦手なんだ。だから気候に適した、手間のさほどかからない宿根草を主に植えているんだよ」

「なるほど……」

 頷きながら、庭仕事ができないことを残念に思った。

 それからしばらく長雨が続き、外にでられなかった。オルガノも薬草の納品で留守にしており、佳蓮は静かに家事をしながら過ごした。

 ひとりぼっちでいると、一種の病気のような憂鬱がぶり返して、魂は影を宿した。掃除や料理に没頭していても、ふとした瞬間に、どうにもならない過去や星杯(せいはい)のことを考えてしまう。明るく陽気なオルガノに、早く帰ってきてほしかった。

 そんな状態のある晩、佳蓮は暖炉前に座り、ぼんやり窓の向こうの細雨を眺めていた。

 あの遠い一二月……

 飛び降りた真冬の空。凍てつく吐息。一七歳。青春の盛りを生きていたはずなのに、心は死んでいた。

 魂になっても異郷を流離(さすら)い、こんなに遠くへ来てしまった。どこまで行っても異邦人で、定住して暮らせない。これからも、現在と永遠のあいだに浮かび(ただよ)いながら、ひとり人生を渡っていくのだろうか……

 生きる意味が判らない。こんなに貧しい心で、星杯(こころ)を満たせるとは思えない。呪縛が追いかけてくる。嗚呼、また。あの匂い(・・・・)だ。腐敗寸前の林檎のような、甘く()えた香り……

「いけないよ」

 ぽん、と肩を叩かれた瞬間、すっきりしたハーブの匂いに包まれた。

「オルガノさん……お帰りなさい」

「ただいま。遅くなって悪かったね、変わりなかったかい?」

「はい……」

 銀色の(ひとみ)に暖炉の焔が映りこみ、金色に輝いて見える。(めし)いたとは思えぬ、賢者のような(ひとみ)だ。

 時々、この不思議な女性は、佳蓮の複雑な事情を何もかも見通しているんじゃないかという気がする。

「……オルガノさん。私、年を取らないんです」

 唐突な告白にも、彼女は動じなかった。否定も、驚きもない。そうかい、と一言だけ。

「もう九年も、同じ姿なんです。髪は伸びないし、切っても、すぐに元の長さに戻ってしまうんです」

「そうかい」

「本当なんです」

「疑っちゃいないさ。そういうことがあったって、不思議じゃない」

 軽んじるでもない、慈母のような微笑に背を押され、佳蓮は続けた。

「……オルガノさん。あの、私、言っていないことがあって」

「いいよ。無理に言わなくても」

 穏やかなオルガノの言葉に、佳蓮は会話を続けることを一瞬、躊躇(ためら)った。

「……私、呪われているかもしれません」

「どうしてそう思うんだい?」

「年を取らないし……生きているのか、死んでいるのか、もうよく判らないんです」

「生きていなけりゃ、なんだっていうんだい?」

「幽霊」

 大真面目に呟く佳蓮を見て、オルガノは屈託(くったく)のない笑い声を響かせた。

「こんなに暖かい頬をして、死者なわけがないだろう」

 頬を、皺の浮いた掌に包まれると、視界に涙が滲んだ。

「でも……っ」

(めし)いた目でも、クレハは輝いているって判るよ。傍にいると、日射しみたいに暖かい」

 そう言うオルガノこそ、輝いて見えた。

 涙にかすむ目で彼女の輪郭はぼやけ、暖炉の火に金色に縁どられる姿は、この世でもっとも神々しい天使象みたいだ。

「人も草花と一緒さ。大地に根づいて生きていくんだ。冷たい霜が降りても、春が来れば芽吹いて花をつける。拠り所があれば、何度だって再生できるんだよ」

 涙が溢れた。とめどなくこみあげてくるその涙に、佳蓮は吞みこまれた。

 暖かな手に撫でられると、説明しようのない悲哀に襲われた。遠い故郷を想い、レインジールを想い、我が身のままならさを憂い、とても言葉にできない。

「クレハさえよければ、いつまでもここにいていいんだよ」

 静かに涙を流す佳蓮の頭を、オルガノは優しく包みこんだ。

「ありがとう、オルガノさん。ごめんなさい……っ」

 この優しい女性は、きっと佳蓮の正体に気づいている。すべてを承知した上で、ここにいていいと言ってくれたのだ。

 いつかは明かさねばならない。でも、あと少し。あと少しだけ――流星の女神ではなく、流れ者のクレハとして、ここにいたかった。

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