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奇跡のように美しい人  作者: 月宮永遠
3章:決意
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25

 九月の終わり。

 旅立ちに向けて、佳蓮は着々と準備を進めていた。

 荷造りしながら部屋を整理し、図書館に通って街の地理や、関所、通貨手数料といった情報を集めている。

 最近では、悲壮な諦観を漂わせながらも、レインジールの方から有益な情報を教えてくれるようになった。

 外は雨。

 大きな格子窓に、雫が幾筋も伝っている。

 図書館の片隅で、しとしと降る優しい雨の音色に聴き入りながら、佳蓮はこれからの計画を練っていた。

 海辺の街にも憧れるが、先ずはアディールの大通りに近いところから、行動範囲を広げていくつもりだ。

 本格的な冬が始まる前に、新しい生活を軌道に乗せたいところである。

 続きは部屋でやろうと図書館を出ると、廊下の向こうにリグレットを見かけて、慌てて壁に隠れた。塔を出ていくことは聞いているはずだ。余計な嫌味をもらいたくなかった。

 忍び足で逆方向から帰ろうとしたが、突然、目の前にリグレットが現れて、広い胸に飛び込む羽目になった。


「わぁッ!」


「失礼。気付いていないようでしたので」


 しれっと答える男の顔を、佳蓮は遠慮もなく胡乱げに見つめた。


「また長官と喧嘩したのですか?」


「違います」


「塔を出ていくとお聞きしましたが?」


「そうですけど……どうも、今までお世話になりました」


 投げやりな口調で佳蓮が応じると、意外にもリグレットは案じる顔になった。


「ここを出て、どうするおつもりですか?」


「自活できるようになります」


「はぁ。それで、長官はなんて?」


「……いいたくありません」


「長官の機嫌が悪くて、仕事がやり辛いんですよ。出て行く前に、どうにかしてください」


 片眼鏡モノクルの奥から、凍えるような金色と蒼氷色アイス・ブルーの視線が突き刺さる。


「そんなこと私にいわれても……レインにいってください」


「いいましたよ。解決しそうにないので、こうしてハスミ様に申し上げています」


 嫌味を装っているが、心配しているのだと佳蓮にも判った。


「……そんなに機嫌が悪いんですか?」


 顔色を窺うようにたずねると、リグレットは口元を緩めた。


「普段は冷静過ぎるほど冷静なんですけれどね。貴方のことになると、彼も年相応の若者に見えて安心しますよ」


「昔はかわいかったんだけどな……」


 懐かしむように佳蓮がいうと、リグレットは思いのほか優しい顔をした。


「あの長官が、そんな風に構うのは貴方くらいですよ。貴方のことが大切で、かわいくて仕方ないのでしょう」


「お互いに、依存し過ぎなんです。私が少しも変わらないせいかもしれないけど」


「彼の気持ちを知っていて、その結論なのですか?」


 言葉に詰まる佳蓮を見て、リグレットは仕方なさそうな顔をした。


「なかなか長官も報われませんね。全身全霊を傾けて恋をしているのに」


「恋じゃありません」


 間髪入れずに応える佳蓮を見て、リグレットは器用に片眉を上げてみせた。


「他に何があると? 恋を知り、生命いのちの躍動が生じたからこそ、あの人は幾つもの不滅の魔術を編み出したのです」


 星詠機関を率いる若き天才魔導師は、この数年で、人工霊気の生成術を恐るべき精度にまで高めていた。

 不屈の精神と、佳蓮の負担を減らしたいという恋心が、彼を突き動かしたのだ。

 沈黙する佳蓮をどう思ったのか、リグレットは更に続ける。


「彼は貴方の為に、魂を懸けて奇蹟を起こした。七年間、変わらずに貴方を想い続けている一途な男ですよ」


「私が望んだことではありません」


 揺れそうになる心をよろい、固い声で告げると、リグレットは口を閉ざした。


「……もう、いきますね」


 沈黙に非難めいた匂いを嗅ぎ取り、佳蓮は逃げるように背を向けた。


「未熟なのは貴方も同じですね」


 背中にかけられた言葉が、心に突き刺さる。

 佳蓮は、歩みを止めずに無言を貫いた。後ろめたい苦さを味わいながら、何もいい返せない自分を恥じた。





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