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時計塔五〇階――星導局の工房。
試験盤に刻まれた星紋が仄青く脈き、結界糸の張力を測る細針が、ときおり幽かな音を立てて震えている。
その奥。隔壁の先にあるレインジールの執務室で、佳蓮は直談判を試みていた。
「ちゃんと、自立したいの」
磨かれた棕櫚の書斎机に手をつき身を乗りだすと、書面から視線をあげたレインジールは、憂鬱げに愁眉を寄せた。
「佳蓮は十分、自立した女性です」
「全然だよ……家賃も入れずに、人の世話になりっぱなしでさ、このままじゃ駄目だと思う」
「傍にいてくださるなら、他には何もいりません。貴方がこの国で健やかに過ごすことは、私を含め、アディール新星皇国の総意です」
と、レインは今日も同じ文句を口にする。
覚悟はしていたが、レインジールの説得は難航していた。
話し合うたびに翻意を促され、そのたびに佳蓮は首を振り、互いに一歩も譲らぬまま、膠着した時間だけが過ぎていた。
けれど――今日こそは、決着をつけるのだ。
「ここじゃなくても、生きていける。もう……私を甘やかさないで。一人で暮らしてみたいの」
屹と佳蓮が睨むと、レインジールは静かに息を吐いた。
「佳蓮……」
「お願い。いいって言って」
「言えるはずがありません。世間知らずな貴方が、市井で暮らせると、本気で思っているのですか?」
「苦労は覚悟の上だよ。住みこみでもいい、働いて、お金を稼いで、自分の力でやってみたいの」
「塔での暮らししか知らない貴方が?」
「やってみないと判らないよ」
「流星の女神を労働させる者が、この国にいると思いますか?」
言葉に詰まる佳蓮を見て、レインジールは視線を和らげた。
「塔での暮らしに飽きたのなら、別邸を建てさせましょうか?」
「……そういう話じゃない」
「では、何が不満なのですか?」
「上から言わないで。レインの世話になるのが、嫌なの」
責めるように言うと、レインジールは目を瞠った。
「申し訳ありません。私に至らぬ点があるなら、すぐに改めます」
「違う……とにかく、いつまでもここにはいられない」
「どうしてですか?」
「私、年を取らないし……永遠にこのままかもしれない。今のうちに、一人で生きる力を身につけなきゃ」
「杞憂です。星杯を満たせば、佳蓮の時は動き始めます」
「もう七年も経つのに、満たせないじゃん!」
「必ず満たせます。万が一私の代で叶わずとも、後継が貴方を守ります」
「もう、うんざり! 誰かに依存して生きていくのは、嫌なんだよ!」
感情的になり、背を向けて逃げだすと、追い駆けるようにレインジールも席を立った。扉を開く前に、背中から抱きしめられる。
「行かないでください」
「離して」
「……私が、嫌になったのではありませんか?」
「違う」
「私が、あんな風に触れたから」
「それは関係ない」
「では、理由を……」
首筋に顔を埋められ、苦しげな吐息が落ちる。
ぞくっとして、離れようと身じろぐが、腕の力は増々強くなった。艶やかな銀糸の髪が、頬に触れる。
「教えてください。私が原因でないというのなら、一体何が?」
「……この国を出ていくことはしないよ。同じ空の下、どこかにいるから」
「お願いです。行かないでください」
「レイン……」
「貴方のいない毎日なんて、とても耐えられないッ!」
首筋に顔を埋めたまま、レインジールは苦しげな声を絞りだした。熱い吐息が触れて肌が粟立つ。佳蓮は唇を戦慄かせた。
「……ねぇ、少し距離を置こう?」
「どうしても行くというなら、私も一緒に行きます」
「無理でしょ。どう考えても無理でしょ。私と違って、仕事があるんだから」
「引き継げる相手ならいます。私が抜けて瓦解するほど、軟な機関ではありませんよ」
「レイン。無理だよ……」
肩に置かれた頭を撫でながら、そっと身を離す。顔をあげさせると、迷子になった子供のような瞳をしていた。
「ごめんね」
「私は貴方の僕なのに」
聡明で冷静なレインジールが、悄然と項垂れている。
これほど周章狼狽させてしまうなんて。佳蓮のせいだと思うと、もういっぺん屋上から飛び降りたい気持ちに落ちこんだ。
「……永遠のお別れじゃないよ。落ち着いたら、連絡するから」
「そんなに、私が嫌いですか?」
「そんなわけないでしょ」
「他にどんな理由があって、貴方は私の傍を離れるというのですか」
歯痒くて焦れったい。錯綜とした想いが胸にこみあげ、佳蓮はレインジールの肩を掴んだ。
「レインは私に盲目すぎる。もっと視野を広げて。他にも生き方があるって、知ってほしい」
レインジールは睨むように佳蓮を見た。
「私の望む生き方は、たった一つです。貴方の傍にいたい。貴方に疎まれたって、私の気持ちは変わりません」
「そうじゃないんだよぅ……」
「私では、佳蓮の星杯を満たせないのでしょうか」
「星杯なんて、どうだっていい! 私の時は止まっていても、レインまで止まる必要はないんだよ! レインにはレインの人生がある。私にあわせる必要はないんだってば」
「判っていないのは、貴方の方だ! 貴方の傍にいられないなら、生きる意味がない!」
「……もう決めたの。塔を出る。レインも、私の言ったこと、よく考えてみて」
静かに、佳蓮は言った。
「出ていけると思いますか? 私が、許すと?」
佳蓮は背伸びをして、白皙の頬に口づけた。
「私の一番大切な人は、レインだよ。優しくて、かわいくて、頼もしくて、恰好良くて……もう弟だなんて思ってないよ。世界で一番、素敵な人だよ。誰よりも信頼している。この先もずっと変わらない。大好きだよ」
澄んだ瞳に、涙の幕が張った。
氷の瀑布みたいに青くて碧い。水晶のように透き通った瞳だ。背伸びをして頭を引き寄せると、瞼の横にキスをした。
「私の優秀な僕は、私の本当に嫌がることはしないんだよ。きっと、行ってらっしゃいって送りだしてくれる」
「……そんなことを言うなんて。佳蓮は酷い。酷い人だ……っ」
美しい顔を片手で覆い、レインジールは哀しそうに呟いた。零れ落ちる銀色の髪を、佳蓮は慈しむように指で梳いた。
「私は酷い奴だけど、レインのことが大切なんだよ。私だって……」
薄く開いた窓から夜風が吹いて、二人の間に流れた。
言葉は尽き、互いに胸を引き絞られるような切なさを堪えて、慰め合うように、強く抱きしめ合っていた。




