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 時計塔を出て行くと決めた。

 とはいえ、まだレインジールの了承は得ていない。あの夜以来、彼と正面から向き合うことを恐れ、必要な話を先送りにしている。

 もやもやとした思いを胸に抱えたまま、旅立ちの算段だけを整えていると、シリウス皇太子から初秋静(しょしゅうせい)茶会の招待状が届いた。

 断るべきか迷ったが、これが最後になるかもしれない――そう思い、招待を受けることにした。普段は公開されない皇城内苑(ないえん)で催されると聞き、好奇心が(うず)いたのも事実である。

 出席の意思を告げると、レインジールは露骨に渋い顔をした。それでも最終的には、迎えに行くことを条件に、許可を与えた。

 夏の終わりの、白の玻璃城(リュ・シアン)

 茶会の主役であるシリウス皇太子は、相変わらずの人気で、(またた)く間に人の輪に囲まれていく。

 輪の外から眺めていたはずの佳蓮も、気がつけば、愉快で機智に富み、決して相手を当惑させない会話に引きこまれ、いつの間にか彼の隣で談笑していた。

「それにしても、レインジールはよく貴方を一人でよこしましたね」

 しみじみと言われて、佳蓮はかぶりを振った。

「後から来ますよ」

「そうですか。最近は特に忙しそうですね。彼の想像力は、目を(みは)るものがありますから」

 レインジールを褒められ、思わず笑みが(こぼ)れた。

「レインは、シリウス殿下にも評価されているのですね」

「当然です。この数年で彼は、既存の星導法を三式も再構成し、霊気消費を半減させたのですから。歴史に残る偉業ですよ」

「そこまで……」

「星路陣の改良は、国外からも高く評価されています。先の星象(せいしょう)()(そう)()(ろん)もそうです。若さゆえに反発もありますが、いずれ基準になる宇宙理論でしょう」

「さすが、レイン」

 警戒して始めた会話も、気づけば自然と引きこまれている。

 彼の(たえ)なる人心掌握は、(さい)()(しん)の強い佳蓮ですらこうしてしまう。世間知らずの令嬢なら尚更だろう。

「おや、噂をすれば……」

 シリウス皇太子の視線を辿り、佳蓮は息を呑んだ。やや地味な印象の少女と、楽しげに談笑するレインジールの姿があった。

「本当だ……誰だろう?」

 互いに気の()れた仲のようだ。傍目にも会話が(はず)んでいる様子が判る。レインジールが仕事以外で、同年代の少女と親しげに話す姿を見るのは初めてだった。

「元婚約者の、プリシラ嬢ですよ」

「え……」

 目を(みは)る佳蓮を見て、シリウス皇太子は意外そうに目を(まばた)いた。

「彼から聞いていませんか?」

「名前だけは……」

 心ここにあらずで呟き、改めて二人を眺める。

 いつから居たのだろう。ひと言、声をかけてくれてもよかったのに――そんな思いが胸に滲んだ。

 視線に気づいたのか、レインジールがこちらを見た。物言いたげな視線に、彼の遠慮が見てとれた。シリウス皇太子と談笑している席に、近づいていくのは躊躇(ためら)われたのだろう。

 佳蓮の方から近づいていくと、レインジールも歩み寄ってくる。プリシラも緊張した面持ちで続いた。

「ごきげんよう、女神様」

「初めまして。羽澄です」

 笑みかけると、プリシラは目元を染めて嬉しそうに笑った。地味な印象の顔立ちだが、反応はかわいらしい。

「庭園を少し歩きませんか?」

 当然のように佳蓮を誘うレインジールを見て、佳蓮は戸惑った。隣の少女に目をやると、どこか寂しげに見えた。

「……いいの? せっかく会えたのだし、もう少しお話したら?」

 水を向けると、レインジールは強張った表情で佳蓮を見た。

「いえ、佳蓮をお待ちする間、立ち話をしていただけですから」

「……そう?」

「貴方を一人にはできません」

 拒否を受けつけない強い口調に、佳蓮は困ったように首を(かし)げた。

 佳蓮の視線を辿って、レインジールは少女を一瞥(いちべつ)すると、すぐに(いち)()な視線を佳蓮に戻した。

「行きましょう。プリシラ、それではまた」

「ええ。ごきげんよう」

 毅然としたお辞儀を披露し、プリシラは去っていった。しばらく彼女の背を見送ってから、レインジールに視線を戻した。

「……かわいい子じゃない。良かったの?」

「構いません。佳蓮の方が大切です」

 盲目的な言葉に、佳蓮は苦笑を禁じえなかった。

「……一緒にいすぎたんだね、私達」

 自嘲めいた笑みを浮かべる佳蓮を、今度はレインジールが()(げん)そうに見ている。

 時々、レインジールに一日を管理されているようで腹立たしい、そう不満に思うこともあるが、逆なのかもしれない。

 佳蓮の方こそ、彼が本来歩むべき未来を、(はば)んでいるのかもしれない。

 容姿を抜きにしても、レインジールは魅力的だ。もの静かで、上品で、明晰(めいせき)で、(ほとばし)る星導の才能があり、一七歳にして莫大な資産と名声、星導五塔総監という名誉ある役職にも就いている。

 それなのに、あの頃から少しも変わらずにレインジールは佳蓮を慕い、傍にいる。

 ――彼の青春を、台無しにしてしまったのでは?

 佳蓮が傍にいると、レインジールは佳蓮しか見ない。他にも出会いや生き方があることを、知ろうともしないのだ。こんな異邦人のために美しい歳月を犠牲にして、果たして本当に、幸せと言えるのだろうか?

「私、なるべく早く時計塔を出ていくよ」

「なぜ……」

 絶望に染まる表情を見て、胸が痛んだ。哀しい気持ちでほほえむ。

「決断が遅すぎた。もっと早く、そうするべきだった」

「……塔を出て、どうなさるのですか」

「少しだけ、資金を貸してください。贅沢はしません。いつか必ず、お返しします」

「そういうことを訊いているのではありません」

 低く抑えた声に、怒気が滲んだ。

 (ひる)みそうになりながら、佳蓮は昂然(こうぜん)と胸を反らした。

「ねぇ、私の方が年上だって覚えてる? レインの先輩なんだからね。指図しないで」

「指図など……」

「レインに頼らず、一人でやってみたいの。これからは、別々の道を生きていこう?」

 蒼白な顔を見て、苦い罪悪感がこみあげた。

 それでも――ほんの少し、胸が軽くなるのを感じていた。レインジールと(たもと)を分かつことは、佳蓮にとって、本当の自由の始まりでもあるのだ。

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