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奇跡のように美しい人  作者: 月宮永遠
2章:謳歌
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19

 それからの日々は、記憶がおぼろだ。

 これまでにも何度かあったことで、嫌なことがあったり、気が動転した後は、どういうわけか記憶が飛ぶのだ。

 今回は、朦朧としている間に七日が過ぎていた。

 思い当たる要因といえば、二人の関係が変わることを恐れたことくらいだ。あれだって、小さな胸のしこりくらいのものだと思うが、他に思い当たる節がない。

 七日の間、どのように過ごしていたのかまるで覚えていない。

 眼を醒ました時、佳蓮は夢とうつつの区別がつかなかった。

 飛び降りた直後のように、思考が朧で、視界に映る光景に現実味を感じられなかった。

 いつもに増して重い、意識障害後にやってくる副作用を引き起こした。幾度も捻じ伏せてきた疑問を掘り起こして、自ら混乱に陥っていく。

 ここはどこ?

 どうして生きているの?

 死んだんじゃないの?

 自問自答を繰り返す佳蓮を、泣きそうな顔でレインジールが見ている。名前を呼ばれると、麻痺した心を揺さぶられた。


「……時々思うんだ。何もかも妄想で、レインは私が生んだ、私を否定しない美しい存在なんじゃないかって」


 ベッドの上でぼんやり呟く佳蓮を、レインジールはきつく抱きしめた。


「な、何?」


「夢ではありません」


「判ってるよ。放して」


「私は、貴方の創造物ではありません」


「判ってるってば」


「なら、どうしてそのように心を彷徨わせるのですか?」


 責める口調に、佳蓮は怒りを覚えた。


「じゃぁ、聞くけど、死後の世界でもなければ想像の世界でもない、ここはどこなの?」


 反論する隙を与えずに続ける。


「納得のいく説明が一度でもあったと思う? 私は死んで、どうなったの? ちゃんと死んだの? 本気で考えたら、一秒だってまともでいられやしない。自分の世界に籠るしかないじゃない」


「堕天したことは」


「違う、自殺したの。何度いえば判るの? 屋上から飛び降りたんだってばッ!」


「尊い堕天です。天界での貴方を知ることはできませんが、この国にとっては、貴方は間違いなく流星の女神です」


「やめてッ! 私は女神じゃない、女神なんかじゃない、女神なんかじゃないッ!!」


「佳蓮、佳蓮、落ち着いて。どうして否定するのですか? 貴方は、地上に堕ちても変わらずに、穢れない光輝ですのに」


 佳蓮の眼が据わった。宥めようとする腕を、力任せに振り払う。

 怒りを孕んだ勁烈けいれつな眼差しに、レインジールはおののいたように息を呑んだ。


「レインってどうしてそうなの? 本気で私が女神だと思ってるの?」


「もちろんです」


「……凄いね。自分でも信じられないのに、よく信じられるね」


 驚くほど冷たい声が出た。

 彼のこうした真っ直ぐな姿勢を見る度に、完璧なまでに整った容姿が嫌味に思えてくる。


「ねぇ、生まれながらの咎があるって、いっていたよね」


「はい」


「レインも?」


「え?」


「ここへ堕ちる前は、何をしていたの?」


「輪廻は上位次元アストラルの領域です。私を含め、地上に生まれた者に、推し測る術はありません」


「どうしようもない、悪人だったのかもよ? そのザマだもんね。ご愁傷様! あ、でも違うか。私の傍にいられて、嬉しくて仕方ないのか。あはははっ!」


 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。

 剣呑な光を眼に灯して、レインジールはベッドの上に佳蓮を押し倒した。両手首をシーツにきつく縫い留めて、射抜くように見下ろしている。

 品行方正で礼儀正しいレインジールとは思えぬ、荒々しい仕草だ。


「どいて!」


「私の女神。お願いですから、私の想いを軽んじるのはお止めください」


 爛と見下ろす瞳に、見紛うなき熱が灯っている。気付きたくなかった……ずっと居心地の良い関係でいられると信じていたのに――


「放して」


 視線から逃げるように顔を傾けて、四肢に力を込めるが、たやすく封じられた。


「私を怒らせるのは、得策ではありませんよ。翼を手折られた貴方は、私を追い払えやしないのだから」


「レインのくせに、何……ッ……」


 感情が昂り、熱い雫となって瞳から零れ落ちた。はっとしたように、レインジールは佳蓮を離した。


「ッ、申し訳ありません、こんなつもりでは」


「出ていって」


 まるで佳蓮を恐れるように、レインジールは部屋の隅へ寄った。


「……私はただ、佳蓮の聖杯を満たしたくて……私を見ようとしない貴方を見るのが、辛くて……」


 美しい顔を両手に沈めて、血を吐くような、沈痛な声を絞り出した。見せるつもりはなかったであろう、感情の吐露だ。

 やるせない沈黙が流れる。

 ふと、佳蓮の脳裏に断片的な記憶がよぎった。哀しそうな声を、以前にも聴いたことがある。


“佳蓮。心地いい風ですよ。庭に出てみませんか?”


 愛おしそうに髪を撫でながら、囁きかける声……


“佳蓮。何を見ているのか、教えてください……”


 結ばぬ焦点を辿って、心を汲むように笑みかける。


“佳蓮。怖くありませんよ。どうか、ここへ戻ってきてください……”


 あの優しい声は、確かにレインジールだった。

 佳蓮が朦朧としている間、いつもそうやって傍にいてくれたのだろうか?

 疑問はすぐに確信に変わる。

 彼はいつだって佳蓮を第一に気遣ってくれるのに、佳蓮ときたら、癇癪を起して悲憤慷慨ひふんこうがいぶりをまき散らしている。


「……ごめん」


 頭が冷えると、羞恥が込み上げてきた。

 ゆっくりと傍へ寄り、白銀の髪を撫でると、レインジールは恐る恐る顔を上げた。動揺したことを恥じるように、首を緩く左右に振る。


「いいえ、とんでもない醜態でした。自分が嫌になる……」


「お互い様だよ。私の方がずっと酷いし」


「自制が利かず……お恥ずかしい。自分に、これほど衝動的な一面があるとは知りませんでした」


「レインは私よりずっと大人だよ」


「佳蓮……」


「面倒くさい性格で、ごめん」


 悄然と呟くと、レインジールは歯痒そうな表情を浮かべた。


「そんな風におっしゃらないでください。今のは私に非があったのです。貴方はもっと、私を責めてくださっていいのです」


「レインは悪くないよ……でも、私の恐がることはしないで」


 小声で告げると、レインジールは姿勢を正した。


「決して。何よりも大切にすると誓います」


 ぎこちなく笑みかけると、レインジールも儚げに微笑んだ。かと思えば、さて、と空気を変えるように明るい声を発する。


「仲直りをしましょう」


「仲直り?」


 きょとんとする佳蓮を見て、レインジールはほほえんだ。


「紅茶を煎れますね。テラスで涼みながら飲みましょうか」


 それは、とても素敵な提案に聴こえた。

 自分より相手の気持ちをおもんばかり、喫茶に誘ってくれるレインジールは、やはり佳蓮より遥かに大人だ。

 夕涼みしながら紅茶を飲むうちに、気持ちは凪いでいった。

 思えば、気まずい思いをした相手と仲直りをするのは、初めての経験かもしれない。仲直り……縁遠い言葉だと思っていた。

 暖かな紅茶が、心に染み入る。

 喧嘩をした後の仲直りだと思うからだろうか? とても優しい味をしていた。





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