15
六月の時計塔。
図書館からの帰り道、初夏の光に背中を押されるように、佳蓮は四〇階の空中庭園に脚を運んだ。
爽やかな空気に薔薇の香気が溶けこみ、花々の向こうでは噴水の飛沫が煌めいて、七色の虹を織りなしている。
思わずどこかへ遊びに行きたくなる陽気だ。
軽やかな気分で塔内星路陣を爪先でタップし、時計塔の五〇階にある星導局の工房へ向かうと、よたよたと筒状の資料を運ぶ、見覚えのある少年の後ろ姿が目に入った。
「ジラン、ジラン、引きずってるよ」
追い駆けて、ひょいと筒の後ろを持ちあげた。
「ハスミ様⁉」
澄んだ菫色の瞳を丸くして、愛らしい顔立ちの少年が振り向いた。小柄な星導生で、レインジールの工房にもよく出入りしている少年だ。
「後ろ、持つよ」
「え⁉ だ、大丈夫です!」
「いいからいいから。どこまで運ぶの?」
「えっと、一階の講堂です」
「そうなの。この資料はジランには大き過ぎるよね。他の人に頼めば良かったのに」
「いえ……本当は別の方が持っていくはずだったんですが、その……代わるよう頼まれて……」
「断らなかったの?」
「ちょうど、手が空いていましたから」
「偉いね」
「いえ、そんな……ハスミ様はお優しいですね」
頬を紅潮させて、ジランはうっとりと呟いた。憧憬の眼差しを遮るように、佳蓮は顔の前で手を振った。
「別に、優しくないよ」
「そんなことありません。僕なんかに声をかけてくださるハスミ様は、とてもお優しいと思います」
佳蓮の感覚では、ジランは精緻に整った顔立ちをしている。
だが彼自身は、容姿に深い劣等感を抱えているのだろう。言葉の端々に滲む〝僕なんか〟という自己肯定感の低さ。
(……地球に生まれていたら、きっと違ったのに)
もっとも、恵まれた容姿を意識して育てば、全く別の人格になっていた可能性もあるが。
講堂に資料を運び終えると、佳蓮はこの優しい少年と、もう少し一緒に過ごしたくなった。
「この後時間ある? 良かったら、お茶しない?」
「よ、よろしいのですか?」
「もちろん。ジランが良ければ」
「ぜひ、ご一緒させてください!」
明るい返事に気を良くして、二人で時計広場に面した喫茶へ入った。
ジランは最初こそ緊張していたが、佳蓮の方からあれこれと話しかけるうちに、屈託のない笑みを見せるようになった。時々冗談も飛びだす。
ジランから聞くレインジールの話は、どれも新鮮だった。
佳蓮にはとても優しいレインジールだが、星導機関では畏敬の対象らしい。若くして五塔総監の座に就いたことが、その距離をいっそう際立たせているのだろう。
話は尽きず、楽しく談笑していると、一五歳ほどの学生が数人、こちらへ歩み寄ってきた。
ジランの躰が強張ったのを見て、佳蓮はピンときた。彼等はいじめっ子に違いない。
「こんにちは、女神様……」
声をかけてきた少年は、佳蓮を見るなり、言葉を失ったように立ち尽くした。
「ご機嫌よう。何かご用かしら?」
「後輩の姿を見かけたので、様子を見にきました。ジラン、いつの間に女神様と親しくなったんだ?」
気のいい先輩を装っているが、声には隠し切れない嫉妬が滲んでいた。
佳蓮は、委縮するジランの手に、そっと自分の手を重ねた。座ったまま、呆気にとられている上級生達を見据えて、嫣然と微笑する。
「ジランは私のお気に入りなの。話し相手になってもらっていました」
「……ジランが?」
「ええ。あら、リグレット様だわ」
「えっ⁉」
少年達は一斉に振り向いた。
視線の先にいるのは――白環塔の長官、リグレットだ。
白金髪のオールバックに銀縁の片眼鏡をかけた、佳蓮の感覚では、怜悧な美貌の青年である。冴え冴えとした蒼氷色と金のオッドアイが、人を裁くように冷たく光る。その冷たい印象と能力の高さから、彼は周囲から〝白環宰相〟と呼ばれている。
「リュウ、シバ、アラン。こんなところで油を売っていないで、研究に戻りなさい」
片眼鏡の奥から睥睨され、三人は震えあがった。
「すみません、長官! すぐに戻ります」
三人のボス格らしい少年、リュウが頭をさげた。
「僕も戻らないとっ、ハスミ様、ありがとうございました!」
ジランもあたふたと立ちあがり、足早に去って行った。
二人きりになるのが気まずく、佳蓮も席を立とうとしたが、
「ハスミ様」
低い美声に呼び止められた。恐る恐る振り向くと、神秘的なオッドアイがまっすぐ佳蓮を見つめていた。
「……ご機嫌よう、リグレット白環長官」
「女神におかれましては、ご機嫌麗しく」
「ありがとうございます」
「どちらへ?」
淡々とした口調だが、なぜか咎められた気がしてしまう。
「レインに会いにいこうかと」
「彼も貴方を探していましたよ。なかなか工房にお見えにならないから」
「え、本当ですか?」
「実は、星象異変の解析途中だったのですが……貴方が来ていると聞いた途端に、上の空になってしまいました」
どこか呆れたような口調に、佳蓮は肩をすくめて項垂れた。叱れらた生徒の気分だ。
「入れ違いになると面倒です。総監に知らせますから、ここにいてください」
「あ、それなら」
自分で行きますと断る前に、リグレットは銀の留め具を外して星導書を開き、筆を走らせてしまった。アディール新星皇国版スマートフォンで通信しているのだ。
「すぐに来るそうです」
「……ありがとうございます」
佳蓮が諦めて着席すると、リグレットも空いた席に腰を下ろした。
「最近、女神の訪れが相次いでいるせいか、〝星導師達が女神の寵愛を競っている〟などという噂も、立っているようです」
冷めた表情からは、心を読み取れない。顔が整っているだけに、表情を消していると怜悧な迫力が増して怖い。
「すみません……」
佳蓮は、神妙な面持ちで頭をさげた。
「貴方が謝る必要はありません。それに……貴方の訪れを喜ばない男はいないでしょう」
甘い台詞にも聞こえるが、熱が伴っていない。反応に困って、佳蓮は愛想笑いを浮かべた。
「総監も貴方に夢中だ」
「……どうでしょう」
「貴方は、彼の堅牢な厭世観に、光を射したのですから……」
徐に伸ばされた手が、佳蓮の黒髪に触れた。
――果たして、どんな意図があって、彼がそうしたのか判らなかった。
唖然として、見つめ合ったまま言葉を探していると、小走りで駆けてくる足音が聞えた。
「佳蓮!」
安堵に表情を緩めた佳蓮とは対照的に、息を弾ませているレインジールは強張った表情をしている。
「リグレット。何をしているのですか」
「幸運にも女神にお会いできたので、ご挨拶をしていただけですよ、総監」
空気が張り詰めるのを感じて、佳蓮は努めて明るい声をだした。
「レイン、迎えに来てくれてありがとう!」
「……いえ、こんなところにいらっしゃるとは、思いませんでした」
「ごめん。ちょっとジランと話してて」
「喫茶で寛いでいるのなら、一言教えてくださればいいのに」
「ごめん……」
「次はお知らせください。工房に行きましょう」
「うん」
差し伸べられた掌に手を重ねると、リグレットと瞳が遭った。
「総監。星象解析の途中だということを、お忘れですか? ハスミ様は私がお連れしますから、観測にお戻りになってはいかがです?」
眉を顰めるレインジール。冷たく見下ろすリグレットを見て、佳蓮は慌てた。
「あの……忙しいようですし、私はもう、これで帰りますから」
睨み合っていた二人は不穏な空気を散らして、同時に佳蓮を見た。
「貴方が遠慮する必要はありませんよ」
「そうですよ。せっかくいらしてくださったのに。ゆっくりしていってください」
左右から手を取られ、断る間もなく、工房へ案内された。
険悪な空気になることを恐れたが、二人の遠慮のないやりとりには、気心の知れた間柄であることが窺えた。リグレットの管轄する白環塔は、星杯契約の管理もしているので、レインジールとは日頃から仕事で接する機会が多いらしい。
意外にも、三人で過ごす時間は穏やかだった。緊張は徐々にほどけ、笑い声すら交わされる。
リグレットを前にすると、礼儀正しいレインジールの言葉は少し崩れる。そうした、彼の新たな一面を知ることができて、佳蓮は嬉しかった。




