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 六月の時計塔。

 図書館からの帰り道、初夏の光に背中を押されるように、佳蓮は四〇階の空中庭園に脚を運んだ。

 爽やかな空気に薔薇の(こう)()が溶けこみ、花々の向こうでは噴水の飛沫が(きら)めいて、七色の虹を織りなしている。

 思わずどこかへ遊びに行きたくなる陽気だ。

 軽やかな気分で塔内星路陣(インネリウム)を爪先でタップし、時計塔の五〇階にある星導局の工房へ向かうと、よたよたと筒状の資料を運ぶ、見覚えのある少年の後ろ姿が目に入った。

「ジラン、ジラン、引きずってるよ」

 追い駆けて、ひょいと筒の後ろを持ちあげた。

「ハスミ様⁉」

 澄んだ菫色の(ひとみ)を丸くして、愛らしい顔立ちの少年が振り向いた。小柄な星導生で、レインジールの工房にもよく出入りしている少年だ。

「後ろ、持つよ」

「え⁉ だ、大丈夫です!」

「いいからいいから。どこまで運ぶの?」

「えっと、一階の講堂です」

「そうなの。この資料はジランには大き過ぎるよね。他の人に頼めば良かったのに」

「いえ……本当は別の方が持っていくはずだったんですが、その……代わるよう頼まれて……」

「断らなかったの?」

「ちょうど、手が空いていましたから」

「偉いね」

「いえ、そんな……ハスミ様はお優しいですね」

 頬を紅潮させて、ジランはうっとりと呟いた。憧憬(しょうけい)の眼差しを(さえぎ)るように、佳蓮は顔の前で手を振った。

「別に、優しくないよ」

「そんなことありません。僕なんかに声をかけてくださるハスミ様は、とてもお優しいと思います」

 佳蓮の感覚では、ジランは精緻(せいち)に整った顔立ちをしている。

 だが彼自身は、容姿に深い劣等感(コンプレックス)を抱えているのだろう。言葉の端々に滲む〝僕なんか〟という自己肯定感の低さ。

(……地球に生まれていたら、きっと違ったのに)

 もっとも、恵まれた容姿を意識して育てば、全く別の人格になっていた可能性もあるが。

 講堂に資料を運び終えると、佳蓮はこの優しい少年と、もう少し一緒に過ごしたくなった。

「この後時間ある? 良かったら、お茶しない?」

「よ、よろしいのですか?」

「もちろん。ジランが良ければ」

「ぜひ、ご一緒させてください!」

 明るい返事に気を良くして、二人で時計広場に面した喫茶へ入った。

 ジランは最初こそ緊張していたが、佳蓮の方からあれこれと話しかけるうちに、屈託(くったく)のない笑みを見せるようになった。時々冗談も飛びだす。

 ジランから聞くレインジールの話は、どれも新鮮だった。

 佳蓮にはとても優しいレインジールだが、星導機関では()(けい)の対象らしい。若くして五塔総監の座に就いたことが、その距離をいっそう際立たせているのだろう。

 話は尽きず、楽しく談笑していると、一五歳ほどの学生が数人、こちらへ歩み寄ってきた。

 ジランの躰が強張ったのを見て、佳蓮はピンときた。彼等はいじめっ子に違いない。

「こんにちは、女神様……」

 声をかけてきた少年は、佳蓮を見るなり、言葉を失ったように立ち尽くした。

「ご機嫌よう。何かご用かしら?」

「後輩の姿を見かけたので、様子を見にきました。ジラン、いつの間に女神様と親しくなったんだ?」

 気のいい先輩を装っているが、声には隠し切れない嫉妬が滲んでいた。

 佳蓮は、委縮するジランの手に、そっと自分の手を重ねた。座ったまま、呆気にとられている上級生達を見据えて、嫣然(えんぜん)と微笑する。

「ジランは私のお気に入りなの。話し相手になってもらっていました」

「……ジランが?」

「ええ。あら、リグレット様だわ」

「えっ⁉」

 少年達は一斉に振り向いた。

 視線の先にいるのは――白環(はくかん)塔の長官、リグレットだ。

 白金髪のオールバックに銀縁の片眼鏡(モノクル)をかけた、佳蓮の感覚では、(れい)()な美貌の青年である。冴え冴えとした(そう)()色と金のオッドアイが、人を裁くように冷たく光る。その冷たい印象と能力の高さから、彼は周囲から〝白環(はくかん)宰相〟と呼ばれている。

「リュウ、シバ、アラン。こんなところで油を売っていないで、研究に戻りなさい」

 片眼鏡(モノクル)の奥から睥睨(へいげい)され、三人は震えあがった。

「すみません、長官! すぐに戻ります」

 三人のボス格らしい少年、リュウが頭をさげた。

「僕も戻らないとっ、ハスミ様、ありがとうございました!」

 ジランもあたふたと立ちあがり、足早に去って行った。

 二人きりになるのが気まずく、佳蓮も席を立とうとしたが、

「ハスミ様」

 低い美声に呼び止められた。恐る恐る振り向くと、神秘的なオッドアイがまっすぐ佳蓮を見つめていた。

「……ご機嫌よう、リグレット白環(はくかん)長官」

「女神におかれましては、ご機嫌麗しく」

「ありがとうございます」

「どちらへ?」

 淡々とした口調だが、なぜか(とが)められた気がしてしまう。

「レインに会いにいこうかと」

「彼も貴方を探していましたよ。なかなか工房にお見えにならないから」

「え、本当ですか?」

「実は、星象異変の解析途中だったのですが……貴方が来ていると聞いた途端に、上の空になってしまいました」

 どこか呆れたような口調に、佳蓮は肩をすくめて(うな)()れた。叱れらた生徒の気分だ。

「入れ違いになると面倒です。総監に知らせますから、ここにいてください」

「あ、それなら」

 自分で行きますと断る前に、リグレットは銀の()め具を外して星導書を開き、筆を走らせてしまった。アディール新星皇国版スマートフォンで通信しているのだ。

「すぐに来るそうです」

「……ありがとうございます」

 佳蓮が諦めて着席すると、リグレットも空いた席に腰を下ろした。

「最近、女神の訪れが相次いでいるせいか、〝星導師達が女神の寵愛を競っている〟などという噂も、立っているようです」

冷めた表情からは、心を読み取れない。顔が整っているだけに、表情を消していると(れい)()な迫力が増して怖い。

「すみません……」

 佳蓮は、神妙な面持ちで頭をさげた。

「貴方が謝る必要はありません。それに……貴方の訪れを喜ばない男はいないでしょう」

 甘い台詞にも聞こえるが、熱が伴っていない。反応に困って、佳蓮は愛想笑いを浮かべた。

「総監も貴方に夢中だ」

「……どうでしょう」

「貴方は、彼の堅牢な厭世観(えんせいかん)に、光を射したのですから……」

 (おもむろ)に伸ばされた手が、佳蓮の黒髪に触れた。

 ――果たして、どんな意図があって、彼がそうしたのか判らなかった。

 唖然として、見つめ合ったまま言葉を探していると、小走りで駆けてくる足音が聞えた。

「佳蓮!」

 安堵に表情を緩めた佳蓮とは対照的に、息を(はず)ませているレインジールは強張った表情をしている。

「リグレット。何をしているのですか」

「幸運にも女神にお会いできたので、ご挨拶をしていただけですよ、総監」

 空気が張り詰めるのを感じて、佳蓮は努めて明るい声をだした。

「レイン、迎えに来てくれてありがとう!」

「……いえ、こんなところにいらっしゃるとは、思いませんでした」

「ごめん。ちょっとジランと話してて」

「喫茶で(くつろ)いでいるのなら、一言教えてくださればいいのに」

「ごめん……」

「次はお知らせください。工房に行きましょう」

「うん」

 差し伸べられた掌に手を重ねると、リグレットと(ひとみ)()った。

「総監。星象解析の途中だということを、お忘れですか? ハスミ様は私がお連れしますから、観測にお戻りになってはいかがです?」

 眉を(ひそ)めるレインジール。冷たく見下ろすリグレットを見て、佳蓮は慌てた。

「あの……忙しいようですし、私はもう、これで帰りますから」

 (にら)み合っていた二人は不穏な空気を散らして、同時に佳蓮を見た。

「貴方が遠慮する必要はありませんよ」

「そうですよ。せっかくいらしてくださったのに。ゆっくりしていってください」

 左右から手を取られ、断る間もなく、工房へ案内された。

 険悪な空気になることを恐れたが、二人の遠慮のないやりとりには、気心の知れた間柄であることが(うかが)えた。リグレットの管轄する白環(はくかん)塔は、星杯(せいはい)契約の管理もしているので、レインジールとは日頃から仕事で接する機会が多いらしい。

 意外にも、三人で過ごす時間は穏やかだった。緊張は徐々にほどけ、笑い声すら交わされる。

 リグレットを前にすると、礼儀正しいレインジールの言葉は少し崩れる。そうした、彼の新たな一面を知ることができて、佳蓮は嬉しかった。

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