表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/43

16

 新星歴一九九二年。八月一〇日。

 賑々(にぎにぎ)しい夏の降臨祭が幕を開けた。

 降臨祭は、流星の女神信仰の祭儀で、七日に渡って皇都ヘカテルの星教区で執り行われる。その間、世界中から人が訪れる。

 二年前、佳蓮が降臨したことで、皇都ヘカテルは世界最高の聖地と(うた)われていた。

 砂漠を越え、大河を超え、星雲(せいうん)()(とう)を越え、ありとあらゆる人間が集まってくる。

 往来(おうらい)雑駁(ざっぱく)な匂いと色彩に溢れ、人いきれ、行商人は声を張りあげ金銭が飛び交い、連日大盛況だ。

 降臨祭三日目の今日は、星環(せいかん)騎士団の(せい)()()隊がマロニエ並木を闊歩する。

 精悍(せいかん)な騎士と一瞬でも視線を交わしたくて、若い娘達は競うように着飾り、花道の最前列を占領する。

 その光景を、佳蓮は大通りに面した一等貴賓席から眺めていた。

 騎士が通る間、儀礼のように手を振る。そこに特別な感情はなかったが、凛々しい礼装姿の騎士達は、佳蓮を仰いで誇らしげに敬礼を返した。

 続いて、星導防衛団の(せい)()()隊が近づいてくると、佳蓮は大きく手を振り、その名を叫んだ。

「レイーンッ!」

 騎馬したレインジールは、群衆の向こうに佳蓮を認めた。

 一瞬、驚いたように目を(みは)り――次の瞬間、(まばゆ)いほどの笑みを(ひらめ)かせて、手を高く掲げる。

 佳蓮も思わず腕を振り返した。

 それを合図にしたかのように、観衆はワッと歓声をあげ、熱狂が、波のように広がっていく。

 やがて軍事行進(パレード)が途切れると、軽快な演奏が青空に響き渡った。

 太鼓と金管、弦の音が重なりあい、その拍子に誘われるように、人々は自然と輪をつくって踊りだす。

 公務を終え、自由観覧を許された佳蓮は、胸の奥にこみあげる高鳴りを抱えたまま、レインジールの姿を探して席を立った。

 人の波に飛びこんだ途端に、

「踊っていただけませんか?」

 背後から声をかけられ、振り向くと、そこに立っていたのは、シリウス皇太子だった。

 佳蓮は一歩退き、裾を整えて丁寧に一礼した。

「せっかくですが、踊りは苦手なんです」

 断られるとは欠片も思っていなかったのだろう。シリウス皇太子は驚いたように目を(みは)ると、すぐに柔和な笑みを浮かべた。

「そうおっしゃらずに。堅苦しくない気楽なダンスです。どうか一曲お相手を」

 返答に迷った、その時。人の輪の向こうに、キララの姿が見えた。盛大に眉を(ひそ)めてこちらを(にら)んでいる。

「ごめんなさい! 本当に苦手なんです」

 佳蓮は勢いよく頭をさげると、返事も待たず、逃げるようにして群衆へ(まぎ)れた。

 面紗(ヴェール)をつけていても、四方から声をかけられる。それらを愛想笑いで(かわ)しながら、人気の少ない方を目指した。

 ()(みち)を抜けると、小さな広場にでた。早足で通り過ぎようとしたが、見覚えのある後ろ姿が目に入った。

 (うつむ)いていて顔は見えないが、ジランだ。小柄な少年を、背の高い星導生達が取り囲んでいる。

 嫌な予感がする。

 足を止めて様子を見ていると、脇に抱えていた星導書を奪われ、ジランが(はじ)かれたように顔をあげた。星導師にとって、星導書は何より大事なものだ。

 ――どうしよう。

 同い年くらいの子供達は周囲にいるが、誰も止めようとしない。佳蓮が割って入れば、注目を集めてしまう。

 ジランに絡んでいるのは、以前にも見た顔だった。リュウという名の少年だ。

 必死に星導書を取り返そうとするジランの腕を、リュウは軽く(ひね)って地面に転がした。起きあがろうとする躰を、足で踏みつける――

「何をしているの?」

 我慢できずに、佳蓮は面紗(ヴェール)を取って前に進みでた。

「女神様!」

 リュウは慌ててジランから距離を取ると、姿勢を正した。

「遊んでいただけです」

 しれっと答える地味顔を、佳蓮は冷ややかに見下ろした。

「星導書を奪って?」

 苛立ちをこめて指摘すると、リュウは仕方なさそうにジランへ星導書を突き返した。

「……ほら。ちょっとふざけただけだ、そうだろ?」

 悪びれもなく言うリュウ。

 無邪気な悪意は(でん)()し、遠巻きにしている見物人のあいだから、忍び笑いが漏れ聞こえた。

 一瞬、ジランの(ひとみ)に怒りが灯る。だがすぐに顔を伏せ、無言で星導書を受け取った。

 一件落着とばかりに、リュウは余裕を装った笑みを浮かべると、

「女神様、これから()しものが始まります。良ければ、ご一緒しませんか?」

 仲間を従えて平然としている少年に、燃えるような怒りを覚えた。気がつけば、差しだされた掌を、衝動のまま叩き落としていた。

 パチンッと乾いた音が鳴り、リュウは何が起きたのか判らない、そんな顔で呆然と佳蓮を見つめた。

「痛かった? 〝ちょっとふざけただけだ、そうだろ?〟」

 口真似をすると、リュウだけでなく、ジランまで呆気にとれらた顔をした。

「今、君がジランにしたことだよ」

 ようやく事態を理解し、リュウは余裕のある笑みを消した。(おび)えた表情を浮かべつつ、姿勢を伸ばした。

「……すみませんでした」

「うん。私もごめんね。でも、どうして叩いたか判る?」

「はい……彼の星導書を、取りあげたから……」

「そうだね。誰だって、適当にあしらわれたら、哀しいんだよ」

「……はい。申し訳ありませんでした」

 今度こそ悄然(しょうぜん)(うつむ)く少年を、たっぷり一〇秒は睥睨(へいげい)した後、傍観していた周囲へ視線を向けた。

「笑っていた子も考えてみて。逆の立場だったらどう? 自分が笑われたら、どう思った? それでも笑っていられた?」

 (しん)、と沈黙が流れた。視線が合うことを恐れるように、誰もが下を向く。

「他人の痛みが判らない人は、いつか自分が苦しむことになるよ」

 呪縛の言葉が唇からこぼれた途端に、腐敗寸前の林檎のような、甘く()えた香りが(かす)かに(ただよ)った。

 袖を引かれ、視線を落とすと、ジランが泣きそうな顔で佳蓮を見ていた。首をふるふると左右に振って、気持ちを伝えてくる。

 その仕草に、佳蓮の胸は締めつけられた。冷たくこみあげてくる後悔に立ち尽くしていると、

「ハスミ様」

 群衆を割って、リグレットが現れた。

 普段は苦手に思っている男の顔を見て、これほど安堵したのは初めてのことだ。

「行きましょう」

 大きな手に背を支えられ、反対側からは心配そうな顔をしたジランが寄り添う。二人に守られるようにして、佳蓮はその場を離れた。

 遊歩道の奥、喧噪から切り離された静かな一角に、椅子が置かれていた。

 リグレットは佳蓮をそこへ座らせると、ジランが懸命に慰める様子を視界に収めながら、星導書を開いた。レインジールへ連絡しているのだ。

「……ごめんね、ジラン。注目を浴びて、嫌だったよね」

 悄然(しょうぜん)としながら、佳蓮は言った。

「嫌じゃありません。僕の味方をしてくれて、すごく、すごく嬉しかったです」

 心の(こも)った言葉に、張り詰めていた糸が切れた。視界が滲み、目頭が熱くなる。

「あんな悪目立ちするつもりはなかったの……学園でやり辛くなっちゃった?」

「謝らないでください! ハスミ様は、少しも悪くありません。僕の方こそ、ご迷惑を……」

 必死に慰めようとする愛らしい少年の顔が、涙でぼやけた。

「ごめん……もっと、違うやり方があったと思う。あれは、不味かったよね……」

 視線を伏せ、涙を(こぼ)す佳蓮を、ジランばかりかリグレットも困ったように見つめていた。

「泣かないでください、ハスミ様」

 ジランは、泣きそうな表情で続けた。

「僕、自分が情けないです。もっと強くなります、絶対に」

「貴方がそんな風に傷つく必要なんて、ないのですよ」

 冷徹な〝白環(はくかん)宰相〟までも優しい慰めを口にする。

 二人の言葉は、余計に涙腺を決壊させた。

 泣くのは卑怯だと思う。辛い思いをしたのはジランなのに、慰めさせたりして、最悪だ。一番最悪なのは、欺瞞(ぎまん)(まみ)れた佳蓮自身だ。

 あれは、ジランのための行動ではなかった。(あざけ)る視線が許せなくて、憎たらしくて、ジランを守る(てい)で、記憶のなかの佳蓮を(かば)ったのだ。

「……ごめんなさい」

 嵐のように感情を揺さぶられて、涙を止められない。過ぎ去った記憶、後悔が溢れて、うまく息を吸えない。呼吸が浅くなる。

「佳蓮!」

 その声を聴いた瞬間、すーっと肺に爽やかな空気が流れこんできた。

 レインジールはよほど急いでいたのか、白銀の髪が乱れ、息も少し乱れていた。

 彼は、泣いている佳蓮を見て言葉を失ったが、すぐに問い(ただ)すような視線をリグレットとジランへ向けた。

「何があったのですか?」

 佳蓮は両手に顔を沈めたまま、首を振る。

 リグレットが顛末を伝えると、レインジールは幾らか険を和らげた。佳蓮の前に(ひざまず)き、静かに問いかける。

「……塔に帰りますか?」

 無言で頷くと、立ちあがり、彼の用意してくれた青紫色の星衣(ローブ)に袖を通した。

 頭巾(フード)を深く落とし、面紗(ヴェール)を添えると、影がそのまま、泣き腫らした顔を隠してくれた。小さな子供みたいに、足元を見つめていると、

「また、お会いできますか?」

 不安そうな声を聞いて、恐る恐る顔をあげた。

「うん……」

 良かった、と安堵の笑みを浮かべるジランを見て、佳蓮も淡い笑みを浮かべた。自分より年下の子に気を遣わせてしまったことが、ひどく恥ずかしかった。

 星衣(ローブ)のおかげで、人目を気にせず塔へ戻ることができた。

 五〇階の星導局執務室に入ると、レインジールは(とう)椅子(いす)に佳蓮を座らせ、何も言わずに紅茶の給仕を始めた。

「……ありがとう」

 芳醇(ほうじゅん)な香りが(ただよ)うと、荒れていた心は少しずつ凪いでいった。

「我が喜びです」

 優しい微笑に誘われ、佳蓮も、ようやく少し笑うことができた。

「レインは、いつも私の気持ちを明るくしてくれるね。本当に……魔法遣いみたい」

 レインジールは傍に屈みこむと、卓に置いた佳蓮の手の上へ、そっと手を重ねた。

「佳蓮が笑ってくださるのなら、何でもします」

 優しい、星の囁きのようだった。

「どうか、私のいない所で泣かないでください」

「うん……」

 言った傍から、視界が潤んだ。雫が(こぼ)れる前に、レインジールは唇を寄せて優しく吸いとった。

 慰めにしては親密すぎるやりとりに、頬が熱くなる。あどけないと思っていた少年の顔が、随分と大人びて見えた。

「レインは、私が……」

 女神でなくとも、傍にいてくれる?

 そう訊こうとして、やめた。 

「もし私が、なんですか?」

「……ううん、なんでもない」

「では、もう訊きません」

 柔らかく微笑し、カップを差しだす。

「暖かいうちに」

「うん」

 花茶の香りと、優しい味。弱った心が潤うと同時に、視界もまた潤んだ。ぽろっと涙が(こぼ)れた。

「佳蓮?」

「……レインだけは、私を否定しないで」

「しません」

「私を、嫌いにならないで」

「なりませんよ、決して。どうしたのですか?」

 佳蓮は両手で顔を覆った。レインジールは隣に座ると、遠慮がちに肩を抱き寄せた。

「泣かないでください、佳蓮。私の女神……」

 華奢な肩に頭を預けて、佳蓮は声を殺して涙を流した。

 ――女神なんかじゃない。

 自己嫌悪と()(まん)(まみ)れた佳蓮が、女神であるはずがない。心が虚弱で、辛いことから逃げてばかり。それが判っているのに、レインジールの庇護に甘えている……

 誰よりも、自分のことが嫌いだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=171048670&s
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ