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 茶会から一月後。

 近頃、レインジールの様子がおかしい。夜()けまで研究に没頭し、これまで律儀に欠かさなかった夜の挨拶に訪れることもしなくなった。

 佳蓮は、時計塔の四〇階にある空中庭園で、(ページ)(めく)りながら、彼の沈んだ横顔を思い浮かべていた。

(レイン……今夜も、遅いのかな)

 今日はヘカテル星導学園で講義をする日だ。

 さっきから、(ページ)がちっとも進まない。同じ行を何度もなぞっていることに気づき、諦めて本を閉じた。

 昏れなずむ空を仰ぐ。

 茜と群青が溶け合う境目に、ふと、学園へ行ってみようという考えが(ひらめ)いた。

 もしかしたら、講義の終わりに会えるかもしれない。無理そうなら、そのまま引き返せばいい。

 そんな淡い期待を胸に、軽い気持ちで塔を降りることにした。

 時計塔は地上六六階の高層建築で、一階は受付や広場、講堂などがある。二階から五階までが学園区画だ。レインは普段、五〇階にある星導局の工房か、その奥にある執務室で仕事をしている。

 なお、五一階以上は特権保持者――高位星導師の居住区で、選ばれた者以外の立ち入りは許されない。レインの居館は六一階、佳蓮の居館は六二階にある。

 地上からは遠く隔てられているが、塔内星路陣(インネリウム)のおかげで、移動は一瞬である。

 一階へ降りた佳蓮は、人の波を見て、緊張に強張った。大丈夫、誰もこちらを気にしていない。皆忙しそうに行き来している。

 時計塔の玄関ホールは、幻想的な駅舎のようで、理由(わけ)もなく郷愁(ノスタルジー)を誘った。

 硝子張りの弧を描く円蓋(えんがい)から光が降り注ぎ、緑と噴水を配した中央広場に(そび)える、金の針の大時計を照らしている。

 公的機関と学び舎の融合した巨大施設は、神秘と魔法めいた雰囲気があり、カルチェ・ラタンのように雑駁(ざっぱく)な魅力に満ちていた。

 星導の権威や研究者、黒い制服に身を包んだ学生が行き交い、至るところに書架が並ぶ。

 新鮮な気持ちで歩いていたが、笑いながら道行く星導生を目にして足を止めた。掌に、じっとりと汗が滲む。

(……あれ?)

 もう平気だと思っていたのに――まだ早かった?

 いよいよ気分が悪くなり、引き返そうか迷っていると、視線が集まり始めた。複数の星導生が足を止めて、こちらを見ている。

「え、女神様?」「本当だ。流星の女神だ!」「うっわぁ、お綺麗だなぁ……」「キャーッ、流星の女神だわ」

 一人が声をあげると、あっという間に伝染した。

 同じ年頃の星導生が、頬を上気させ、憧憬(しょうけい)の眼差しで佳蓮を見ている。

 (あざけ)りでも無関心でもない。

 賞賛の眼差しを受けとめ、佳蓮はゆっくり自分を立て直した。笑みを浮かべると、彼等に手を振って応えた。

「ワァッ‼」「キャーッ」「手を振ってくださった‼」

 あちこちから歓声があがる。

 人が増えるにつれて、佳蓮はやっぱり怖くなった。引き返そうとしたとき、

「女神様」

 背中に声をかけられた。振り向くと、素朴な顔立ちの男子星導生がいた。なかなかの美男子(・・・)なのであろう少年は、佳蓮を見て目元を染めた。

「何かお困りですか?」

「レインは……星導五塔総監はどちらにいるかご存知ですか?」

「あぁ、総監なら、まだ講堂にいらっしゃると思います。良ければ、御案内いたしましょうか?」

 勇気を振り絞って差し伸べたのであろう手に視線を落とし、佳蓮は逡巡した。

「……では、お願いします」

 そっと、指先を重ねた。

「はい!」

 頬を紅潮させる少年の初々しさに、思わず笑みが(こぼ)れる。

 歩き始めると、ちょうど正面からレインジールが駆けてきた。

「佳蓮!」

「レイン」

「お一人でいらしたのですか⁉」

「うん」

 背後に列を連ねる星導生に目をやり、レインジールは(とが)める眼差しで佳蓮を見た。

「護衛もつけず、不用心ですよ」

 その声には、叱責よりも焦りが滲んでいた。

「大丈夫だよ」

「いいえ、貴方は少しも判っていない」

 不機嫌も露わに眉をあげるレインジールを、まぁまぁと佳蓮は(なだ)めた。

「ごめんね。怒らないで、レイン」

 手を伸ばして髪を撫でると、レインジールは躰を強張らせた。周囲からは悲鳴のような歓声が沸き起こる。

「か、佳蓮……!」

 思わぬ周囲の反応に、佳蓮は(ひる)んだ。背後をちらりと振り返り、再びレインジールに視線を戻した。

「ごめん……」

 紅潮した顔を(うつむ)けるレインジールを見て、佳蓮も気まずげに謝罪した。

「もう! いいからこちらへ」

 レインジールは佳蓮の手を掴むと、駆けだすように歩き始めた。

「レイン、ごめんね」

 佳蓮が謝っても、彼にしては珍しく返事をしなかった。

 会話は交わされぬまま、佳蓮の手を引いて塔内星路陣(インネリウム)に乗り、五〇階にある星導局の工房へと連れていかれる。

 そこは宇宙めいた空間で、高い天井には天球義が浮遊し、窓は緞帳が引かれているので、夜なのかと錯覚しそうになる。

 部屋の中央に鎮座した大きな胡桃(くるみ)の机には、燭台に霊気が灯り、様々な小瓶や工具類、複雑な図形、文字が綴られた書面などが無造作に散らばっていた。

 まるで、星を解剖(かいぼう)するための手術室だ。

 誰もいないと思ったが、机に置かれた小型顕微鏡を、小柄な星導生が覗きこんでいた。

「ジラン。しばらく、人を通さないでください」

「は、はい!」

 研究に勤しんでいた少年、ジランは飛びあがらんばかりに驚いた。とても愛らしい顔立ちをした彼は、佳蓮を見て目を丸くした後、内気そうに顔を(うつむ)けた。

 レインジールは佳蓮の手を引いて、工房の奥にある、執務室に案内した。工房と違って、窓から陽射しが入って明るい。

 扉が閉まると、佳蓮は背筋を伸ばして、努めて明るく言った。

「素敵なお部屋だね……はい、これ。差し入れ」

 菓子籠を差しだすと、レインジールも不機嫌を溶かして、ようやく笑顔を浮かべた。

「ありがとうございます。散らかっていてすみません」

「全然散らかってないよ」

「どうぞ、こちらにおかけください。埃がつかない程度には、掃除をしていますから」

 佳蓮は、ゆったりとした(とう)椅子(いす)に腰をおろした。

 机の傍に、樹のように大きな観葉植物が配され、天井からも、大小様々な緑が吊るされている。

「温室みたいだね……素敵。居心地が良くて、落ち着く」

「前任者の趣味です。私の師でもある女性で、蒼穹(そうきゅう)塔の出身ですが、薬草学にも通暁(つうぎょう)していました」

 レインはどこか懐かしむように言った。

「へぇ、女性だったの」

「はい。自由な人で、後継に私を指名した後は、辺境に隠居してしまいました」

「今は、どこにいるの?」

 (たず)ねながら、煉瓦の壁にかけられた大きな地図の傍へ寄った。円環大陸の()(かん)図だ。

 隣に並んだレインジールは、大陸の北端を指さした。

()(れい)から国を守る、古い要塞都市の一つです」

「そんな危ない所で隠居生活を送れるの?」

「今は、佳蓮のおかげで()(れい)は消滅していますし、師の星導は、主力一個隊すら凌駕(りょうが)するほど卓越していますから」

「へぇ……」

 相槌を打ちながら、隣の少年の様子を盗み見る。視線に気付いて、レインジールは顔をあげた。

「どうかしましたか?」

「……最近、元気ないよね。何かあった?」

 さりげなく(たず)ねると、レインジールは目を丸くした。

「……いえ、特には」

「嘘。最近、遅くまで仕事しているよ。ちゃんと寝てる?」

「心配をおかけして、すみません」

「謝ることじゃないよ。無理をしていないか、心配なだけ。レインは弱音とか全然吐かないし、いろいろ頑張り過ぎるから。私で良ければ、愚痴くらい聞くからね」

 頭を撫でると、レインジールは苦しそうな顔をした。思い詰めたような表情をしたかと思えば、笑みを浮かべて顔をあげた。

「では……少しだけ、お時間を頂けますか?」

「いいよ」

「こちらへどうぞ。最上階の天文宮へお連れします」

 差し伸べられた手を取ろうとした時、ふと左手の甲が視界に入った。

「その流星(こん)……」

 朱金の紋様は、以前と少し形が違っていた。ついこの間まで、羽を畳んだ片翼の形をしていたのに、今は双翼(そうよく)になりつつある。

「なんか、大きくなってない?」

星杯(せいはい)が満ちると共に、流星(こん)も成長するのです」

「ふぅん……」

 曖昧に頷く佳蓮を見て、レインジールはほほえんだ。さぁ、と差しだされた掌に、そっと手を重ねる。塔内星路陣(インネリウム)に足を乗せた次の瞬間、球状の白い空間に立っていた。

「――わ、すごっ」

 人を感知したのか、白い壁は(たちま)ち透明になり、四方を宇宙に囲まれた。

 空を埋め尽くす、無数の星と星。空恐ろしいほどの満点の星空を、佳蓮はぽかんと口を開けて仰いだ。

「……すごい、落ちてきそうな星空」

「あの最も明るい惑星状星雲(せいうん)の中央に、佳蓮のいらした天上の楽園はあると言われています」

 レインジールは、アンドロメダのように青く輝く星雲(せいうん)を指さした。

 佳蓮は()(とく)要領(ようりょう)に頷きながら、宇宙に思いを馳せた。地球で眺めていた星空とはまるで違うが、この広大な宇宙のどこかに、天の川銀河も存在しているのだろうか?

 二人はしばらく、言葉を失ったまま星空を見上げていた。

「……佳蓮。私が傍にいて、不満はありませんか?」

 唐突な質問に、佳蓮は驚いた。

「ないよ。なんで?」

「本当に?」

「うん。何でそんなこと訊くの?」

「……佳蓮にだけは、つまらない男だと思われたくありません。至らない点があれば、遠慮なくおっしゃってくだい」

「レインに問題なんてないよ。あるとしたら、私の方だから」

 レインジールは力なく首を振ると、天を仰いだ。

「私では、佳蓮の星杯(せいはい)を満たせないかもしれません……」

 憂いを帯びた横顔に、佳蓮は不安を掻き立てられた。

「……それって、何か問題あるの? 私は全然平気だけど……」

 確か、この世界に佳蓮の存在を定着させる為に、星杯(せいはい)を満たす必要がある、そうレインジールは話していた。

 時計塔の暮らしにもすっかり馴染んだし、昏倒することもなくなった。佳蓮としては、もうとっくに定着しているつもりだった。

星杯(せいはい)がどうかしたの?」

 佳蓮を見上げたレインジールは、不安な表情を消して、美しい笑みを浮かべた。

「――いいえ。何も。少しずつ、満ちてきましたね」

 いつもと変わらない、天使のような微笑。

 だがその奥に、佳蓮には触れさせてもらえない何かがある気がして、胸の奥に、小さな不安が残った。

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