気分転換を致しましょう。
あの日から数日経った。『ルクシオに早く言え。しかし城から一歩も出るな。死にたいのか』と叱られた私―――セレスティナは殿下のお言葉に野生の厳しさを感じつつ、憂鬱な気持ちで城の廊下を歩いていた。
ルクシオに会うのが気まずい。顔が合わせられない。ルクシオの変な尋問を受けてから私は微妙にルクシオを避けていた。会う時はいつもより会話が弾まないし、顔が合わせられない。すごい逃げたいし、普段と変わらないように死ぬほど気を使っている。つい体が身構えてしまう。
決して嫌いになったんじゃない。ただ心の整理がつかないというか…まあ、思い出しちゃうんだよね。恥ずかしくて叫びたくなる。今まで喧嘩や仲違いをした事がなかったから、こんなに会いたくないと思ったことは初めてだ。
ここでおかしな点が一つ。私はルクシオを避けていると言ったが、日々会う割合は全く減っていないのである。朝は何故か会うし、これまた何故か一日数回は会話する。避けてるはずなのに。
どういう事だ。避けたいんだけど。おばさんの心情に落ち着き期間を設けたいんだけど。え、私の隠密能力じゃ隠れきれないの? 体の小ささはこういう時に使うんじゃないの? ルクシオもルクシオでちょっとは気を使ってくれないかな。普段と全く変わらない無表情で『おはようございます』とか言ってんじゃないよ。余裕かよ。
あー、辛い。ルクシオが普段通りなのが更に辛い。意識してるのは私だけってか。理不尽だ。ルクシオも照れてよ。見たら可愛さのあまりに撫でまくる自信があるけど。
セレスティナは数冊の本を持って鍛練場に訪れた。そこは様々な色の騎士が切磋琢磨し、熱気と大声、微かな血の匂いに包まれている。医務室には数分置きに騎士が出入りし、また鍛練場に向かっていく。
鍛練場は自分の腕を磨く場所であり、ストレスを発散する場所であり、実験の場である。野生の本能が強い人は文官武官関係無く体を動かすことが好きらしく、空いた時間に遊びに来る。そこで他部署同士交流するのは素晴らしいことだが、骨が折れるまで本気で遊ばないでほしい。なんなの、どっちかが死ぬまで戦わないと満足しないの? 医務室が忙しいのはお前らのせいだからな自重しろよ。
とまあ、私は仕事でもないのに鍛錬場にいる。今から殿下の魔法学の練習に付き合うのだ。魔法が使える人は受験項目に魔法学の実技が入るんだって。私は治癒系だから要らないと思う。ていうか本業だし練習しなくてもいいでしょ。
私は殿下を探して辺りを見渡す。獣のような目で見てくる騎士達が怖い。普段は直ぐに医務室に逃げ込むので誘われないが私と一戦交えたい騎士は多いらしい。武闘会で毎年生き残っている弊害がこんな所で出るなんて…。私は顔を引きつらせて、じりじりと寄ってくる筋肉達から逃げる。
「セレス嬢。こっちだよ!」
「殿下!」
殿下が手を振りながらこちらに来る。私は救世主来たと笑顔で手を振るが、彼の周囲の筋肉達を見て表情を消した。血塗れの騎士が大量に控えている。…ヒロインは魔物を召喚できるのか。笑顔を固まらせて後退する。
「セレス嬢。どうして逃げるの?」
「取り巻きが怖くて…」
「大丈夫。怖くないよ」
殿下は『ねー』と笑顔で周囲に同意を求めると、騎士達は各々のタイミングで頷く。お前らその姿で城下町を歩いてみて、『怖くないわ貴方といると安心感が得られる!』って言うやつがいたら連れてこいよ。入院させるから。
何故取り巻きがいるんですか。ジト目で殿下に言う。すると殿下は『皆、私と遊びたいらしい』と言う。え、皆で殿下殺したいの?私も殺されるの?何故殿下は乗り気なの? 死ぬの?私が。私は頭を抱える。
「…殿下。実技の練習をするんですよね? 私と二人でするんですよね?」
「そのつもりだったんだけど皆が協力してくれるらしい。ふふ、我が国の騎士は優しいね。彼らのためにも頑張らなくちゃ」
「あ、あはは。私も頑張らなくちゃ……死にたくないもん」
「大丈夫大丈夫。お嬢ちゃんなら生きられるって」
「そうだよ。君なら大丈夫」
「そうかなぁ。すごく不安…」
「攻撃出来なくても身は守れるだろ?ずっと障壁張っときゃいい」
「まあ、そうだけどさ………え?」
「え?」
ぎぎぎ、と上を向くと赤毛の男性と目が合う。榛の瞳をぱちぱちと瞬かせて、不思議そうに『どうした?』と聞いてくる。血腥い鍛練場で異常に綺麗な騎士服を着た男性はディーアに似ていた。いや、ディーアが成長するとこうなるのだろうと思わせる姿だ。
そう、彼は戦闘狂と名高い団長のベルドランである。セレスティナは顔を青くした。
「な…何故団長様が鍛練場にいらっしゃるのですか?」
「何故って…俺にも手伝えることがあると思って」
「本音は?」
「ストレス発散がしたいな」
「殿下、私達は今日が命日です」
「大丈夫だよ、セレス嬢。ベルドランは優しいから」
「何が?易しく殺すってこと?それとも痛みなく殺してくれるの?死ぬの?」
「死なないよ」
怯える私に殿下がくすくす笑う。殿下は私がギャグで過剰に怯えていると思っているらしい。違う。そうじゃない。本気で怯えてるんだ。気が付いて。
何故手伝うとか言っちゃったんだろう。私は遠い目で砂埃の舞う空を見る。ああ、気分転換にいいかなとか思っちゃったんだっけ。気分転換以前に命まで吹き飛びそうだ。
「セレス嬢、どうしたの? 体調が悪いの?」
「武者震いじゃないか?」
「そっか。じゃあ大丈夫だね。練習を始めようか。試験内容は三つ。『基本属性の魔法を使えるか。当てられるか。他属性の魔法を使えるか』。どんなものに当てるのだろう。動くのかな?」
「俺に撃ってみるか?」
「いいの? じゃああとで試し撃ちさせてもらうね」
ベルドランさんと殿下が和気あいあいと会話している。軽い口振りで約束しているが、言い換えれば『試し斬りしたいから斬られろ』的な内容である。人間相手に攻撃するな。そこら辺の地面に向かって撃ちなさい。
「セレス嬢ー。何から練習した方がいい?」
「準備体操に覚えてる魔法を全部撃てばいいんじゃないですかね」
「魔力切れしちゃうよ」
「じゃあ五本の指に火を灯す練習でもしますか?」
「応用で出来るレベルなの?」
「五回魔法を唱えれば出来るレベルです」
「普通五回唱えてもできないよ」
「…魔法に練習って必要ですか?」
「僕は必要なんだよ…」
恨めしそうに言われましても…。そもそも魔法イレギュラーな私に魔法なんて教えられるわけないじゃん。想像豊かに魔力を振るえば魔法が使えるとしか説明出来ないよ。
私達が会話をしている横でベルドランさんがこちらをドン引きした目で見ている。殿下も同じような目をしていたような気がしたが、私は気が付かなかった。うーん…威力をあげるかド派手に改造したらいいのかな?
「殿下って基本属性は使えますよね?」
「うん。火、水、土だよね。使えるよ」
「他属性は?」
「うーん、出来てないなぁ。火属性が得意なのだけれど…何が適正なのだろう?」
「火…ですか。とりあえず風属性やります?基本属性と親和性高いですよ」
「風属性?で、出来るかなぁ?」
「いけますいけます」
買い物をするノリで他属性を決める私。本当なら適正検査をするのが普通で、不適正属性を克服するために生涯鍛錬する魔術師が殆どだが、持論としては気合で何とかなるなら苦手とかなく全属性使えるんじゃね、というのが私の考えである。
この世界の魔法は完成形を想像しながら呪文を唱えて魔力を注ぐと発動する。だが、実は完成形の想像と魔力量の調節さえ間違わなければ発動するのだ。先入観は無くそうね。変に苦手意識を持つぐらいなら気楽にやろうぜ。
風属性は技の範囲が広がるから好きだ。爆風や吹雪を再現できるし、相手にバレずに攻撃出来る。あと空を飛べる。すごく気持ちがいいよ。
と、説明したら『空は飛べない』と断言されたが殿下は乗り気だった。やっぱり空は飛べないのか…。
「お嬢ちゃん。そんなに熱弁するなら一発見せて」
「嫌ですよ」
「僕も見たいなぁ」
「ええ…」
見せるって何を?爆風って範囲攻撃なんだけど。巻き込まれたいの?あっ、空を飛びたいのか。えー…他人に使ったら体がバラバラになっちゃうかも。透明な土台なら作れるけど。
私は難しい顔で魔法を唱える。おら、これでどうだ。
「はい、殿下。ここに乗って」
「見えないんだけど」
「あります。階段を上がる感じで」
「う、うん。…うん、セレス嬢ってこうやって浮いていたの?」
「違いますけど…」
殿下とベルドランさんが期待していたのと違うと冷たい目で見てくる。段差一段分浮いてるじゃん。なに、もっと高い方がお好きか。上昇させていくと殿下が悲鳴をあげる。
「待って降ろして怖いから無理無理無理」
「楽しいでしょ? やったね!」
屈んで丸くなる殿下を笑顔で眺めながらどんどん上昇させる。天高く昇るのを見送ってから、私はベルドランさんに向き直った。
「今日の練習は終わりです。解散しましょうか」
「待てお嬢ちゃん。放置はやめてあげて」
「あの状況から降りれるようになったら風属性も完璧ですよ」
「まず呪文を教えてやれって。じゃないと無理だぞ」
「あっ……殿下ならいけますよ! そう、天才の殿下ならね!」
「無理だって」
あのあと殿下を降ろしたら怒られた。ぷんぷんしていた。怒っても可愛いとか流石ヒロインだ。お詫びに真面目に風属性を教えるとすぐにできるようになった。才能がおありのようで良かったです。
鍛錬が終わったあと、私達は中庭でお茶を飲んでいた。ベンチでお茶を飲むんじゃなくてお茶会だ。私と殿下とベルドランさん、その他大勢と茶を嗜んでいた。本当ならテーブルに椅子、机の上にはお菓子を置いて紅茶を飲むのだが、人数が多すぎたので立食パーティみたいになっている。
行儀悪いと思うのですが殿下、そこの所はどうお考えで?
騎士達は殿下や私に集まるわけでなく、各々が飲んだり食べたりしている。大柄なお兄さんやお姉さんが可愛らしいお菓子を美味しそうに食べている光景は三度見するぐらい違和感がある。なんだよそんなに美味いか。お前ら可愛いな。
彼らは殿下が話に入っても過剰に畏まったり媚びたりせず普段と調子が変わらない。忠誠よりも仲間意識の方が強いようだ。ここが良かったとか悪かったとかアドバイスをしている。真剣な顔で話を聞いている殿下は彼らに色々と質問していた。真面目である。
一方、私は私でベルドランさんと世間話をしていた。殿下の練習のあとにストレス発散をした彼は大変ツヤツヤとしている。ここにいるメンバーの大半はベルドランさんに斬り倒された人達だ。私も叩き斬られそうになった。
刃を潰した剣が防御壁にめり込んだ時の恐怖ね。五重のうち三つ破られた。三重張れば六十人の攻撃に耐えられるのに…おかしい。攻撃力を限界突破して知性を捨てたのか?
私達の話題は専ら最近あった事件についてだ。ここ数ヶ月の間、法国と帝国の密偵が多く入ってきていたのに最近は大幅に減ったとの事。法国と帝国の仲が急激に悪くなったらしい。
そして法国内では次期法王候補同士の争いが勃発。神子が成人すると同時に選ばれた次期法王候補は法王になるので、現在神子の取り合いになっているらしい。だからって王国に逃げ込まないでよ迷惑だよ。
帝国では王位継承権第一位の王子の不在により、他の継承権保持者が反旗を翻す準備をしているのだとか。どうやら王位継承権第一位の王子はいわく付きで、他の王子達と仲が悪いらしい。うちの国の王子達の仲の良さが標準だと思っていたが違うみたいだ。そりゃそうか。
というか、どうするよ。他国荒れすぎじゃなかろうか。愛の力でどうこうできる話じゃないぞ、これ。どのルートにいっても片方が滅びそう。
「で、何故急にこんな話題を? 受験生の私には関係無いですよね?」
私はベルドランさんに問いかける。私が興味を示さない事をいいことに、他国の情報を流さないようにしていたお前らが突然言ってくるなんて裏があるとしか思えない。それに三国が集まる学園に入学予定の私に不穏な話題を提供するなんて、入学するなと言っているようなものではなかろうか。不安を煽るなんて性格が悪いな。
私の考えが見えていたのか、ベルドランさんは苦笑する。
「来年から入学だろ? 一応言っておこうと思ってな」
「はあ」
「そう睨むなって。ただの世間話だぞ。噂話は大好きだろ?」
別に好きじゃないけど…そういうことを言いたいんじゃないんだろうな。これを言うことで齎される結果を望んでいる。私主導で判断してほしい。ってことかな?
しかし、こんな話をした所で私が学校に行きたくなくなるだけじゃん。いや、今はすごく気不味いよ?けどルクシオと離れたいわけじゃないし、学校に行っても巻き込まれるのは確定だ。下手すりゃ死ぬからなぁ。ルクシオが幸せエンドを送るまで死ぬに死ねない。
……ってもしかして、私を学園に行くのを阻止するために言ったのか?もしかして…陛下、私に行ってほしくない?
「いやいやいや、そりゃないわ。だってあの陛下だよ?…けど入学しろって誰にも言われてないような気がする。普通ならお父さんが言ってくるはずなのに。入学しないなら殿下の勘違いも正さないと駄目であって、けど訂正されてなくて…あれ?」
「待て。まあ待て。誰も入学については言ってないだろ」
「だってベルドランさん。私、誰にも言われてないんですよ。上司に命令されてないし、お父さんに言われてない。それなのに受験勉強って名目の休暇がある。子供が進路を決めるんですか?ディーアは命令で行きましたよね?」
「……はははディーアは自立心のある子だなぁ」
ベルドランさん。そんなに目を逸らして言われても誤魔化せてませんよ。えー、じゃあ本当に行かなくてもいいの?悪役令嬢やらなくてもいいの?ゲーム崩壊してるじゃん。大丈夫?
「そうそう。明日、ハイルロイド邸に行ってくれないか?」
「家に? 何かしたっけ…?」
「お嬢ちゃんは家に帰るたびに問題を起こしているのか?」
「いえ、起こしてませんよ。巻き込まれるだけで」
「なるほど。問題が起きるんだな」
「そうです。ていうか、あからさまな話題逸らしやめましょう? 教えてくださいよ。ほら、全部噂話なんでしょ?」
「噂話に本気になるご令嬢にこれ以上提供するのはなぁ。嘘か本当か見抜けるようになったら教えてあげる」
「それ、見抜けてても教えてくれないやつですよね?今回は合ってますよね?!」
「さあ、どうだろう?」
困った顔で逃げるベルドランさんに詰め寄る。こ、こんな所で足の長さが難点になるのか…!どんどんひらく距離を走って追いかける。
すると突然目の前に複数人の男女が躍り出る。ベルドランさんがにやりと笑って言った。
「おっと、お嬢ちゃんは人気者だなぁ」
「えっ、ちょっと邪魔なんですけど!」
「殿下ー、俺と遊んでー」
「もう、ベルドラン。ちゃんと仕事してるの? そろそろ職場に戻りなよ」
「ごめんって。あとで真面目にするから」
ベルドランは団長らしからぬおどけた顔で逃げていく。私はどうしても肉壁をすり抜けられなくて、彼を見送るしかできなかった。くっそ。
まぁいい。明日、家に帰れば何かわかるか。絶対学園についての話だ。運が良ければ行かなくてもいいかもしれない。それに、ちょっと調べたいことも出来たしな。
私は気合を入れて、飛びかかる騎士達に立ち向かった。




