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悠久なる君へ






 時折視界に甦るのは、燃えるように赤く、そして黄金にも輝いて見えた大きな太陽。海を連想させ、人々の命を支え続けた、透き通るように青いナイル。どこまでも続くような茶色の砂漠。揺れて香りを漂わせた、地面を埋め尽くすヤグルマの色。


 いつか、私はそれらを全身に感じていた。その記憶の先に、出会った人々の姿が見える。はっきりとこの目に見えなくとも、私に手を差し伸べてくれた人たちの存在を私は未だに感じることができる。


「──弘子」


 呼ばれて静かに目を開けると、母が心配そうに私を覗き込んでいた。


「大丈夫?」


 遠い夢を、見ていた気がする。


「眠いのだったら我慢しないで寝なさい。いくら短かったとは言え、疲れてるんだから」


「……ううん、大丈夫」


 母にそう返して、胸の上に眠る小さな子に視線を落とした。白に近い、薄い水色の服に包まれた、私が産んだ子。

 生まれた夜を新生児室で過ごしたこの子は、私が朝食を食べ終わった後、母子同室で過ごすためについさっきこの個室へやって来た。初めての授乳を終え、それからすぐにまた寝てしまい、今では私の胸の上で静かな寝息を立てている。


「どちらかと言うと、父親似かしらね」


 母が生まれて間もないその子の顔を覗き込み、眉を下げて微笑む。


「そうね……どちらかというと」


 この子が生まれたのは午前2時すぎ。夜に陣痛が来て、両親に連れられ、カイロ南部にある病院での出産だった。


「目が、あの人と同じ」


 産んだ後すぐに抱かせてもらって、その時うっすらと見えた瞳が父親と同じ淡褐色だった。髪は黒に近いからここは私似だろうか。

 小さな口元をきゅっと閉じて、時折もぐもぐと動かしては小さな手を私に伸ばす。暖かく小さな存在が愛おしくてもっと強く抱き締めてしまいたいと思いつつも、あまりに小さくてどこまで力を入れていいか分からなかった。


「お母さんにも抱かせてちょうだい」


 頷いて伸ばされた腕にその子を渡すと、母の表情がますます緩まる。


「私もお祖母ちゃんねえ」


 そう言いながらも、嬉しそうに顔が綻んでいる。


「弘子もこんな感じだったのよ。生まれた時、この子より一回り小さくて。ちゃんと大きくなるのかしらって心配したくらい。髪もちょっとしかなくて、女の子なのにってお父さんはそこを一番心配してた」


 母の腕の中に眠る子を見やって、それから窓を見た。明るい朝の光が零れて、窓の影を床に落としている。

 とても静かな気持ちだった。今までお腹にいたのに、視界を動かせば何とも愛おしい存在が隣にいることに不思議と驚きに満ちている。驚きと言っても新鮮で、穏やかなもの。感じていて心地の良いものだった。


「お父さんは?」


 母と一緒に病院に来てくれたのに、私が起きた頃から姿が無い。何か買い物にでも出ているのかと思いきや、なかなか戻ってこないからそうでもないようだ。


「弘子が寝てる間に、空港に迎えに行ったわ」


「彼を?」


 思わず顔を上げて聞き返してしまった。母は楽しそうにくすくす笑っている。


「そう。早朝に電話があって、最初に発つ便で急遽カイロに戻ることにしたって」


「帰ってくるの?予定があんなにいっぱいだったのに」


「多分そろそろ着くとは思うんだけど」


 彼の帰りが思ったより早い。もしかしたら、全部投げ出して来たんじゃないかとぼんやりと思ったら、その姿がありありと思い浮かんで自然と口元が緩んでしまう。仕事をおろそかにされては困るが、一刻も早く彼にこの子を会わせたい私にとっては嬉しい知らせでもあった。


「陣痛が始まった時も電話で知らせておいたけれど、本当に心配性なのね。それこそ今にも飛んでくるような慌て様だったから笑っちゃった。電話口でも顔が真っ青になったのが分かるくらいだったのよ」


 私が分娩室に入った時とこの子が生まれた直後、彼に電話で知らせたという母は、困ったように笑いながら自分の胸から私の腕の中へと生まれた子をそっと渡してくれた。


「母子ともに健康で何より」


 安心すると同時に、この子を見ていると、今までに関わってきた人たちの顔が川のように脳裏を静かに横切って流れていく。

 たくさんのことがあった。私の決断は、多くの人に支えられてこそ成し得たものだ。


「色んな人に連絡しなくちゃ……叔母さんにも、香澄ちゃんにも、恭介さんにも。それからメアリーにも。メアリーの女の子とは2歳差ね」


 心配をかけてしまった人々へ。お世話になった人たちへ。

 私は今、幸せなのだと。小さな可愛らしい子を無事出産したのだと。


 見飽きない我が子の顔を見ていると、母がふと手を伸ばして私の髪を撫でてくれた。


「弘子」


 染み入るように呼ばれて母を見ると、優しい笑みがそこにある。


「頑張ったわね」


 瞼を伏せて、深く呼吸する。私の胸の呼吸と一緒にその子もゆっくり上下した。

 腕にある温かな重みを感じて、片手でその子のまだ少ない黒髪を掌に包むように優しく撫でながら、母の言葉を噛みしめる。

 ここまで来るのにどれだけ悩んだだろう。何度も立ち止まり、悩み繰り返し、ようやく結婚をしてこの子を産むまでに本当に色んなことがあった。悩みに悩んで、全部を乗り越えて、彼の手を取って、こうした今がある。その事実に自然と涙が溢れた。

 私の胸の上で小さく懸命に息をしている私の子。私が産んだ。私が、この子を産んだ。遠い昔にも同じ感動を味わった気がする。

 おぼろげな記憶は、霧に包まれてはっきりと見えることはない、胸に残る光だ。


「……ああ、来た」


 廊下の方から駆ける足音が聞こえて来て、母が椅子から立ち上がった。ドアの方まで行って、そっと手をかけて開けると、まるで時を見計らったかのように誰かがドアの前に辿り着いたところだった。


「弘子は!子供は……!」


 焦げ茶の短い髪が、母の向こうに見える。


「落ち着いて。もう生まれた後だから慌てる必要なんてないのよ」


 母は切羽詰まった様子の相手に、悠長にその人の様子を見て静かにと自分の口の前に人差し指を当てた。


「お産も2時間半で短かったの。だから大丈夫。びっくりするくらいの安産よ」


 病室の入口で笑いながら母が来客を宥めている。ようやく「どうぞ」と通された人の姿に、穏やかだったはずの私の胸が高鳴った。


「あなた」


「弘子……!」


 駆けるようにこちらまで来ると、彼は腕を伸ばして私を抱き寄せ、近づいた私の額にキスをした。私の髪を撫で、頬を包み、大きく息をついてもう一度私を抱き締める。


「……お帰りなさい」


 彼の吐息が頬にかかる。肩口に顔が埋まって、目を閉じると彼の汗の匂いがした。縋るようにある彼の頭にいつもなら回す私の手は、代わりにこの子を抱く力を強める。


「……ねえ、あなた」


 彼の呼吸が徐々に整っていくのを感じながら、ゆっくりと瞼を開けてその人を見つめる。身体を離して、愛おしい重みのある腕を少しばかり持ち上げた。


「生まれたのよ」


 頭同士を離してようやく、私と彼の間で窮屈そうにいる小さな存在に彼の淡褐色の瞳が向いた。映した瞳が大きく見開かれ、やがて緩やかに細められる。


 ああ、やっぱり。

 この子の目はこの人に似たのだ。


「気を付けて」


 彼はため息にも似た声を零して、泣きそうなほどに顔を紅潮させたまま私からそっとその子を受け取り、ベッドのスペースに腰を下ろした。ぎゅっと抱きしめてしまいそうな力を必死に抑えて、壊れそうなほどに小さいその子の額にキスをした。しみじみと感嘆を漏らしては、生まれて間もない我が子を見つめ、そっと抱き締める。小さな子を抱き締めている姿にどうしようもなく胸が暖かくなり、私は彼の肩に触れてまだ重たい身を寄せてもたれた。


「男の子か」


 彼もまた頭を動かし、頬を私の頭頂に軽く乗せる。


「ええ」


 骨ばった褐色の手に、生まれたばかりの子はとても小さく見えた。小さくて、それでもここで一番輝いているようにも。

 ふと顔を上げた先の彼の横顔を見たら、後ろ髪がはねているのを見つけて、手を伸ばして何度も撫でるのだけれどまったく直らなくて笑ってしまう。相変わらず、固い髪だ。髪も整えずに飛行機に飛び乗ってくれたのだと思ったら愛おしさが込み上げた。


「まさか、あなたが帰ってくる前に生まれるなんて」


 彼は北欧で行われる学会に出席しなければならなかった。妊娠が分かってから何度か家に寄ってくれていた母が、彼の留守中は私の傍にいてくれることになっていたし、まだ予定日まで1週間あるから生まれないだろうと言い聞かせ、私の傍に残ると言い張っていた彼を空港へのタクシーに乗せて見送ったものの、結局帰ってくる前に生まれてしまったのだから仕方がない。


「だから行かないと言ったんだ」


「でも行かないわけにはいかなかったでしょう?」


 それはそうだがと、口を尖らせた顔で彼は私を見る。


「出張さえなければ立ち会えた」


 悔しげに言う彼に、そうね、と笑いながら再び彼の傍に身を寄せて我が子を眺めた。彼の肩に触れ、ぬくもりに触れ、帰って来てくれたことへの自分の安堵が露わになる。私はこの人に会いたかったのだ、実は不安で堪らなかったのだと、じんわりと沁みる気持ちを感じながら、瞼を伏せた。


「お騒がせしました」


 彼の声に視線を上げると、視線の先に両親が何とも言えない優しい眼差しをこちらに注いでいた。


「お父さんもありがとう」


 いいや、と父は母の隣に座って笑っている。

 すると、突然彼が思い出したように立ち上がって私を振り返った。


「ただ帰ってくるのは癪だったから、お義父さんと色々仕入れてきた」


 私にその子を渡すと、父と一緒にドアの方に置いていた紙袋の方へと向かった。

 見覚えのない大きい紙袋が4つも並んでいる。二人が持ってきたもののようだ。


「何か買ってきたの?」


 尋ねると、父は大らかに声を立てた。


「あまりに慌ててたから落ち着きもかねて買いに行って来たんだ。空港で落ち合ったんだけど、最初が凄かった。気が動転するってこのことを言うんだって思ったよ」


 父の視線の先にいる彼は照れくさげに肩を竦めて首を振った。父が迎えに行って宥めてくれていなかったら、この人はもっと慌てていたのだろうか。


「弘子、ほら」


 当の彼は私の前に袋を持ってくると、見せるように広げて屈んだまま中身の説明をし始めた。


「これが服で……服は相談して7着買っておいた。それからこれが涎かけ……あとはおもちゃ。おもちゃはお義父さんのセレクトだ。オムツはまだ車に積んである」


 全部子供のためのものばかり。服などは前もって買っていたのに、本当にがっつり買って来たのだと苦笑してしまう。その隣で父が自分も選ぶのを手伝ったのだと胸を張った。確かに父のセンスだと思われるエジプト文明らしい人形がおもちゃのところに並んでいる。母も傍に寄って中身を確認するなり、取り出した小さな服を私に見せながらかわいいかわいいと繰り返していた。男二人でベビー用品を漁っている姿を想像したらおかしくて、母と一緒に思わず笑ってしまう。何だかんだ言って、父と彼は仲が良いのだ。


「あと、あっちにも電話してきた」


 袋を閉じつつ、それを横の壁に寄せて彼が私を見上げた。


「お義父さまに?」


 彼の実家はイギリスにあり、そこに父親とまだ学生の弟がいる。


「週末にでも飛行機に飛び乗って弟と一緒に初孫を見に来るらしい。ひどく喜んでいた」


「あら、なら掃除しないと!」


 母が冗談気味に口元に手を当てると、彼は「お構いなく」と肩を揺らす。その間に父は私の前に進んで、私の腕の中の子を何とも言えない目で覗いていた。小さな頭を恐る恐る撫でているものだから、父に抱かせようとその子を胸から離して促した。


「抱いてあげて。お父さんの孫よ」


 何度か目を瞬かせたお父さんは、ズボンで両手をごしごし拭って、それからその子を受け取った。


「いやあ、弘子が生まれた頃を思い出すよ。小さいなあ、おじいちゃんだよ、こんにちは」


 小さい小さいと連呼しながら涙ぐむものだから、母がそうねと頷きつつ、面白そうにくすくす肩を揺らしている。部屋の中に、心地よい静かな幸福が舞い降りていた。


「名前はどうするの?ミドルとかもあるでしょう?」


 しばらくして自分の腕に戻って来た子を、なんて愛おしいのだろうと、自分の腕の中に眺めていると、母が父の傍で微笑みながら尋ねてきた。

 この子の父親である彼の生まれがイギリスで、彼自身もエジプト人であった祖父のミドルを受け継いでいるから、それを継ぐ名付けもある。ミドルに関してはもう少し考えてから。ただ。


「ファーストだけは、もう決めているの」


 いいのよね、と目で尋ねると、隣に座る彼が深く頷いた。

 腕の中の子を見つめ、唇を寄せて、胸にしまいこんできた名を描く。


「よしき」


 何故だろう、とても胸が震えるのは。


「良い樹と書いて、良樹」


 母が、はっとした顔をした。やっぱり、母は何か知っているのかもしれない。私の知らないこと。思い出しては、淡く消えてしまったものを。

 私も尋ねないし、母も自ら語ることは無い。語って、聞くだけで集束するようなものではないと分かっているから。

 しかし、ここで今、この名を音にして世界に落とした瞬間、私たちの中で失われていたものがまた戻ってきたように思えた。

 記憶の欠片だ。時折、何かの拍子に風に乗って私に舞い戻ってくる。こうして生きていく時の端々で、私は過去の記憶たちと出逢っていくのだろう。心に満ちるそれを、私は胸に抱いて生きていきたい。

 母はそれでいいのかと尋ねるように彼を見つめると、彼は微笑んで頷いた。


「検診でこの子の顔を見た時から、弘子が決めていたんです」


 最初に見えたのは横顔だった。超音波検診で目の前に出された映像でどこか鼻かを教えてもらったら、あとは浮き出るようにして自分のお腹に息づいている子の顔が分かった。我が子の姿を初めて目にした時、突然降ってきたかのように思いついた名が、よしき。


 未だに思い出せない記憶の奥底。一度現れて、形を捉えることなくいなくなってしまった影。そこにずっと隠されていた何かが白黒の写真を目にした途端に私の中から込み上げて、この名を付けたいと直感した。

 名を呼んだ時、誰かの影をまとい、私の中に現れていた、あたたかくて優しい何か。霧の向こうにいるようでありながら、しっかりと感じ取ることができる存在。数えきれない記憶の螺旋を越えた先に、いつも誰かがいるのだ。


「あなたは、良樹」


 これがあなたの名。これからを生きていく、あなたの名前。

 響きだけではない。しっかり意味も考えた。


「何百年も人々を見守る大樹のように、大きな根を張って、人と人を繋ぐ素敵な人になるように。……愛し、愛される人になるように」


 そっと小さな頬を撫でたら、小さな瞼が僅かに動いて淡褐色を柔らかく光らせた。むずかり、幼い声が病室に響く。隣に座った彼が私を抱き寄せ、腕にいる子を覗いて優しく笑った。

 何もかもが、温かくて幸せだった。












 人は、探し続けているのだろう。

 変わらぬ愛を。


 何度も生まれ変わって繰り返す時間への旅に、失った記憶を辿り、互いに無意識にその相手を、その名残を探している。


 巡り会い、そして再び別の時代で、別の名でまた共に生きよう。

 今という同じ時を刻む者として。


 3300年。

 いいえ。もっと遥か遠い記憶と共に。


 この時代でこの身が絶えようと、悠久と流れる時の旅を私は続けよう。

 また、出逢いに行くために。


 遠い昔に温かな手で支えてくれた、悠久なる人々へ。

 掛け替えのない、悠久なるあなたへ。


 そして。

 愛して止まない、悠久なる君へ。






 こんにちは。『悠久なる君へ』を書かせていただきました雛子です。


 この作品は、私が学生時代に昔で言うケータイ小説として書いたものを、なろうさんで加筆修正を行って書かせて頂いたものになります。学生最後の年に投稿し始めて、社会人になり、ここで完結させるまでにこんなに年数がかかってしまいました……びっくり。この長い連載を追いかけて下さった皆様、本当にありがとうございました。最初のiらんど版とは字数や表現の制限により書けなかった部分も追加しておりますので、のびのび書くことが出来たな、と自分としてはかなり満足しております。


 以前から何度か繰り返し述べさせて頂いていることなのですが、この作品を書き始めた経緯をこちらでもお話しさせてください。身の上話になってしまいますが……。

 私は小学生の時から古代エジプトという文明が好きで、博物館の特別展には東北から出て観に行ったり、テレビ番組でエジプト関連がやるとなればペンとメモを持ってスタンバイしたり、専門知識を持つ方々の講演会によく出没したりする人間でした。これは今でもあまり変わりません(笑)強いて言うのであれば、ペンとメモがパソコンに変わったくらいです。クラウド管理しているのでスマホでも見られるのが便利。なんて素晴らしい。むしろ東京に出て博物館に行く回数は今が最高回数を記録しています。

 こんなにも歴史に興味を持つようになったのはおそらく歴史好きの両親の影響であると考えています。いつから好きだったとかはあまり覚えておらず、いつも傍には歴史の本が山積みにあったり、両親に連れられ、エジプトやインダス、中国、メソポタミア、ポンペイ、マヤなど多くの展覧会に行ったりしました。何よりも印象的で、初めてぼんやりとしていた好奇心が凄まじい興味に変わった瞬間が、小学3年生の時に東京国立博物館で行われたエジプト展での、最初に展示されていたイシス像を目にした時だと記憶しています。

 小学校高学年で考古学者が職業のひとつであることを知り、将来は絶対にエジプト考古学者になるんだと息巻いておりました。しかし高校生になった私は、考古学という学問でお金を稼ぐことが難しいという親戚一族からの反対を受けたのと、発掘をしたいかと言われるとそうでもない(ただ知りたいだけ)ことに気付いたため、とりあえず学ぶためにはお金が必要だから、お金を稼げるように資格のとれる道に進もうということで、適正のあった理系に進み、今はばりばりの医療関係で働いています(稼いだお金は完全なる趣味に回しております笑)。ただその中で自分の持っているこの知識や好奇心をどこかに形にしたいと思い、書き始めたのがこの「悠久なる君へ」でした。

 古代エジプトのあり方であったり、敵国ヒッタイトであったり、数千年前の人々の暮らしや思想、それに対する理解や疑問を、現代人であった弘子や良樹を通して持っていただければと思い、現代人を主人公としたタイムスリップという形をとらせて頂きました。ツタンカーメンや夫を失った後のアンケセナーメンという人物、そして私自身が小学生の頃に感動した古代エジプト人が描き、そうであると信じ続けた独特な死生観。これらを重点的に最後まで書き上げられたことに、もう何と言ったらいいか分からないほどの達成感ばかりが溢れています。

 この物語は歴史ファンタジーという分類になりますが、できるだけ史実を織り交ぜて進めていこうとたくさんの参考文献・資料にお世話になりました。参考文献などはホームページに掲載させて頂いています。素晴らしい文献が揃っていますので、是非ご参照ください。

 勿論、私が創作した登場人物もいるのですが、ツタンカーメン、アンケセナーメン、アクエンアテン、スメンクカーラー、ラムセス、ホルエムヘブ、イパイ、ネフェルティティ、ナクトミン、ムトノメジット、カネフェル、アイ、シュッピルリウマ、ヒンティ、ザナンザ、ムルシリ……等、彼らは3300年前に実在したとされる人々です。彼らを題材に史実と言われているものを土台に私なりに解釈し、ファンタジーを混ぜて書き進めて参りました。曖昧な部分も多い時代ですので、かなり脚色のしやすさはあったと思います。調べている間にも自分の無知にも気づかされ、多くのことを学び、何か大きなものを得られた、また深くエジプトや歴史の魅力を知ることができた、本当に良い機会だったと感じています。

 先程述べた通り、この作品で取り上げている内容は、説として上がっているものの中から私が勝手に一説を選んで繋ぎ合わせたものですので、決して事実そのままではありません。医学の知識につきましても、多くの本で調べて書かせていただいたものですが、医学は日々進歩していますし、参考にした資料自体もやや古い物であること、私がその分野に関して未熟すぎることなども踏まえ、若干異なる箇所もあるかと思われますのでご了承ください。

 それでも、読んでくださったことで皆様が古代の人々の息吹を近くで感じることができたなら幸せです。博物館という場所の魅力を少しでも感じてくださったなら書いた甲斐が十分にあるというものです。


 私にとって、歴史考古学は本当に素晴らしいものです。視点を変え、世界を広げてくれるものだと考えています。古ければ古いほどその魅力は増すばかりで、社会人になった今でもエジプト史が好きだと話すと「そんな昔のことより未来のことを目を向けた方が良い」と言われたりもしますが、遙か遠くに生きた人々を近くで感じられる瞬間がある、繋がれる瞬間がある、それが濃厚に分かる古代エジプト史がどうしようもなく惹かれて止みません。

 日本の縄文時代や古墳時代、それこそ人気を集める戦国時代や幕末も勿論、同じようにそれらを感じることができるのですが、博物館で白骨化したミイラを目にした時や、その死生観や遺跡を目の当たりにした時、誰かが懸命に書いた書簡等と対面した時、なんとも言えない感動が沸き上がるのです。言葉で表現するのは難しいのですが、突如世界が果てもなく広がった気分になり、私という人間が如何に小さいかを知って驚かされるのです。

 考古学は人の学問だと言われます。本当にその通りだと思います。彼らを知りたい、遙か遠くで懸命に生きた人々の生き様を知りたい。博物館などで、ガラスケース越しに遠い昔誰かが書いたぼろぼろの文章を読むことができた時、それを書いた、遠い昔に生きた人が目の前にぼんやりと白い影として現れているようなあの感覚があるのです。それが貯まらなく好きです。その人のことを私は知りたい。知られる限りのことを、知りたい。ただただそれだけなのです。それだけが私を動かす時があります。


 何故歴史を学ぶのか、数千年も前に生きていた人々の軌跡を解明しようとするのか、と言われると明確な答えは出せません。私の高校時代の世界史の先生は「過ちを繰り返さないためだ」と言いました。なるほどと思う反面、戦争の無かった時代もあり、決して過ちばかりではないのも歴史だと思うでそれが正解だとは言い切れない。

 ただ、私が読んだ「イリヤッド」という漫画で、「何故人類最古の文明を探そうとするのか」という問いに対して、「我々はどこから来て、どこへ行くのか。猿と遺伝子が僅かしか違わない我々は何者なのか。世界最古の文明を解き明かした時、我々は我々が少し分かるような気がするからだ」と答えるシーンがあります。これを読んだとき、私もそうなのだと思いました。私の歴史を知りたい理由はきっとこちらの方が近いのです。

 我々という存在は過去があってこそ生まれてきたものであって、その過去を知ることで最終的には自分という人間を知る手がかりになる気がするのです。すべては繋がっているのだから、私と遠くの昔に生きた彼らは繋がっているのだと、感じるのです。何故、歴史を学ぶのかと問われたら、はっきりとした答えにはなりませんが、私はよく、人間という存在を理解するためなのではないだろうかと答えています。


 文系の歴史学から進むのが王道と考えられている考古学ですが、決して道は一本ではありません。考古学は多くの学問、特に理系に大きく関わっています。発券された木などからそれが製作された年代が測定できる炭素年代測定器、それからツタンカーメン一族のDNAを解き明かした検査機関などはすべて理系で成り立つもので、理系出身者によって支えられています。ツタンカーメンの死因に関して一番最初に知ることができるのはその画像を目にした医師ですし、それより先にその画像を見ることができるのは診療放射線技師(厳密には生きた人への照射ではないので一般でも出来ますが、撮影に関する技術や知識を求めるのならば技師さんかなあ)だったりします。理系からも考古学は行けます。むしろ考古学は理系なのではないかと思うくらいです。


 この作品で、エジプト好きが増えてくれたら本望です。この物語に出てきた通り、ツタンカーメンは勇猛果敢だったかもしれない、逆によく本で書かれるとおり片足を引きずってあまり外にも出られなかったひ弱な青年だったかも知れない。ただ、KV62から出てきた埋葬品を見る限り、ツタンカーメンとアンケセナーメンは仲が良かったことは確かだと思うのです。ツタンカーメンの死後にアンケセナーメンが消息不明になり、彼女が何かしらに巻き込まれたのだということも。年若い二人が国の頂として立っていたということも、ヤグルマギクという青い花があったことも、また事実です。

 タイムマシンが発明されない限り、真実はどうしたって分かりませんが、3300年前に強く生きていた人々がいる。そこで何かを考え、悩み、決断し、誰かを愛したということが現代と変わらずあったはずです。

 そんな想像に一緒に思いを馳せてくれる人がいらっしゃったら是非お声を掛けて下さいね(笑)


 多くの点で考察が足りない点であったり、ここのこのキャラクターの言動が気にくわないなどはきっと多くあったと思います。それでも最後まで読み続けて下さった皆様に感謝申し上げます。


 また、こちらの悠久なる君へを製本して販売を予定しておりますので、興味のある方はホームページで詳細をご確認下さい。まだ販売時期は未定ですが、原稿は書き直している最中です(笑)


 今まで本当にありがとうございました。



雛子

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