そして、少し。
「お帰り、氷美」
「…朔さん…起きたんですか」
ホテルに帰ると、朔、萌黄が玄関のところで待っていた。
もう帰らなければいけないということが実感できた。
「もちろんだ。…まぁ、萌黄は眠そうだが…」
「眠くなんて無いわ!ただ…私は…そう、目がかゆいのよ!」
しきりに目をこする萌黄。
目がかゆいということにしておこう。
「会えたかい、氷美?」
唐突に、朔が聞いた。
誰に、と彼は聞かない。
氷美も、あえて聞きはしなかった。
誰に?
麗音に。そして、氷奈に。
その2人であると思った。
「はい。元気でした…すごく」
「そっか」
朔が頷くのを見て、氷美は胸元のペンダントを握り締めた。
ほのかに暖かく感じる。
ココにある感情が、ずっと自分を守ってくれていたのだと、思った。
暴走の理由かどうかは知らない。
何があったのかわからないけれど、それでも、もう大丈夫だと、思うことが出来た。
「氷美」
声をかけられる。
我に返ると、みんな先に進んでいて置いてけぼりを食うところだった。
慌てて後を追いかける。
「ぅおっ?」
途中で何かに躓いて転びそうになった。
その時の悲鳴はあまりにも女子という感じはしなかったが、自分らしいといえば自分らしいと思う。
頭から転倒するのを、後ろ襟を捕まれ、なんとか防がれた。
が、
「…っ…ちょ…」
首が絞まる。
「あ、悪い」
襟を持っていたのは零のようだ。
零は慌てたように襟をはなした。
バランスを崩した氷美は、結局転倒。
何とも間抜けな転倒であった。
地面に直接うつぶせで寝たようになる。
「あ、…」
零が気まずそうに声を漏らす。
寝返りを打って零を恨めしげに睨むと、零は手を伸ばした。
「悪い。…立つか?」
変な問いだが、立たせようとしてくれるのがわかった。
氷美はその手を取り、自分側に引っ張る。
「おわっ?」
零は力一杯手を引っ張られ、さっきの氷美のようにバランスを崩した。
地面に転がる。
額をぶつけたようで、地響きのような悲鳴が聞こえてくる。
「ぐぉぉぉぉぉぉ…」
それを見た氷美は、少しだけ胸が空く思いだった。
「何をしてるんだい、君たちは…」
さらに進んでいた朔が苦笑しながら戻ってくる。
零が上体を起こし、照れくさそうに笑った。
「ちょっと、零…氷美を転ばせたの?私の氷美を…!」
萌黄も戻ってきて、わなわなと震え出す。
「ちょ、萌黄落ち着いて」
「でも…」
「大丈夫だから。ね?」
氷美がなんとかなだめると、萌黄は不満そうな顔をしながら口を閉じた。
「っせ…」
零が立ち上がる。
ぱんぱんと土を払うのを呆然と見ていた氷美は、もう一度自分の前に手を差し出されたのを見て目を見はった。
さっきと同じで零の手だ。
転ばされたというのにまた手を差し出す意味がわからない。
氷美が眉をひそめていると、零が笑った。
「帰ろうぜ、氷美」
氷美は面食らって…その手を取った。
一も二もなく氷美が手を取ったことに驚いたのか、零が少しだけ目を見はる。
今度はちゃんと立たせて貰って、氷美は笑った。
「帰ろっか」
暴走編完結。
『そして、少し。』平和な日です。