『ウラノスの血』欺瞞の地上
『ウラノスの血』欺瞞の地上
仄暗い洞窟の出口から、まばゆいばかりの陽光が差し込んでいた。
アルカがその光の中に足を踏み入れた瞬間、肌を焼くような強烈な熱波と、どこか甘ったるい花の香りが鼻腔を突いた。
地下の湿った泥の匂いに慣れていた彼にとって、地上の空気はあまりにも濃厚で、そして どこか 狂気を孕んでいるように感じられた。
「まぶしい……。これが、世界なのか……」
アルカは思わず右腕で顔を覆った。
指の隙間から覗く空は、どこまでも高く、深い青色をしている。
その青さを見た瞬間、彼の胸の奥で、ドクンと 激しい 鼓動が跳ねた。
憎い。見上げるだけで、吐き気がするほどの 激しい 嫌悪感が 込み上げてくる。
天空の王ウラノスの血が、かつて己の領土であったその青を拒絶し、激しく 怒り狂って いるのだ。
アルカは 自分の胸を 強く かきむしり、その衝動を 必死に 抑え込んだ。
爪が皮膚に食い込み、じわりと 赤い血が 浮かび上がる。
「おい、お前。見ない顔だな。どこから紛れ込んできた?」
突然、頭上から 傲慢な 声が降ってきた。
アルカが 驚いて 顔を上げると、そこには美しい黄金の鎧を身にまとった男が、宙に浮いた状態で彼を見下ろしていた。
男の背中からは、純白の翼が 生えている。
その瞳は冷酷で、人間を虫ケラか何かのように 見下す 光を宿していた。
神々の末端に連なる者、あるいはオリンポスに仕える使者だろう。
男からは、洗練されているが、同時に 鼻持ちならない 強い神気が 漂ってくる。
「私は……アルカ。大地の底から来た」
アルカは 掠れた 声で答えた。
地上のまばゆさに 目が眩み、まだ 上手く 身体が動かない。
膝が わずかに 震え、地面の草を踏みしめる 感触だけが、彼を 現実へと 繋ぎ止めていた。
「大地の底だと? ふん、這い出てきた蟲か。だが、その髪……そしてその不浄な気配。お前、ただの人間ではないな?」
翼を持つ男は 訝しげに 眉をひそめると、音もなく 地上に 降り立った。
彼が草を踏むたび、足元から 清らかな 水のせせらぎのような 音が響く。
しかし、その美しさの裏にある 圧倒的な 威圧感に、アルカの皮膚は 粟立った。
危険だ、と 彼の本能が 警鐘を鳴らしている。
「何者だと 聞いている。オリンポスの法に従わぬ者は、この場で 処刑する のみだ」
男は 腰の剣に 手をかけた。
シャリン、と 澄んだ 金属音が、静かな 野原に 響き渡る。
その音は、アルカの耳の奥に潜む「記憶」を 激しく 刺激した。
かつて、これと同じように 美しく 冷徹な 神々が、自らの父を 寄ってたかって 惨殺したのだ。
アルカの視界が、一瞬で 真っ赤に 染まった。
恐怖は、一瞬にして 凄まじい 怒りへと 変貌する。
「法だと……? お前たちの 決めた 勝手な ルールなど、知るものか!」
アルカは 吠えた。
彼の叫びとともに、足元の草花が 一瞬で 黒く 焦げ付き、周囲の空気が メラメラと 歪み始める。
彼の身体から 溢れ出た 赤い神気が、陽光さえも 侵食していく。
「ほう、その不吉な赤い力……。まさか、かつて 粛清された 古き眷属の 生き残りか!」
男の目が 鋭く 吊り上がった。
男は 凄まじい 速度で 踏み込み、手にした剣を アルカの首筋へと 振り下ろした。
風を切る 鋭い 音。
死が 目の前に 迫る。
しかし、アルカの身体は、彼自身の 意志よりも 早く 反応していた。
「おおおおお!」
アルカは 左腕を 突き出し、剥き出しの 前腕で その剣刃を 受け止めた。
ギギギ、と 鈍い 摩擦音が響き、火花が 飛び散る。
剣は アルカの皮膚を 浅く 切り裂いたが、それ以上は 進まなかった。
傷口から 流れ出た 彼の血が、男の 美しい 剣を じゅうじゅうと 腐食させ始めたからだ。
「何だと!? 神の刃を 溶かす 血だと……!? お前、一体 どんな 呪いを 宿している!」
男は 驚愕し、慌てて 剣を引き抜こうとした。
しかし、アルカの右拳は、すでに 男の 眼前へと 迫っていた。
ウラノスの血が 激しく 沸騰し、彼の拳に 禍々しい 紅蓮の炎を 纏わせる。
空気を 爆裂させる ような 一撃が、男の 美しい 鎧の胸当てに 炸裂した。
ドグォォン!
激しい 衝撃波が 吹き荒れ、周囲の木々が 派手に なぎ倒された。
男は 悲鳴を上げる 暇もなく、何十メートルも 後方へと 吹き飛び、地面を 激しく バウンドしながら 転がっていった。
黄金の鎧は 無惨に 砕け散り、純白の翼は 泥と 血に 汚れている。
「ガハッ……、あ、あり得ん……。この私が、このような 泥臭い 異形に……」
男は 口から 大量の 血を吐き出しながら、信じられない という 目で アルカを 睨みつけた。
その目に 宿っていた 傲慢さは完全に消え失せ、今は 濃厚な 死への 恐怖だけが 張り付いている。
アルカは 息を 荒く しながら、ゆっくりと 男に 近づいていった。
一歩 歩くたびに、自分の 拳から 滴り落ちる 返り血が、地面の草を 枯らしていくのが わかる。
男を 倒したことに 歓喜はなかった。
あるのは、ただ、自分の 手が 汚れてしまった という 強い 嫌悪感と、この地上の すべてが 自分を 拒絶している という 孤独感だけだった。
「言ったはずだ。私は アルカ。お前たちの 神話など、壊しに 来たわけではない……」
アルカは 倒れた 男を 見下ろし、冷たく 言い放った。
しかし、男は 恐怖に 狂ったように 首を 振った。
「狂人め……! オリンポスが……、ゼウス様が、お前を 決して 許しはしない! 神々の 怒りに 焼かれて 死ぬがいい!」
男は 最後の 力を 振り絞って 叫ぶと、そのまま 光の 粒子となって 消え去った。
あとに 残されたのは、激しく 荒らされた 地面と、焦げ茶色に 変色した 草木だけだった。
アルカは ぽつんと、静まり返った 野原に 立ち尽くした。
見上げた 空は、変わらず 青く、冷ややかに 彼を 見下ろしている。
歓迎など されていない。
どこへ 行こうとも、この血が 流れる限り、戦いは どこまでも 追いかけてくるのだ。
「どこまでも 来るがいい……。すべて 焼き尽くして やる」
アルカは 拳を 強く 握り締め、誰もいない 荒野へと、再び 歩みを進めた。
彼の心に 宿る 炎は、地上の 光よりも 遥かに 熱く、そして 暗く 燃えていた。




