トリニティ帝国へ ~前編~
「ハァ、すごいっすねぇ。」
「ここは、こーえきのかなめ?だから栄えてるって、じぃじが言ってたよ。」
感嘆の声を上げるリィズに対し、少し自慢げにそう話すリノア。
ここはアガルタ城から東にある国境の街、アルティア。
目の前にある大河が、トリニティ帝国との国境となっていて、互いの国を繋ぐのは、両国の間に掛けられた大橋のみ。
人・物・金、全てが、アルティア及び対岸のセレスの街に街に一旦集まり、互いの街を通ってそれぞれの国内へと広まっていく。
これで栄えていない方がおかしい、と言うものだ。
さらに言えば、この橋を架けるのに、両国が膨大な資金と時間、資材と人材を掛けているため、両街で争いを起こすのは暗黙の了解で禁止されており、両街も中立と言う立場を貫いているというのも、街の発展に一役かっていることだろう。
「それで、今夜はここで泊まるって事でいいんだよね?」
食べ物の屋台に、ふらふらーっと釣られそうになるリノアを、カナミがその手を捕まえ押し止めながら聞いてくる。
「あぁ、どうせ手続きやなんだと言って、2~3日はここで足止めを食らいそうだからな。手続きと並行して、ギルドで向こうに行く依頼が無いかどうか探そうと思っている。」
ここに来る前に、俺達は冒険者登録をしておいた。
冒険者であれば、特権として各国への移動に余計な手間がかからないと言うのが大きな理由だが、単純に冒険者と言う立場が懐かしかったと言うのが本音だったりする。
本来なら登録したての、新人冒険者はFランクから始め、コツコツと実績を積み上げて、ランクアップしていくものだ。
だがそれだと、国外でも自由に活動できる、Dランクに上がるまでに時間がかかり過ぎる。
なので、少しだけ『裏技』を使って最初からDランクとして登録した。
ちなみに『裏技』と言っても、大した事じゃなく、ギルドで絡んできたDランク以上の冒険者を数人ボコっただけだ。
その際に、ギルドの職員に、こいつらを倒せばDランクとして認めると言質を取ったうえで、だ。
まぁ、カナミたちを連れて行けば、絡まれるのは目に見えていたし、要は『テンプレ』という奴だ。
どこの世界でも、こう言う「お約束」を外さない奴はいるからな。
「そう言うわけで、俺はギルドに行ってくるから、お前らは適当にぶらついたら、宿を取ってそこで待っててくれ……リノアも限界みたいだしな。」
屋台に釘付けになっているリノアを見ながらそう告げる。
「ウン、分かった。適当に屋台をぶらついてから宿に行くよ。宿は、あそこの『潮騒の凪』でいい?」
カナミが、近くに見える宿の看板を指さす。
「あぁ、構わない。」
一見したところ賑わっているし、何の問題もなさそうなので、そう答える。
「じゃぁ、センパイも気を付けてね。」
そう言って手を振るカナミに背を向けて、ギルドに向けて歩き出す。
◇
「……で、何でこんな事になってるんだ?」
「あ、あはは……私じゃ止められなかったっす。」
屋台で肉串を焼いているリィズに訊ねる。
眼の前には、小さな木の箱を敷き詰めたステージの上で、歌い、踊るリノアの姿と、その周りを取り巻き喝采を上げるギャラリー。
その近くではカナミがエールと肉串を売って回っている。
「何があったんだ?」
「あは……実は……。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お姉さま、次はあっちなのですよ。」
「リノア、ちょっと、待ってよ。」
リノアが、カナミの腕を引っ張り奥へと進んでいく後を、リィズは遅れない程度についていく。
「まったく、暢気なもんっす。」
リィズは、一応周りを警戒しながら歩いているので、どうしても前を行く二人より遅れがちになる。
一応、というのは、普通の人間相手であれば、今のカナミやリィズなら何とでもなり、正直な話魔族やそれに類するほどの敵でも来ない限り、不覚を取る事はない。
「ま、それでも万が一という事があるっすからね。」
リィズは誰にともなく呟く。
前方では、先に行った二人が、屋台の店主となにやら揉めているようだった。
「どうしたっすか?」
「あ、リィズ。それがねぇ、ここの屋台の金額がね……。」
リノアが両手に持っている肉串全部で5本。
その代金として、銅貨を25枚払おうとしたら、屋台の親父が足りないと言いだしたのだ。
表通りでは、肉串1本銅貨5枚が相場だったのだが、ここの肉串は、1本銅貨20枚だという。
「ボッタクリっすかぁ。」
「バカいっちゃいけねえよ。ウチの肉は上質なファイアートードのいいところだけを厳選してるんだぜ。いいから銀貨1枚払いな。……払えねぇって言うなら身体で払ってくれてもいいんだぜ。」
下卑た笑みを浮かべながらそう言う屋台の親父。
「はぁ、どの世界にもこういう下衆は居るもんすね。」
リィズは呆れたように言いながら、腰の剣に手を掛けるが、それをカナミが止める。
「ちょっと待って。リノアに任せましょ。」
見ると、リノアがちょっと困った顔をしながら歌い始める。
店の親父も、一体何が起きているのか分からずポカンとリノアを見ている。
しばらくすると、リノアの歌声につられて人々が集まって来て、あっと言う間に通りが人々で埋め尽くされ、皆がリノアの歌声に聴き惚れている。
1曲歌い終えたリノアが集まっているギャラリーに笑顔を向けて話し出す。
「皆さーん、集まってくれてありがと~。私リノア、今日この街に着いたばかりなの。」
「リノアちゃーん!」
「いいぞー!」
「可愛いねー!」
あっと言う間にギャラリーの心を掴んだようで、あっちこっちからリノアコールが巻き起こる。
リノアはそれに答えながら、この街で見聞きした感動を話しだす。
美味しい食べ物や、珍しい調度品、親切にしてくれた人々のこと等々……。
「……でもね、ここの屋台の肉串が1本銅貨20枚なんて知らなくて、払えないなら身体で払えって……でもリノア歌う事しかできないから……。」
リノアの、その小さい身体を震わせ、瞳に涙を浮かべながら、それでも一生懸命笑おうとする姿を見た人々の行動は素早かった。
一生懸命歌う女の子を泣かせる元凶、しかも「ここは良い所」と言ってくれる、女の子からボッタクリをしようとした挙げ句に毒牙にかけようとする変態を、そのままにしておけるはずがなかった。
風向きが悪いと感じた屋台の親父は、その場から逃げ出そうとするが、あっという間に捕らえられ、衛兵に突き出される。
「リノアちゃーん、悪いオトナは成敗したからね!」
「安心していいよー!」
「この街を嫌いにならないでね~!」
人々が口々にリノアに声を掛ける。
「ありがとうございまーす。ヤッパリ、この街は良いところですぅ。お礼にリノアの歌、聴いてくださーい。」
そして、再びリノアが歌い出す。
その声は、明るく弾んでいて、その笑顔は見ている者総てを虜にする。
「リノア……恐ろしい子っす。」
一部始終を呆気に取られたまま見ていたリィズがそう呟く。
「リィズ、ボサッとしてないで、肉串焼いて。」
そんなリィズに屋台で肉を焼けというカナミ。
「せっかくだし商売しないとね。」
気付けば、屋台の前に長蛇の列が出来ていた。
「姉ちゃん、こっち3本と黒エールな。」
「こっちは5本くれっ!」
「ハイハーイ。今焼いてるから慌てないでね~。」
カナミは、エールを注ぎ、焼けている串を持って注文を順番に捌いている。
「何でこうなるっすかぁ~」
「リィズ、叫ぶ暇があったら30本追加で焼いてっ!」
◇
「……という訳っす。今はだいぶ落ち着いたし、リノアの喉もそろそろ限界なので、たぶん今の曲で最後っす。」
リィズの言葉が終わらないうちにギャラリーから歓声があがる。
どうやらリノアが歌い終えたらしい。
アンコールがかかっているが、リノアが少し咳込むと、ピタッと止まり、逆にリノアを気遣う声が大きくなる。
リノアが改めてお礼を言い、また機会があれば歌を聴きにきてねと言うと、ギャラリーが一際盛り上がり、やがて一人、また一人と、名残惜しそうに去っていく。
しかし、歌唱の紋章が有るわけでもないのに、これだけの人をあっという間に魅了するなんて、凄いな、と感心していると、リノアとカナミが戻ってくる。
「あ、センパイおかえりー。」
「お兄ちゃん、お帰りなのです~。」
挨拶をするリノアの声が、少しかすれている。
「リノア、頑張り過ぎじゃないのか?」
俺は、黒い小さな固まりを、リノアの口の中に放り込む。
「いつもありがとなのです~。」
リノアはそれをゆっくりと舐める。
その顔は少し蕩けた感じで緩んでいた。
リノアが今舐めているのは、所謂『喉飴』で、稀釈したポーションを煮詰め、喉によいとされる植物のエキスとハニークラウンを混ぜて調合したものを、更に煮詰めて飴にしたもので、調子に乗って歌った結果、喉を傷めると言うことを、繰り返すリノアの為に特別に作ったのだが、リノアが気に入ってしまい、常に舐め続けていたため、彼女には渡さず、俺とリィズが所持して管理している。
カナミが持っていないのは、甘やかして与えすぎるのが目にみえているからだ。
「とりあえず、落ち着いたのなら宿に行くか?」
「うん、でもその前に………。」
そう言って、おずおずと革袋を差し出してくるカナミ。
その中には、銀貨50枚相当の売上金が入っていた。
◇
「ふぅ、やっと落ち着いたぜ。」
宿の一室で、備え付けのベッドにダイブし、横になって一息つく。
あれから、商業ギルドに顔を出し、諸々の手続きをすませた後、お腹が空いたというリノアのリクエストで、適当な酒場で食事を済ませ、宿に入ったのがつい先程のこと。
取り敢えず湯浴みを済ませてから、明日以降のことを話そうと言うことになり、女性陣より早くあがった俺はこうしてくつろいでいるのだが……正直このまま寝入ってしまい……そう………だ………。
「ん?」
何となく普段と違う感触に目を覚ます。
「あ、起きた?」
目を開けると、そこに飛び込んでくるカナミの優しい笑顔。
どうやら俺は、カナミに膝枕をされているらしい。
髪の毛を優しく鋤く、カナミの手の感触が心地良く、穏やかな気持ちになる。
「……何かいいな、こういうの。」
俺は、カナミを見上げながらそう呟く。
「そう?これくらい、いつだってしてあげるよ?」
そう言って微笑むカナミの顔を見ていると、自然と「聖女」と言うワードが浮かび上がってくる。
「『聖女』か………。」
「なに、いきなり……どうしたの?」
微笑みを絶やさずそう聞いてくるカナミの顔に腕を伸ばし、そのまま引き寄せる。
二人の距離が近づき、そして………。
「コホンっ!あー、そろそろお邪魔していいっすか?」
「えー、もうちょっとセンパイとイチャラブしたいぃ~。このままラブラブする予定なのにぃ。」
カナミが顔を上げて、隣で様子を見ていたリィズに応える。
「そういうのは、後で3人でするっす。それより、にぃにが起きたなら、打ち合わせを先にするっす。」
「ちぇー、折角だから、二人っきりが良いなぁ。センパイを独り占めしたい。」
「明日、私が独り占めしていいなら譲るっすよ?」
「うっ……今夜一晩と引き替えに明日一日………。」
悩み出すカナミを放置してリィズがよってくる。
「にぃに、ギルドの方はどうだったっすか?」
俺は身を起こしてリィズと向かい合う。
ちなみに、リノアはかなり疲れていたらしく、湯浴みから戻った後、程なくして寝てしまい、今は隣りのベッドで健やかな寝息をたてている。
「あぁ、何か向こうでも色々あるみたいでな、依頼で向こう側に渡る案件はしばらくは無さそうだ。正規の手続きで渡る方が早いだろうな。」
「そうっすか。正規の手続きってどれくらいかかるもんっすか?」
「そうだな、今日の感じだと1週間ってところだな。」
「この宿で1週間お世話になるとすると、食事や湯浴みのお湯含めて、3人で銀貨15枚弱っすね……今日稼げてよかったっす。」
「そうだな。」
リィズの呟きに相づちを打つ。
今日の屋台騒動では、相手が悪質であり、更には商業ギルド無許可で出していた為、あの親父は、仕入れに掛かった金額を渡した後、追放処分にされた。
たかがボッタクリで追放はやり過ぎじゃないかと思ったが、人々の出入りが激しいこの街で、ああ言うのを野放しにすると、街の信用が低下するだけでなく、治安も悪くなるらしい。
だから、街中の健全な経済を回すためにも、そういう悪質な商売をするものに対して厳しい処罰を行っているらしい。
そして、同じく無許可で営業した俺たちに関しては、前後の事情など様々な事柄を考慮した上で、ギルドに登録し、追徴金を支払うことでお咎めなしと言うことになった。
更に言えば、担当者がリノアの歌を聴いていたらしく、良かったらまたステージを、とお願いされたので、リノアの気が向けば、と答えておいた。
まぁ、そんな感じで稼いだお金も、親父に渡した分にギルドへの支払い、宿屋への1週間分の支払いを済ませると、手許に残ったのは銀貨4枚と銅貨数十枚だけだった。
「少し心許ないっすね。ギルドで割のいい依頼は有ったっすか?」
リィズがそう訊ねてくるが、俺は黙って首を振る。
「そうっすか……。」
「明日の朝一なら、まだいい依頼があるかもしれないが、大体は採集や素材確保の依頼が殆どだな。時間だけかかって銀貨1枚にもならん。まだ、屋台でもやってる方がマシかもな。」
「だったら、やろうよ、屋台。」
カナミが突然口を挟んでくる。どうやら悩みについては結論が出ずに放り投げたようだ。
「折角、屋台を手に入れたんだし、食材は確保してあるから何とかなるよ?」
カナミの言葉に俺は少し考える。
ちなみに手に入れた屋台というのは、あの親父が残していったものだ。
商業ギルドに「手間賃だ」と言って渡されたものだが、アレは処分が面倒で押し付けたに違いない。
あんなんでも、一応簡易調理機能はついているから問題はない。
後は何を売るかだが……。
「そうだな、ポテトフライなんかどうだ?後、余裕があれば数量限定でビックボアのハンバーガーとかな。」
「ウン、ポテトなら揚げるだけだし、余り手間かからなさそうだからいいかもね。」
「じゃぁ、そう言う事で、しばらくは屋台を頼む。」
「任せてね。……って事でぇ……。」
明日以降の方針が決まった所で、カナミが飛びついてくる。
思わずリィズに助けを求めようと、そちらを見ると、リィズはすでに上着を脱ぎ、戦闘態勢に入っていた……リィズ、お前もか……。
俺は諦めて二人を受け入れるのだった。