6深まる溝
そして今日。私はオクレールくんに迎えに来てもらって、ルスレーの待ち構える正門を気付かれずに抜けることができた!万歳!!
「……………………………」
ただ、オクレールくんはかなり機嫌が悪いが。
まあしかたがない。ぶちギレても脅しに従ってくれる理性に拍手したいぐらいだもの。
「本当にありがとうございます。これで私が死ぬ確率が減ります」
「………………………………」
おっとりと礼を言うが、オクレールくんは、私の腕をつかんでずかずかと教室に連れて行く。ルスレーは、他クラスに図々しく出入りする、というようなことはしないので、今から放課後までは安心なのだ。
結果として、オクレールくんの存在値の低さを私に影響させることは可能だった。彼は自分でそれを制御できない節があるので、それは先天性の体質か何かではないかと思う。オクレールくんは話してくれないが。
私がオクレールくんを認識しているので、彼の存在値は1だが、それでも十二分に低い。他者に気がつかれる可能性は低いのだろう。
私はオクレールくんという救世主を得て、随分と安心していたようだ。
クラスメイトが献上(?)してくれた紅茶と菓子で、友人と二人、休み時間にまったりとお茶をする余裕もある。
お茶を淹れてくれたクラスメイトはすごくお茶に詳しいのだろうか。おいしい。
でも、アスタリスク先生の薬草茶が好きだ。少し苦味があって、体が暖かくなるから。昔住んでいた孤児院でも、そんなものを飲んでいたから。
そんなことは言わないけれど。
教室から一歩も出ずに、放課後を迎える。すぐにオクレールくんが迎えに来てくれた。仏頂面どころか殺気だっているけど、本当にありがとう!
「迎えに来てくれて、ありがとうございます」
「……………………」
「お礼に何かプレゼントします。何が良いですか?」
「……………………」
「私はアリの実が好きなんです。東方の品種の方がしゃりしゃりしてて……好み!オクレールくんは好きですか?」
「………………………」
「学園の授業で一番好きなのはなんですか?やっぱりアスタリスク先生の授業ですか?」
「………………………」
そんな風に私は他愛もない質問ばかりした。少しぐらい仲良くなりたい、という欲があったから。返事は全然なかった。それもそうだと私は思った。だから怒ったりしない。ただ、滔滔と質問をして、時々私の話をした。
数日が経った。
毎日ルスレーに会うこともなくなり、いつも通りの学園生活を満喫できた。ただ、オクレールくんはむっつりとして、少しも返事をしてくれない。でも、その分私のよくわからないスキルが上がったようだ。
「今日の昼食は何を食べましたか?サンドイッチですか?お粥ですか?」
「……………………」
あ、これはステーキ定食大盛りの顔だ。
「ステーキですね?よくお昼から―――」
「違えよっ!」
何て素晴らしい突っ込み!オクレールくんと息があってきたような気がする。
そう言えば、オクレールくんがひっそりと私から離れようとした。またまたー照れちゃってー、とは本当に離れられそうで怖いから言わない。
「あ、ここまでで。今日も本当にありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
女子寮の前で私たちは別れる。オクレールくんの存在値なら女子寮の中に入ることぐらい出来そうだが、まあ、可愛そうだし。
「…………」
オクレールくんは無言で立ち去る。やっぱり彼はいい人だなあ、とそんなことをのんきに考えた。
私がオクレールくんの地雷を踏んでしまうのは、それからすぐのことである。
私は多分、あまりにも順調な毎日に、調子に乗っていたのだと思う。当たり障りのない質問ばかりして、オクレールくんが優しくて怒らないから、彼の繊細な心に土足で踏み込んでしまった。
ある朝の事だった。
「今日は雨ですね。私、雨の日って結構好きなんです。音とか、空気とか、静かで好きです」
「……………………」
オクレールくんはいつにも増して、仏頂面でピリピリしていたような気がする。けれど私はそんなことを気にしなかった。
「兄は、雨はあまり好きでないみたいなんですよね。母が亡くなった日は雨の日だそうで」
私は母という人を知らない。兄の母は昔に亡くなっていて、私を引き取った頃にはいなかったから。
「………………………」
「オクレールくんにはご兄弟はいるんですか?オクレールくんはお兄さんなイメージなので、妹さんとか弟さんでしょうか」
「…………………」
「オクレールくんと同じ目の色だったら良いですね。その夜の空の色、好きですよ。お母様譲りですか?」
ぎゅうぅっとオクレールくんの眉に皺が寄っていること。私は気がつかなかった。
「お母様ってどんな人なんでしょうね?私は分からないので、オクレールくんが少し羨ましいです」
それがきっと切っ掛け。私は目の前の空気を切った腕に反応することができなかった。
ゴンッ!
廊下の壁がへこむほどの打撃。鈍い音が響いた。私は目の前に突如現れた腕に驚いて、立ち止まった。
「………。………言うな!」
絞り出すように叫んでた。ビリビリと震える空気。拳に込められた力の強さに、恐怖した。
「……ごめん、なさい」
だが、その言葉は届かない。
彼は、立ち去ったあとだった。
ありがとうございました