第41話「公聴会で、俺は弾いた」
お読みいただきありがとうございます。午後二時、審議室に入りました。十六人の議員の前で、直樹は紙一枚を持って立ちます。書いてあるのは三行——日付、会場の名前、子どもが泣いたこと。最後に、ギターケースを持って立った話です。
参考人控室は、思ったより静かだった。
午後一時、直樹はギターケースを膝の上に置いて座っていた。弁護士の女性が隣にいた。五人の参考人のうち、ギターを持ち込んでいるのは直樹だけだった。受付のスタッフが書類を確認するとき、ケースを一瞥した。「議長に事前に確認が取れています」と弁護士の女性が言った。スタッフは頷いた。
他の参考人が順番に入ってきた。大学教授の男性、評論家の女性、作家協会の理事の男性、弁護士の男性。四人ともに資料の束を持っていた。直樹の手元には紙一枚だった。三行だけ書いてあった。日付、会場の名前、子どもが泣いたこと。それだけだった。
控室に窓はなかった。時計の針だけが動いていた。
大学教授の男性が手元の資料を確認しながら何かメモを書いていた。弁護士の男性が画面を見ていた。評論家の女性は目を閉じていた。
直樹はギターケースに手を置いていた。前の転生で、師の診療所を出て道場に向かう朝に似た感覚があった。やるべきことが決まっていて、あとはやるだけ、という感覚。緊張はしていた。ただ迷いはなかった。
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午後二時、審議室に入った。
長い机の向こうに議員席があった。十六人の議員が着席していた。傍聴席に二十人ほどが座っていた。カメラが数台、壁際に設置されていた。
議長が手続きを説明した。「各参考人に十分の発言時間を設けます。その後、委員との質疑応答に移ります。なお、最後の参考人の田中氏より、発言の際に楽器演奏を行いたいという申し出がありました。五分の枠で許可しています」。数名の議員が顔を上げた。直樹はギターケースを足元に下ろした。
最初の四人が順番に話した。
大学教授が認知科学的観点から人間の創作と機械生成の差異を説明した。資料が多く、十分で収まらなかった。議長が一度声をかけた。評論家の女性が文化的多様性について淡々と述べた。数字を使わない語り口だった。作家協会の男性が実際に収入を失ったケースを具体的な数字で示した。弁護士の男性が法的問題点を項目ごとに列挙した。
四人が話している間、直樹は聞いていた。整った内容だと思った。論理は通っていた。ただ、言葉が多かった。言葉を増やせば増やすほど、何かが薄くなっていく気がした。
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「では最後に、参考人の田中直樹氏、お願いします」と議長が言った。
直樹は立った。ギターケースを持ったまま立った。
「田中直樹です。ミュージシャンです」
声が少し震えた。自分で聞いてわかった。続けた。
「先月、ライブハウスで演奏をしました。二十八人が来ていました。その中に、四歳か五歳くらいの子どもがいました」
紙を見なかった。子どもの顔を頭に置いた。声を出さずに泣いていた顔を置いた。
「四曲目を弾いているとき、その子が泣きました。声を上げずに泣いた。演奏が終わってから、お母さんが楽屋に来てくださいました。「この子が音楽で泣いたのは初めてで」とおっしゃっていました。お子さんに「なんで泣いたの」と聞いたら、「わかんない」と言ったそうです」
直樹は少し間を置いた。
「その演奏は完璧ではありませんでした。途中で指が滑りました。声も揺れました。AIが生成する音楽と比べれば、明らかに不完全な演奏です。その不完全な演奏で、その子は泣いた。AIの音楽では一度も泣いたことがなかった、ということでした」
数人の議員が書類を置いて前を見た。
「この法案が通れば、その演奏は来年から許可が必要になります。私がその審査を通れるかどうかはわかりません。ただ一つだけ言えることがあります。あの子どもが泣いた理由は、「わかんない」という答えしか出てこなかった。その「わかんない」が、私には本物に見えました」
「最後に一曲弾かせてください。あの夜、その子が泣いた曲です」
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ケースからギターを取り出した。
ストラップをつけた。チューニングを一度確認した。弦を一本ずつ叩いた。部屋が静かだった。
一音目を鳴らした。
天井の高い部屋だった。音の返り方がライブハウスとは違った。直樹はそれを感じながら、次の音に移った。あの夜と同じコードを順番に押さえた。あの夜と同じように、二番の入りで指の動きが一瞬遅れた。音が少し濁った。止まらなかった。
弾き続けた。
議員席から音がしなかった。傍聴席からも聞こえなかった。ただ直樹のギターの音だけがあった。
地下のライブハウスで弾くときと、何かが違った。聞き方が違うのかもしれなかった。息の潜め方が違う気がした。ただ音は同じだった。あの夜と同じ曲を、同じ指で弾いていた。
曲が終わった。
数秒の沈黙があった。それから傍聴席から拍手が来た。一人だった。次に数人になった。議員席からも何名かが手を叩いた。全員ではなかった。ただ止まらなかった。
直樹はギターを下ろして頭を下げた。
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質疑応答で一人の議員が手を挙げた。六十代の男性だった。
「田中さん、一つだけ聞いていいですか。その子どもが泣いた理由は、本当にわからないんですか」
「わかりません」と直樹は言った。「ただ、起きた事実だけがあります」
議員がしばらく直樹を見た。「そうですか」とだけ言って、手を下ろした。
別の議員が手を挙げた。四十代の女性だった。「審査が通らなかった場合の話をされましたが、仮に通らなくても演奏は続けるつもりですか」
「続けます」と直樹は言った。「場所と方法は変わるかもしれません。ただ弾くことはやめません」
女性の議員が一度頷いた。それ以上は聞かなかった。
もう一人が「今日はありがとうございました」と言った。それで質疑応答が終わった。
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廊下に出たとき、傍聴席にいた男性が近づいてきた。六十代の、静かな目をした人間だった。
「演奏を聴きました」と言った。「孫が最近、音楽をやりたいと言っています。来月、ライブに連れていっていいですか」
「ぜひ来てください」と直樹は言った。会場の名前を伝えた。男性は手帳に書き留めた。
弁護士の女性が「よかったです」と言った。「言葉が整っていなくても届いていた」
「そうですね」と直樹は言った。「整っていなかったのは確かです」
「それでいいんです」と彼女は言った。「今日の記録は議事録として残ります。後で読む人間もいます」
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議事堂を出たのは夕方だった。
広場に出たとき、直樹はギターケースを持ったまま立ち止まった。空が暗くなりかけていた。
脳内で声が来なかった。
ルキアがいつも何か言う場面で、何もなかった。沈黙だった。演奏の前も、弾いている間も、廊下に出てからも。議事堂を出るまで、一度も声が来なかった。
直樹は視界の右上を確認した。
【満足度ゲージ:90.00% → 99.50%】
足を止めた。
九・五パーセント。一度に動いた。
残りは〇・五パーセントだった。その〇・五が何かは、わからなかった。広場を風が抜けた。東京の夕方の光の中で、直樹はしばらく動かなかった。
前の転生でカールに何かを伝えきった瞬間、ゲージが動いた。師に「なぜ残った」と答えた夜、ゲージが動いた。どちらも自分の計算の外で来た。今日もそうだった。子どもの顔を頭に置いて話したとき、何かが届いた。届いたことは、数字が証明していた。
ただ残り〇・五が何なのかは、今夜まだわからなかった。
次話:第42話「〇・五パーセントが、わからない」
【満足度ゲージ:90.00% → 99.50%】。議事堂を出たとき、数字が動いていました。残り〇・五パーセントが何かは、まだわかりません。続きが気になった方は、ぜひブックマークや【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると嬉しいです!




