第28話「守りたかった、ただそれだけだ」
お読みいただきありがとうございます。カールに「京都を出ろ」と伝えた夜。カールの返答を受け取った直之介が、何かを決めました。
カールへの圧力が増していた。
診療所への往来を続けていたが、道中で呼び止められる回数が増えた。直之介が同行するようになった。二人で歩いていれば、少し抑止になる。完全ではないが、一人より安全だった。
師が「直之介、お前は書生だぞ」と言った。「カール殿の護衛ではない」
「わかっています」
「だが行くのか」
「行きます」
師が「ふう」と言った。止めなかった。
その週の終わりに、直之介はカールに話した。
薬の空き瓶と地図を使った。地図は京都周辺のものを師の棚から借りた。京都の外を指差した。それから北、南、西と指差して、カールを指差した。意図は「ここを出た方がいい」だった。
カールが直之介を見た。しばらく見た後、首を振った。
動かなかった。首の振り方が「聞こえなかった」ではなく「わかった上で首を振った」だった。目が落ち着いていた。怖がっていない顔ではなかったが、それでも動かないと決めた顔だった。
まだやることがある、という顔だった。
直之介は地図をもう一度指差した。カールが同じように首を振った。三回目を試そうとして、やめた。同じことを三回やっても意味がない。カールは理解している。理解した上で動かない。それがわかった。
師がその様子を見ていた。終わった後、「どうだった」と聞いた。「動かないと決めているようです」と直之介は答えた。師が「そうか」と言って、それ以上は何も言わなかった。師もカールの判断を変える気がないらしかった。二人とも同じ種類の人間だと、直之介は思った。動く理由があるなら、人に止められても動く。
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その夜、直之介は部屋で考えた。
カールが動かないと決めた。それはカールの選択だ。直之介がどうにかできる話ではない。成人した人間の判断を他人が覆せるわけがない。論理的に考えれば、カールが自分の意志で残ると決めたなら、直之介にできることは限られている。
ただ、考え続けるうちに、別のことが頭に来た。
カールが死ぬのが嫌だった。
論理ではなかった。理由を並べたわけでも、計算したわけでもない。ただ、嫌だった。三日間かけて繋がった。毎週会うたびに、絵と身振りで何かを渡し合った。言語は一言も通じていないのに、その時間は確かにあった。それが消えるのが嫌だった。
じゃあ、守る。
それだけだった。
直之介は少しの間、その感覚を確認した。これは新しい感覚だった。前の転生の自分には、たぶんなかった感覚だ。前の転生では「好きか嫌いか」より「合理か非合理か」が先に来ていた。今は逆だった。嫌だという感情が、合理性より先に答えを出していた。
前の転生でのナオは、ここで「守れるかどうかを計算してから決める」と言っただろう。今は違った。守りたい、だから守る。計算は後でする。守れなかった場合どうなるかは、そのときに考える。前の転生でカインを守れなかったことが、ここに来ている気がした。理屈ではなく、体の中の何かが「今度は守る」と先に言っていた。
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翌日、屯所に行った。
稽古が終わった後、沖田が縁側に座っていた。
「また来た。副長に認められたな」と沖田は言った。
「そうかもしれません」
「何か用があって来たのか」
「話したいことがあって」と直之介は言った。「あなたに話すのが適切かどうかわかりませんが」
「俺でいいなら聞くが」と沖田は言った。軽い口調だった。
直之介はカールの話をした。状況と、昨夜の自分の考えを。身振りで「出ろ」と伝えたが首を振られたこと。それでも守ると決めたこと。論理ではなく、嫌だったから決めた、ということ。
話しながら、少し奇妙な気がした。前の転生では、こういう話を誰かにすることがほとんどなかった。クルトやカインに話したことはあったが、それは夜の偶然の会話だった。今は、話したいと思って来た。それが自分にしては珍しかった。
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沖田は黙って聞いていた。
話が終わると、少し間を置いてから言った。
「理屈より先に決めたのか」
「そうなります」
「それは何からだ」と沖田は聞いた。声が少し違った。いつもの軽い調子が薄れていた。
「嫌だったから、です。カールが死ぬのが」
沖田がまた間を置いた。
「そういうのが一番強い」とすぐに言った。
「強い、というのは」
「理屈で動く人間は、理屈が崩れると止まる。嫌だから、守りたいから、という人間は止まらない。俺の周りにも、そういう人間はいる。止まらない人間は強い。理屈じゃないから崩しようがない」
直之介は少し考えた。
「沖田さんは、どちらですか」
沖田が少し笑った。
「俺か。俺は——まあ、どちらでもある。剣を振る理由は、最初は理屈だった。今は理屈じゃない部分も混じってる」
それ以上は言わなかった。直之介も聞かなかった。ただそのまま、少しの間縁側に座っていた。遠くで稽古の音がしていた。
「カール殿が帰るまでは、続けるつもりです」と直之介は言った。「それが正しいかどうかはわかりませんが」
「正しいかどうかは関係ない」と沖田は言った。「やりたいからやる。それで十分だろ」
「以前の自分には、その感覚がなかった」
「以前というのは」
「……遠い昔の話です」
沖田が「よく言うな、それ」と言った。笑っていた。「遠い昔、か。お前、十八か十九だろ」
「そうです」
「十八で遠い昔がある人間も珍しいな」
直之介は答えなかった。沖田も続けなかった。縁側の向こうで、夕方の光が庭に伸びていた。
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診療所に帰って、夜になった。
直之介は天井を見ていた。
今夜の決断を、改めて確認した。カールを守ると決めた。理由は理屈ではない。嫌だったから。守りたかったから。それだけだ。前の転生では一度も、こういう順序で動いたことがなかった。いつも理由が先で、行動が後だった。今夜は逆だった。
視界の右上が動いた。
【満足度ゲージ:35.00% → 53.00%】
直之介は少しの間、動かなかった。十八パーセント。前の転生の決勝よりも上がった。
脳内で声がした。
「理屈じゃなく動いたわね」
ルキアの声だった。
「うるさい」
「褒めてるのよ」
「わかってる」
「わかってるのに「うるさい」と言うのか」
「素直に受け取りにくいだけだ」
少し間があった。
「……それは少し変わったわね」とルキアは言った。声が静かだった。「前のあなたは、褒めても受け取る場所がなかった。今は受け取りにくいだけ、になっている」
「そうなのか」
「そうよ」
声が消えた。
直之介はもう一度、視界の右上を確認した。53.00%。消えていない。本物だった。
なぜ今夜動いたのかを考えた。カールを守ると決めたのは、今夜の話ではない。昨夜だ。昨夜の時点では動かなかった。今日、沖田に話して、「理屈より先に決めた」と言葉にしたとき、何かが確定した感覚があった。言葉にすることで、自分の中で迷いがなくなった。「嫌だから守る」という答えを、他の誰かに言えた。それが決定的だったのかもしれない。
前の転生では、そういうことを誰かに言えなかった。決断は自分の中で完結していた。今は違う。沖田に話した。前の転生ではクルトに話した。誰かに言葉にして渡すことで、自分の中が変わる。その連鎖が、ゲージに繋がっているのかもしれなかった。
窓の外に、夜の京都の音がしている。この街がこれからどうなるか、直之介は大まかには知っている。ただ今夜は、知識よりも手元にある感触の方が大きかった。53.00%。それが今夜の直之介の事実だった。
次話:第29話「知っていることが、何の助けにもならない」
沖田の咳が、重くなっていきます。続きが気になった方は、ぜひブックマークや【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると嬉しいです!




