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第26話「土方歳三に、試合を申し込まれた」

お読みいただきありがとうございます。土方歳三から直之介に声がかかりました。屯所へ来い、という話です。

カールが診療所に来る頻度が増えていた。


 最初は週に一度だったが、いつの間にか二、三日に一度になっていた。師とカールの間で、絵と身振りを介した医術の交換が少しずつ積み重なっていた。直之介がその仲立ちをした。言語が通じなくても情報は渡せる、ということを三人で確認し合う日々だった。


 ただ、街の空気は変わっていた。


 攘夷の機運が高まっていた。外国人を見るだけで怒鳴る浪士が増えた。路地で鉢合わせると、向こうが手をかける場面も増えた。師が「カール殿が来るとき、なるべく目立たない道を使ってもらえるか」と直之介に言った。直之介が身振りで伝えると、カールは頷いた。わかっている、という顔だった。それでも来た。


---


 その日の夕方、直之介は薬を受け取りに師の使いで出ていた。


 帰り道の路地に差し掛かったとき、声が聞こえた。


 人数が多い。怒鳴り声が重なっている。角を曲がると、七人の男がいた。攘夷派の浪士らしかった。刀を持っている者が三人。残りも得物を持っている。囲まれているのはカールだった。


 カールは壁に背中をつけて立っていた。顔が青い。言葉がわからないまま、何を言われているか察している顔だった。声を上げる様子はなかった。刺激しないようにしているのがわかった。


 直之介は荷物を路地の脇に置いた。


 七人、か。今の体の状態で七人は、正直きつい。三ヶ月間走り続け、素振りを続け、道場に通い続けたが、まだ完全ではない。それでも、三ヶ月前とは違う。


 前の転生の終盤には、十人以上の相手と戦ったことがあった。その記憶がある。体はまだそこまで戻っていない。ただ、こうして立っている状況で「動かない」という選択肢が頭に来なかった。カールがそこにいる。それだけで足が動いていた。


「その人から離れてください」と直之介は言った。


 七人が振り向いた。


「なんだお前は」とリーダー格の男が言った。


「通りかかっただけです。その人は何もしていません」


「外国の犬を庇う気か」


「庇う庇わない以前に、何もしていない人を七人で囲むのは」


「黙れ」


 男が動いた。


---


 最初の一人をかわしたとき、感覚が戻ってきた。


 戻ってきた、というより、ここ数ヶ月積み上げてきたものが、初めてまともに機能した、という感覚だった。体が頭に追いついてきた。前の転生で覚えた動き方の記憶と、今の体の感触が、初めて一致した瞬間だった。


 二人目が脇から来た。一歩動いて入れ替えた。足元を崩した。三人目が声を上げた。四人目が刀を抜いた。向かってきた軌道を見た。刀を持つ相手の間合いには入らない。相手の外側から体を入れて、腕を取る。腕を取った瞬間、抵抗が来た。そのまま押し込んだ。落ちた。


 五人目と六人目が同時に来た。片方をかわして、もう片方を使った。体をうまく使えば、二人の動きが干渉する。そこに入った。七人目が遅かった。止まっていた。


 気づくと七人が地面に転がっていた。


 直之介は呼吸を整えた。肩が少し痛い。途中で一発もらった。致命的ではないが、完璧でもなかった。


 カールが壁から一歩出た。目が大きくなっていた。何かを言った。オランダ語だった。意味はわからないが、礼を言っているのは声の調子でわかった。直之介は「大丈夫ですか」と言った。カールが頷いた。顔がまだ青かった。


「今日は早めに帰ってください。別の道から」


 言葉が通じないので、手で来た道と反対の方向を指した。カールが頷いた。それから直之介の肩を見た。痛がっているのが伝わったらしい。心配そうな顔をした。「問題ありません」と直之介は言った。身振りで「平気」と示した。カールがもう一度何かを言って、頭を下げた。それから歩き去った。


---


 静かになった路地に、足音がした。


 一人の男が通りの端に立っていた。いつからいたのかわからなかった。直之介が戦っている間、そこにいた気がした。気づかなかった。


 男は三十代に見えた。背が高い。羽織が黒い。目が冷静だった。何かを測るような目線だった。感情が乗っていない目だった。


 男はしばらく直之介を見た。七人を見た。もう一度直之介を見た。


「明日、壬生の屯所に来い」


 それだけ言って、男は歩いて行った。


 直之介はその背中を見た。羽織に紋がある。見覚えのある形だった。前世の記憶が、その紋の意味するものを静かに教えた。


 新選組。


---


 翌日、壬生の屯所に行った。


 広い敷地だった。道場がある。人が動いている。稽古の声が聞こえた。直之介が名乗ると、案内された。昨日の男が待っていた。昨日と同じ目だった。周囲に隊士が数人いた。直之介を見る目がそれぞれ違った。警戒しているもの、面白がっているもの、興味がなさそうなもの。


「やってみろ」と男は言った。前置きがなかった。


 隊士が一人出てきた。真剣ではなく、木刀だった。構えが安定している。訓練された動きだ。足の重心の置き方が、昨日の七人よりずっと良い。それでも、重心の癖は必ずある。


 始まった。


 三十秒で終わった。隊士が地面に膝をついた。周囲から小さな声が上がった。


「もう一人」と男が言った。表情が変わらなかった。


 別の隊士が出てきた。さっきより大柄だった。力が強い。踏み込んできた瞬間、体の芯が前にある。来た。腰を使った。崩れた。


「もう一人」


 三人目は素早かった。これまでで一番手応えがあった。軽い。動きが読みにくい。踏み込みに癖がない。二分かかった。途中で一度体勢を崩されかけた。それでも倒れた。


 周囲が静まり返った。


 男はしばらく黙っていた。そのまま直之介を見た。直之介も見返した。


「魂胆はなんだ」


「ないです」と直之介は答えた。


「なぜここにいる」


「師の書生です」


「昨日の動きは、書生のものではない」


「そうかもしれません」


 男がまた黙った。視線が外れなかった。答えを待っているのではなく、直之介自身を測っているようだった。


「また来い」


 それだけ言って、男は奥に入っていった。


 直之介は少しの間、その場に立っていた。周囲の隊士たちが何か話しているのが聞こえた。声が小さくて内容はわからなかったが、視線が向いていた。直之介は気にせず出口に向かった。


 出口の近くで、声がかかった。


「昨日の七人、どこで習ったんだ」


 振り向くと、隊士の一人が立っていた。三人目に出てきた、動きが軽い男だった。


「独学に近いです」


「そんなわけあるか」と男は言った。笑っていた。「どこで習ったかはいいが——また来るか」


「来いと言われたので」


「そうじゃなくて」と男は言った。少し間を置いた。「副長が「また来い」と言うのは珍しい。そういうことだ」


 それだけ言って、男は稽古に戻った。直之介は屯所を出た。


---


 屯所を出て、帰り道を歩きながら、直之介は手を見た。


 昨日と今日、体が思ったように動いた。前の転生の感覚が、ほぼ完全に戻ってきた、という実感があった。三ヶ月間、毎朝走って、道場で素振りをして、転んでこけて、師範に怒られ続けてきた。その積み重ねが、昨日の路地で初めて形になった。


 脳内で声がした。


「ゲージは動いてないわよ」とルキアが言った。


「知ってる。昨日も今日も「しかたなく動いた」が強い。俺が選んで、という感覚が薄い」


「わかってるじゃない」


「わかってても変わらない。あのときは動くしかなかった」


「それはそれでいいのよ」とルキアは言った。「動ける体になった。次は動く理由の話よ」


 声が消えた。


 壬生の方向を少し振り返った。土方歳三、という人物が何者か、直之介は知っている。前世の記憶にある名前だ。この人物がこれからどう動くかも、大まかには知っている。


 また来い、と言われた。


 行くかどうかは、考えた。新選組に深く関わることは、この時代の激流に飛び込むことに等しい。診療所の書生として静かに過ごす方が、ゲージを動かすのに向いているかもしれない。論理的に考えれば、距離を置く方が安全だ。


 ただ、前の転生でそういう考え方をするのをやめた、という記憶もある。行ってみてから考える、という結論が先に来ていた。

次話:第27話「わかったふりの方が、危ない」

土方との会話が続きます。続きが気になった方は、ぜひブックマークや【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると嬉しいです!

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